シャーロッツビルのモンティセロとバージニア大学の見どころ

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シャーロッツビルのモンティセロとバージニア大学「Monticello and the University of Virginia in Charlottesville」/アメリカ・バージニア州

第3代アメリカ合衆国大統領で、独立宣言やアメリカ合衆国憲法の草案の一部を書いた人である「トマス・ジェファーソン」の私邸「モンティセロ」と、彼が創設し、その生涯でもっとも誇りとした「バージニア大学」を含む広大な土地が世界遺産に登録されている。

モンティセロは、アメリカにある世界遺産の中で、唯一の個人邸宅跡だ。トマス・ジェファーソンが設計している。

アメリカ国内でもっとも暮らしやすい都市に選ばれたこともあるシャーロッツビルにトマス・ジェファーソンが残した遺産を見に行こう。

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モンティセロに含まれるもの

トマス・ジェファーソンの邸宅とその周囲を取り囲む広大なプランテーションのことを、モンティセロのほか、モンティチェロ、モンティッチェロなどとも呼ぶ。これは「小さな山」を意味するイタリア語で、その名の通り、家と庭のレベルを完全に抜き出た、一山レベルの敷地を有している。また、その邸宅の立地も低地の中にもっこりと膨らむ標高260mの峰の頂上であり、名称にぴったり。

モンティセロを見る時は、その煉瓦色と白のツートンカラーのドームや両翼の長さに見ほれたり、その内部の豪華でありながら機能的でシンプルさを極めたデザインに感心したりするだけではなく、モンティセロを囲む庭やそのさらに周囲を取り囲む広大な果樹園という風景も含める必要がある。

モンティセロは、トマス・ジェファーソンがほぼすべてを設計したとされる。建設開始は1768年だが、完成前にヨーロッパへ長期政治旅行を行ったトマス・ジェファーソンが現地の建築様式に刺激を受けた結果、帰国後に再設計と増築を行い、1809年にようやく完成した。

正面玄関部分は白く太く高い柱で支えられたギリシャ風、中心に巨大なドーム、左右に翼を広げるスタイル、さらには離れ家と呼ばれる、複数の別棟を持つ邸宅は、その後のアメリカ国内の邸宅や公共建造物などの設計に大きな影響を与えたといわれている。

邸宅の周囲は美しい計画的庭園に囲まれ、その周囲は果樹のプランテーションが見渡す限り続いている。

これは、アメリカプランテーション成功者の典型的なスタイルで、トマス・ジェファーソンの死後、複数の所有者の手に渡ったものの、現在はトマス・ジェファーソン財団によって所有・管理・運営が行われ、一般にも公開されている。

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モンティセロ内部の見どころ

ローマ遺跡を思わせるメイン・エントランスを抜けると、東には柱廊(ポルティコ)が位置し、その天井部には屋根に取り付けられた風見計が風の向きを示してくれるメモリを刻んだ板が貼られ、さらに壁にはそこで働く者に必要な時間を知らせる短針(時刻針)のみの大きな時計が位置している。これらの仕様はプランテーションの労働者に合わせたものだ。

東のホールには、シャーロッツビル近郊出身の冒険家で探検家のメリウェザー・ルイスにちなむルイス・クラーク探検隊の記録が収められている。

建物の南はトマス・ジェファーソンの私室であり、図書館としても機能している。西から北側はダイニングやリビング、ゲストルームなど、共有スペースとして設計されている。

モンティセロに共通するのは、ゴージャスなのにファンクショナルでシンプルなところ。十分な大きさを持つように思われるモンティセロだが、この時代の典型的なプランテーションの豪邸に比べると小ぶり。さらに、トマス・ジェファーソンは膨大な数の書籍を所有していた。そのため、スペースは有効に活用する必要があったのだ。ベッドやテーブルなどはキャスターがつき、跳ね上げられる可動式・折り畳み式だったりするからおもしろい。

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民主主義と奴隷制度が混在するモンティセロ

民主主義の旗振りトマス・ジェファーソンは奴隷200名を抱えるプランテーションの跡取り息子だった。母方は貴族出身と、文句の付け所のないアッパー階級だ。

彼はとびぬけた読書家であり、努力家でもあったという。その結果、彼自身が奴隷制度の上に立つ存在でありながら、民主主義の理論にそった独立宣言を生む結果につながった。

モンティセロには、奴隷制度の中で育ち、そこで得た富で学んだトマス・ジェファーソンの過去と、その結果彼が到達した奴隷解放という民主主義者の姿の両方が混在している。

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アメリカ最高の高等教育機関の一つバージニア大学

トマス・ジェファーソンは、死に際して、墓に刻む言葉を指定していた。その一つが「バージニア大学の父」という言葉だ。彼にとってバージニア大学の創設は、生涯の活動の中でトップ3に入る重要事項だったのだ。

バージニア大学はその創立当時、創設者であるトマス・ジェファーソンを囲むサロンのような存在でもあった、彼は亡くなる前年まで、自宅に学生たちを招いては、食事を振る舞い、議論に花を咲かせて楽しんだという。

もちろん、バージニア大学の建物も彼の作品である。広々とした芝生エリアを真ん中に、その周囲に教室、教授の住居、そして学生の住居も設置した大学村が完成いている。

また、バージニア大学は、ほかの大学に先駆けて白人以外に門戸を開いたことでも知られている。

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バージニア大学の見どころ

ヨーロッパの古代建造物に大きな影響を受けていた彼は、バージニア大学にもローマ風ドーム型のロタンダを作り、教室となるパビリオンと学生の居室や教授室が数珠つなぎのように連ねた。現在のロタンダは一度焼失した後に再建されたものだが、ほぼオリジナルに近い形となっている。

モンティセロは自分のために建てたトマス・ジェファーソンだったが、バージニア大学は後世の人材育成のために、私益ではなく理想と趣味・ボランティア精神で、しかし自分の理想を目いっぱい盛り込む形で造り上げた。

大統領という政治家としての名がもっとも知られているトマス・ジェファーソンだが、大学という公共性の高い場所に、個人がこれだけ繊細な心配りと情熱を注入したという事実からは、本人がもっとも望んだのは建築家としての姿だったのかもしれないと思わせられる。

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トマス・ジェファーソンとは?

トマス・ジェファーソンは哲学者、博物学者、作家、弁護士、建築家、発明者、政治家などの複数の顔を持つ。

さらに、農業や植物学などの自然科学、歴史や文学、芸術などの分野にも通じ、7か国語を自在に操るというスーパーマンぶりだ。

彼が大学卒業最初についた弁護士の職では、黒人弁護活動に熱心だったことが分かっている。政治界での存在は、学者たちによって「アメリカ合衆国大統領の評価でもっとも偉大な者の一人」と呼ばれるほどだ。また、彼の建築家としての力量は、彼が残し世界遺産にも登録されているモンティセロとバージニア大学のデザイン性・機能性の高さからうかがい知ることができる。

彼は、自身の設計した邸宅と大学で、農業の研究とその実行にも従事した。

多才すぎる彼は83歳で死去し、モンティセロの敷地内に埋葬された。彼の墓石に刻まれたのは「アメリカ独立宣言を起案した者」「信教の自由を求めたバージニアの法の作成者」「バージニア大学の父」の3つ。

彼の墓地は残念ながら通常は公開されていないが、その言葉をもとに、モンティセロとバージニア大学を見学すると、彼が求めた理想が少し見えてくる気がする。

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最後に

モンティセロとバージニア大学のある、アメリカでもっとも暮らしやすいと名高い街シャーロッツビルへは、ワシントンDCから2時間半ほどのドライブ。バージニア州のリッチモンドからなら1時間程度。

世界遺産ではあってもシャーロッツビルを主要目的地とする旅人は少ないが、ワシントンから、東海岸の海、海岸沿いの農地、西に波打つ峰々というスーパービューを楽しめるドライブウェイを、レンタカーで走っていくのは楽しい小旅行となるに違いない。

ワシントンDCでも、トマス・ジェファーソンの姿も偉業もあちこちで見かけるが、彼のルーツであるシャーロッツビルまで足を延ばすことで、彼の公人としての姿だけでなく、私人としての活動ぶりも知ることができるだろう。

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