バンクーバーに行くならこれを見てほしい、映画「バンクーバーの朝日」

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日本からも最も近いカナダの都市バンクバーは穏やかな気候と治安の良さ、有名大学UBCやSFU、語学学校が多くあることから日本人留学生に人気の都市です。また、国際結婚や仕事で移住する人も多く、沢山の日本人が住んでいます。
ブラジルやハワイ、アメリカ本土に向けて戦前に多くの日本人が移民をしたことはよく知られていますが、バンクーバーにも大きな日系コミュニティーが存在していました。
かつてバンクーバーには、パウエル街(Powell Street)と呼ばれるリトル東京が存在していました。最も繁栄していた1940年頃には、パウエル街の日系人人口は8,400人にも達していました。
今でこそ平和で(ほぼ)人種差別のないバンクーバーですが、戦前・戦中・戦後と激動の時代をたくましく生きた日系人たちがいました。厳しい時代の中で彼らの誇りだった日系人野球チーム「朝日」をモデルに描いた映画「バンクバーの朝日」を是非ここで紹介させてください。

 

映画「バンクーバーの朝日」とは


フジテレビジョン開局55周年の記念作品として2014年に制作された日本映画です。監督は石井裕也、主演は妻夫木聡、助演は実際に野球経験のある亀梨和也、勝地涼、上地雄輔、池松壮亮らが務めています。

あらすじ
1900年代初頭、沢山の日本人が新しい土地での希望を胸にカナダへと渡りました。しかし、彼らを待っていたのは過酷な労働と安い賃金、人種差別でした。彼らは困難に立ち向かいながらも懸命に生きていきます。そんな中、日本人街に野球チーム「バンクーバー朝日」が誕生します。体の小さい日系人は、白人チームに負け続け、万年リーグ最下位でしたが、チームの存在は日系人たちの希望の星でした。ある年、キャプテンに就任したレジー笠原(妻夫木聡)は、バントと盗塁を多用するプレースタイルを思いつき、頭脳野球で白人チームを翻弄、勝利を重ねていきます。差別にも負けず、フェアプレーの精神を貫く朝日軍の戦い方は、やがて白人たちをも魅力するようになります。弱小チームは優勝争いに出場するまでに成長していきます。
しかし、時代は彼らに味方せず、1941年、母国日本が真珠湾を攻撃、太平洋戦争が勃発すると日系人たちは敵性国民として強制収容所へと送られます。バンクーバー朝日は解散してしまいます。

 

バンクーバーにおける日系人の歴史


カナダに初めて移住した日本人は、長崎県出身の永野萬蔵だといわれています。1877年のことです。日本人の移民が本格化したのは1880年代に入ってからで、漁業や林業に従事するための安い労働力として迎え入れられました。1891年に、横浜出身の石川勝蔵がパウエルストリートに日本人向けの旅館「JAPAN ROOM」を開業すると、そこを中心に日本人のコミュニティーが形成されました。
日系人たちは、人種差別と過酷な低賃金労働に耐えながらも懸命に働きました。しかし、彼らの勤勉さは、白人たちから日本人が自分たちの仕事を奪っていると悪意的に思われ、度々排斥運動が起きてしまいます。そして1907年、ついに白人たちの不満が爆発、白人至上主義者たちが集結し、日系及び中国系の居住区に乱入します。パウエル街の日本人たちは、日本刀や木刀を振りかざし、防戦したのです。
そんな厳しい時代背景の中1914年、”日本人の誇りを白人たちに見せつけたい”という思いから、野球チーム朝日が結成されます。
初代の監督には宮本松次郎が就任し、15歳前後の日系2世の少年9人を選び抜いて猛特訓を開始しました。特訓の末チームはどんどん力をつけていき、5年目の1919年には、マイナーリーグにあたるインターナショナルリーグで優勝を果たします。

・・・朝日軍の勇姿は映画をご覧ください・・・

ようやく明るい兆しが見えてきた日系社会でしたが、1937年、日中戦争が勃発します。チャイナタウンとパウエル街は隣り合わせで、これまで共存してやってきましたが、中国系市民から激しい反発を受け、日本製品の不買運動が起こります。不買運動は徐々に他の移民や白人たちにまで広がっていきました。

第二次世界大戦が始まると、日系人は戦時措置法により、全員敵性外国人として登録しなければならなくなり、財産を没収され、強制収容所に送られるか日本へ帰るかの選択を迫られます。住人たちが去った日本人街は衰退します。終戦後も日系人たちの財産の返還は認められず、日本人街が復活することは二度とありませんでした。
1988年、カナダ政府は第二次世界大戦中およびその後に日系カナダ人に対して行われた不当行為をようやく認めました。戦時措置法によって不当な扱いを受けた日系カナダ人全員に補償金を支払うこと、戦時措置法に従わなかったために犯罪者とされた人たちの犯罪歴を末梢すること、日本へ追放された日系カナダ人の市民権を復権すること、日系コミュニティーを再構築するためのコミュニティー資金を設置するなどの取り決めが発表されました。

 

朝日軍のその後


朝日軍は戦後再結成されることなく、その栄光は埋もれてしまいました。朝日軍の解散から60年以上たった2003年、彼らによるカナダの移民社会および野球文化への功績が認められ、カナダ野球の殿堂入りを果たします。殿堂入りするのは、メジャーリーガーなど超一流選手ばかりの中、日系人アマチュアチームが選ばれたのです。忘れられていたチームは一躍脚光を浴びます。

 

パウエル街の今

もともとチャイナタウンに隣接していたこともあり、日系人が去った後は中国人やその他の移民たちが移り住みました。残念ながら現在のパウエル街は、日本人街と呼べる明確な地区はなくなってしまいました。それでも日本語学校、日系人のメソジスト教会、仏教寺院は今だ残っています。日本人街であった面影はほぼありませんが、毎年夏にパウエル祭(Powell Street Festival)と呼ばれる日系カナディアンのイベントが、朝日軍が拠点としていたパウエル球場、現オッペンハイマー公園を中心に開催されます。食べ物の屋台や手芸や工芸品のお店が並び、御神輿を担いだりと賑やかに繰り広げられます。

朝日軍が拠点としたパウエル球場は、オッペンハイマー公園(Oppenheimer Park)として市民に開放されています。

 

まとめ

現在のバンクーバーは様々なバックグラウンドを持った人々が共存し、平和なコミュニティーを築いています。カナダに限らずですが、日本人というだけで、親切にしてくれたり、信用してもらえたりと、日本人であって良かったと思える場面が多々あるのですが、それは私たちよりずっと前の世代の方々が築き上げた信頼の賜物なのです。筆者自身、映画と通してここで生き抜いてきた人々の苦労を感じ取ることができました。機会があれば是非バンクーバーを訪れてみてください。緑に囲まれ、人々もフレンドリーでとっても良い街です。

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