ペトラ遺跡に行ってみた。行き方、治安、入場料など

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Petra

広大な岩と砂の世界の中で発見されたバラ色の古代遺跡~ペトラ遺跡/ヨルダン

ペトラでは、岩が持つ天然の柔らかい赤みかかった色をバラ色と呼ぶ。

峡谷の壁、神殿や墳墓で見られる削られた柱や装飾などは、この天然のバラ色のグラデーションで美しく彩られている。

古代に繁栄しながら、何百年もの間、砂と岩とベドウィン文化によって隠されてきたペトラ遺跡は、今ようやくその一部が発掘され、日の目を見たばかりである。

ペトラ遺跡の歴史

紀元前1200年というはるかな古代から、この地にはエドム人が暮らしていたと考えられているが、情報源の旧約聖書の内容からは詳細は伝わってこない。

紀元前1世紀頃から、その後のペトラを繁栄へと導くナバテア人が移り住んできたらしい。ナバテア人は貿易によって富を得ていたが、ローマの支配下に置かれることとなり、遺跡として残る多くのローマ建造物はこの時代に建てられたものである。

ペトラは、ローマの支配下には入っても、税を納めることで自治を認められていたが、紀元後2世紀初頭に起こった反乱をきっかけに全面降伏し、ローマの属州となった。

その後、ヨーロッパやアラブ・西アジアの他地域同様、キリスト教やイスラム教の影響を受けて、文化的にも政治的にも変化が続いたが、ペトラは細々と都市として機能しつづけていた。

しかし、769年の大地震によって廃墟となったといわれている。

12世紀に入り、十字軍が要塞を築いたことはあったが、その後はベドウィンが閉鎖的に暮らす地域として、外界との接触を断った状態が長く続くことになった。

ペトラの名が遺跡として世界に再び知られることになったのは、19世紀に入ってからのことである。

埋もれ続けたペトラ遺跡

769年の大地震の影響で都市としての機能を失ったペトラは、時間とともに、砂に埋もれ、岩は風化し、また洪水によって破壊され、すっかりその姿を隠してしまっていた。

ベドウィンの野営地としてわずかな部分が利用されていたが、ほとんどの場所は風化に任された状態で放置されていた。

現在も発掘作業は続いている。

観光用に公開されているのは、ペトラ遺跡の1%に過ぎないと考えられている。また、発掘作業によって日の目を見ている部分でさえ、30%程度だと言われ、現在も多くの歴史的発見が日々行われている。

世界でも、もっとも歴史的注目を浴びている地域の一つといえる。

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遺跡入場口からシークの入り口へ

Seek

ペトラは岩の峡谷と高地で構成されていて、古代における都市ペトラへの入場口ははっきりしていない。しかし、現代のペトラへの入場は東側からとなっている。

東からのアプローチは、シークと呼ばれる細い岩の峡谷へとつながっている。この峡谷は、砂岩の亀裂によって生じた隙間であり、わずか数メートルの細さしかない部分もある。また、時に起こる洪水の際には水路となり、ペトラが都市として機能していた時代には、シーク脇に水路が作られていたとされる。

シークの壁には、「インディ・ジョーンズ」の撮影で使われたという鉤が残されていて、世界遺産にこんなものをつけたままでいいのか? という疑問はわくが、現地では一つの見せ場として扱われているようだ。

ナバテア人のダムとシーク

ナバテア人は、ペトラにおける治水措置としてダムを建造していた。その跡が残されている。

ダムは切り出された岩を積み上げて峡谷をふさぐ形で造られていて、時にはその下部の岩を動かすことで、シークを水路として水量を調節していたと考えられている。

エル・カズネ神殿

狭い峡谷であるシークの執着地点にあるのが「エル・カズネ」と呼ばれる美しく精密な神殿である。

うっすらと赤い地色を持つ岩が、日の光によってさまざまな色に変化するといわれる、ペトラでも随一の見どころといえる。

もとは王とその妻の墓として岩を削って造られたが、後に神殿として利用されるようになった。また、「エル・カズネ」はアラビア語で「宝物殿」を意味するため、たびたびベドウィンたちが宝を求めて襲撃をかけたという。

神殿上部にある壺が欠けているのは、その際の銃撃の跡らしい。

神殿群

岩でできているといっても過言でないペトラ遺跡だが、柔らかく掘りやすい性質の岩であったため、非常に多くの神殿や石像が掘られている。

エル・カズネ周辺では、シャドラ神に捧げる「生贄の神殿」や名のない大小500を超える神殿を見ることができる。

保存状態のよくないものもあるが、見比べていくと、それぞれの神殿が、異なった岩の特性や色を活かした美しさを持っているのが分かる。

岩窟墳墓

ペトラでは、墓もまた岩から削りだされて作られている。地震や風化によってほとんど崩れ去ってしまった住居に比べ、500以上残っている岩窟墳墓は、その建築段階で頑強に作られていたことが分かる。

これは、ナバテア人が、墓を来世まで残しておこうと考えた結果だと考えられている。

墓はどれも空だが、繊細な彫刻装飾が施されていて、見ごたえがある。

ローマ劇場

RomanTheatre

ローマの支配を受けた都市には必ず作られた劇場が、ペトラにも残されている。

3000人以上を収容できるローマ劇場は、ナバテア人がもともと建造して使っていた劇場をローマ風に改築したものだといわれている。もちろん、ここも岩から掘り抜かれて造られている。

また、現代の劇場とはその使われ方が異なり、主に神聖な行事や祭式のために使用されたと考えられている。それは、生贄のための祭壇が残されていることからも想像できる。

ローマ人街

ローマ劇場を抜けてさらに進むと、ローマ人たちによって作られた街の跡に出る。

そこは、石畳が敷かれた路が通り、脇には水路が作られ、路の両脇には巨大な列柱が立ち並んでいる。周囲の岩と砂の景色さえなければ、ローマやギリシャの遺跡そのものである。

列柱の並ぶ通路を抜けると、精緻な彫刻装飾で飾られた凱旋門が立ち、遠い過去にローマの軍隊がここをくぐって凱旋してきたのだろうと想像される。

フォーラム

フォーラムとは、遺跡の中にある小さな街的な場所で、広大な遺跡を歩き疲れた足や乾燥した空気で干からびた喉を癒してくれる貴重な場所である。

レストランや売店があるほか博物館もあり、ペトラで発掘された遺物の展示をゆっくりと見学できる。バラ色とはいえ岩だけの遺跡と化したペトラの栄華を忍ぶ品々は、是非見ておきたい。

また、珍しいベドウィンの民芸品を扱う小さな店を覗いていくのも楽しい。

エド・ディル

800段もの階段を上ってやっと到達できる丘の上にあるのが「エド・ディル」。見晴しもよく、早朝や夕方に訪れると、ペトラ遺跡がオレンジやピンクに染まる様子を俯瞰できる。

その名は修道院を意味するらしいが、巨大な神殿であり保存状態も良い。ただし、そこへ至るまでの道の険しさから、訪れる人は少なめだ。

ナバテア独特の様式によって造られたとされ、3本の棒と円を繰り返す模様があちこちに掘られているのが特徴。

映画「トランスフォーマー・リベンジ」のロケ地としても使われたことで知られている。

王家の墓

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岩場を抜けて、視界が広がったところに現れるのが、巨大岩窟墳墓たち。これらを「王家の墓」と呼ぶ。

「アーンの墓」は、巨大な岩の壁面にくりぬかれた神殿のような墓。「宮殿の墓」は大きさこそ「アーンの墓」に負けるがその装飾やデザイン性で目を引く存在だ。

ベドウィンと馬とラクダ

Camel

長くこの地に住み着いていたベドウィン族は、ペトラから立ち退くにあたり、ペトラ内での営業権を得た。そのため、ペトラ遺跡内で販売を行うのも、ペトラでの交通手段である馬やラクダの斡旋を行っているのも、ベドウィンだ。

ペトラ遺跡は最も短いコースを取って見学しても3時間はかかるといわれ、エド・ディルなど、コースから外れて上ったり下ったりする場所も訪れていると、半日から1日がかりの観光となる。

そのため、平らな場所の移動手段として馬やラクダが使用されている。入場からシークを通り抜ける区間などに使用すると、後の上りのための体力を温存できる。

また、許可制になるが馬車も使用できる。こちらは、高齢者や体の不自由な人のための営業となっているので、観光案内所で許可証を発行してもらってから利用することになる。小さな屋根もついているので、炎天下での移動手段としてありがたい存在だ。

注意事項

乾燥と暑さには要注意。

フォーラムで休憩が取れるとはいえ、遺跡は非常に広いため、十分な量の水分を持参すること、日除けのための装備は欠かせない。

できれば、早朝に出発することが望ましい。または午後遅くなってからの夕焼けを狙っていくのもおすすめだ。

最後に

日本からの直行便もなく、アジアやヨーロッパの主要都市から乗り継いでようやく入国することができる国ヨルダン。

その首都アンマンからさらにバスで4時間近くかけてようやくペトラ遺跡観光の中心となる村へと足を踏み入れることができる。最短で向かったとしても、20時間近くかかる遠い地だ。

直接手をかけることなくあらゆるものが作られ、手に入れることもできる現代と、全てが自然の地形をコツコツと削ることで造りだされたペトラ。

遺跡の中に入ると、自分の小ささ、微力さと同時に、人力でここまでのものを作りだすことが可能なのだとう驚きの両方を身に染みて感じることができる。

そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。

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