十字架の丘と周辺観光地全部行ってみた。行き方なども

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リトアニア人の魂の叫びと平和への祈りが刺さった丘~十字架の丘/リトアニア・シャウレイ県

リトアニア人の悲しみと苦しみと、それに対する強い抵抗を体現している十字架の丘。

破壊されてもまた建てられた十字架は、独立を勝ち取り平和が訪れた今も増え続け、その数は5万を超えるといわれる。

2001年には、無形文化遺産にも登録された。

十字架の丘の姿と意味

5万本を超える十字架や聖なる像が立ち並ぶ丘として知られるのがシャウレイの「十字架の丘」だ。

畑が広がる中にこんもりと盛り上がった丘、そこに群がるように立つ夥しい数の十字架は、訪れて目にした旅人に何かを訴え迫ってくる。

抑圧と抵抗を繰り返してきたリトアニアの歴史の中で、何度となく破壊されてきた十字架たち。リトアニア人の深く篤い信仰心に支えられ、破壊されても必ず破壊される以前以上の姿へとよみがえってきた。

その存在自体が「抵抗」を意味しているのだ。

現在のリトアニアは何に抵抗するのか

newly wedded couple walks through cross

リトアニアが独立を確保し政治的な平和が訪れた現在、リトアニアは経済的にも成長し始めている。しかし失業率は高く、実生活の安定は住民全てに平等にいきわたっているわけではない。

戦争や紛争こそ終わったリトアニアだが、国別の自殺率は世界一という統計もある。現在の十字架は、リトアニア人が新たに背負った経済的な不安という重さを映しだしているのかもしれない。

一方で、リトアニアの平和と愛のシンボルでもあるため、結婚式の後に十字架を捧げに訪れて永遠の愛を誓うカップルも多く、十字架の丘には結婚式の姿のままの新郎新婦を見かけることも多い。

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十字架の丘の始まりと最初の意味

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最初の1本となった十字架にまつわる話ははっきりとは伝わっていない。

ただ一説では、14世紀頃に他国からの侵略を受け続けていたリトアニア人が祈りを捧げようと集まり、十字架やキリスト像などを持ち寄ったのが始まりだろうといわれている。

リトアニアが十字架の生産地であったこと、リトアニア人が信仰深かったことから、木製の十字架は身近な存在でもあったのだろう。

現在のように大型の十字架が複数立てられたのは、1831年にロシア帝国に対する「11月蜂起」の後。戦いの中で犠牲となった家族を悼んで十字架を立てたことをきっかけに、この丘はリトアニア人の愛国心と強い抵抗とを象徴する場所になっていったのだ。

十字架の丘の苦難とリトアニア人の苦難

十字架の丘の存在をしったロシアは、何度も十字架の破壊・撤去を行った。しかし、リトアニア人は、全ての十字架がブルドーザーでなぎ倒された丘に、新しい十字架を立てつづけ、ロシアに対する抵抗の意思を見せつけた。

業を煮やしたロシアは、ダムの建設によって十字架の丘を含む一帯を水没させる計画も立てていたといわれる。

1933年にローマ教皇が訪れたことで、リトアニア人の聖地から、全世界のカトリック教徒にとっての巡礼地になった。

十字架の丘で十字架を買う

Souvenir

十字架の丘の周囲は畑ばかりだが、丘から少し離れたところにある駐車場近辺にはお土産物店も出ている。

主に十字架関連の品なのはもちろんだが、売れ筋はロザリオ。数珠のように珠を連ねたネックレスに木彫りの十字架がついたものが多い。

お土産に持って帰る人もいるが、旅人の多くはここで買ったロザリオを十字架の丘のいずれかの十字架にぶら下げることで、祈りを捧げ、幸運を得ようとする。

巡礼者たちは、肌身離さず持ってきたロザリオを捧げていくようだ。

十字架の丘への行き方

シャウレイからは12km。ヨニシュキス行きのバスに乗り、「ドマンタイ」で降りると、十字架の丘への道筋を示す十字架がそこかしこに立っている。

バスを降りた地点では、まだ十字架の丘そのものは見えず、参道のように整備された路の両側に立つ十字架が、道が間違っていないことを教えてくれるばかりだ。

タクシーはメーターこそあるが、料金は基本的に交渉制。バスより高いが、バスの運行時間に限りがあるため、往復料金で交渉したタクシーで行き、帰りは現地で待っていてもらうと安心だ。

シャウレイ聖ペテロと聖パウロ教会

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17世紀に建てられた70mの塔を持つカテドラル。シャウレイの中心となる建物で、あらゆる通りがこのカテドラルに向かっている。

シャウレイの街と同様に、紛争や戦争によって破壊されては修復を繰り返してきた。白い壁と赤い屋根が目印の教会は、高い建造物の少ない小さな街でもっとも目立つ存在だ。

教会の外壁にはリトアニアらしい木製の十字架の姿があるほか、教会の南側にはリトアニア最古の日時計がリトアニア時間を指している。

フランケル・パレス

20世紀初頭に建てられたモダンな建造物。

内部はミュージアムになっていて、当時の生活の様子を偲ぶことができる。

さまざまな催しが開かれることも多い。また、付属のレストランは居心地の点でも味の点でも、シャウレイ随一のおすすめだ。

RUTAチョコレート工場

リトアニアを代表するチョコレート会社に発展したRUTA。1913年にシャウレイに小さな工場を立てたのが始まりだった。

現在は工場付属のミュージアムとなっていて、甘い匂いの漂う中、RUTAのスイーツの歴史や製法などを学ぶことができるほか、もちろん購入もできる。

カウナスの「杉原千畝記念館」とのコラボ製品「杉原千畝チョコレート」の生産もしている。

アクロポリス

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シャウレイの街から少し離れたところにあるショッピングモール。

スーパーマーケットやレストランのほか、ジュエリーショップも入っている。シャウレイに宿泊することがなければ立ち寄ることはないかもしれないが、ゆっくりと半日程度を過ごすのに適した場所だ。

シャウレイ内の変わったミュージアム

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猫だらけの「猫ミュージアム」、自転車だらけの「自転車ミュージアム」など、大きくはないが、興味を絞った面白い展示のあるミュージアムが何件かある。

シャウレイでのバス待ちなどに立ち寄りたい。

最後に

11世紀から「リトアニア」という国は存在してきたが、この地にカトリックが定着したのは16世紀頃だという。

ロシア帝国の支配下でカトリックが弾圧されたことがきっかけとなり、リトアニア人はカトリック信者として団結を強めていったのだ。それが形となって現れたのが十字架の丘だ。

二度の世界大戦においても、リトアニアはロシアやドイツの影響を受け、常に虐げられてきた。さらに、ソビエト連邦に編入された戦後には、当局と戦った兵士や支援者は殺害されたり、強制連行されるなどで数十万人が犠牲になったとされる。

辛く重い苦難の歴史を背負ったリトアニア人の心の拠り所となった十字架の丘。1991年にようやく独立を勝ち取ったばかりのこの国は今、経済を相手に戦っている。

観光にも徐々に力が入れられ、旅をしやすい国へと変貌しつつある。特に、リトアニアでは戦中にユダヤ人の亡命を手助けした杉原千畝の名前が知られていて、親日的な態度に触れることもある。

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