35億人の聖地エルサレムの旧市街、城壁群を歩いた感想と写真集

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約35億人の聖地、エルサレムの旧市街とその城壁群

エルサレムの旧市街とその城壁群(Old City of Jerusalem and its Walls)は、エルサレムにあるユネスコ世界遺産のひとつです(1981年登録、文化遺産)。

エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教にとっての聖地です。つまり、合計35億人もの人々にとっての聖地だということになり、訪れる人は後を絶ちません。エルサレムは世界の縮図だと言っても過言ではないでしょう。

人類のありとあらゆる文化の発展を裏支えしてきたいくつもの宗教の重要地点ですから、その文化的価値の高さは言うにおよびません。
ユダヤ教の神殿やキリスト教の教会、イスラム教のモスクなど、宗教的側面のみならず美術的側面からも保護されるべき建造物がたくさんあることでも知られています。

一方で、周辺情勢が不安定なため、エルサレムの旧市街とその城壁群は「危機にさらされている世界遺産」リストにも認定されています。今後、充分な保護がなされるよう求められる物件です。

エルサレム旧市街は壁の街

現在のエルサレム市の面積は125平方キロメートルにおよびますが、旧市街と呼ばれるのはそのうち、0.9平方キロメートルの区画のみです。19世紀半ばまでは、エルサレムといえばこの範囲だけを指しました。
よって、宗教上重要だとされる遺跡も旧市街の範囲に限定されます。

そしてその外観上の特徴はといえば、周囲から街を隔絶している壁でしょう。聖書にも「堅固な壁に守られた重厚な城塞都市であった」と書かれているように、エルサレム旧市街といえば「壁の街」です。
世界遺産への登録物件名が「~旧市街とその城壁群」となっているのもうなずけます。

紀元前11世紀にダビデ王がエルサレムを支配していた時代には、エルサレムにはすでに立派な市壁が築かれており、それは息子のソロモン王の時代になってさらに拡大されました。
その後、覇権争いの激しかった13世紀ごろには、市壁は何度も破壊されましたが、そのたびに新しい支配者が壁の再建をしてきました。破壊と再建が繰り返されることで、より「壁の街」という印象が強まったのは皮肉なものです。

エルサレム旧市街に現存する壁は1538年、スレイマン1世によって建造されたものです。長さ4.5キロメートル、高さ5~15メートル、暑さ3メートルの壁は、エルサレム旧市街が俗世とは一線を画す聖地であることをまじまじと示してくれています。

壁の街への出入りは門からのみ

旧市街の内外への出入りは、市壁に開けられた門からでなければできません。

門は全部で11ありますが、現在開いているのは7つのみです。これらも、新門を除いてすべてが400年以上昔の建造物ですので、非常に文化的価値の高いものとなっています。門それぞれに違った魅力がありますので、ぜひ自分の目で見比べてみたいものですね。

【開いている門の一覧】

・新門(New Gate / Gate of Hammid / HaSha’ar HeHadash)
北側の西に位置する門で、名前のとおり11の門のなかで最も新しく造られたものです。ほかが16世紀以前のものであるのに対し、こちらだけが1887年の建造となっています。

・ダマスカス門(Damascus Gate / Sha’ar Shkhem)
北側の中央に位置する門です。1537年に建造されました。最も賑わいのある門であり、キリスト教徒地区とムスリム地区との境界線ともなっています。

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・ヘロデ門(Herod’s Gate / Sha’ar HaPerachim)
北側の東に位置する門です。開いている7つの門のなかでは唯一、建造年が不明となっています。

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・ライオン門(Lions’ Gate / Sha’ar HaArayot)
東側の北に位置する門です。1538年から1539年のあいだに建造されました。「ライオン」というのは、スレイマン1世の見た夢に由来するもので、門に2頭のライオンを刻むよう命じられたことから造られました。

・糞門(Dung Gate / Sha’ar HaAshpot)
南側の東に位置する門です。1538年から1540年のあいだに建造されました。嘆きの壁に近い門として知られ、バスなどの乗り物にとっては主要な通り道となります。

・シオン門(Zion Gate / Sha’ar Tzion)
南側の中央に位置する門です。1540年に建造されました。

・ヤッフォ門(Jaffa Gate / Sha’ar Yaffo)
南側の中央に位置する門です。1530年から1540年のあいだに建造されたと考えられています。
キリスト教徒地区とアルメニア人地区の境界でもあります。

【閉じられている門の一覧】

・黄金門(Golden Gate / Sha’ar HaRahamim)
東側中央に位置する門で、6世紀に建造されたものです。現在は閉じられていますが、造形の美しさではすべての門のなかでも上位の人気です。

・一重門(Single Gate)
・二重門(Double Gate)
・フルダ門(Huldah Gates / Sha’ar Chulda)
3つとも神殿の丘の南の壁にある門です。フルダ門は三重門とも呼ばれ、それぞれ名前のとおりアーチを1~3個持っています。

エルサレム旧市街を構成する4つの地区

エルサレム旧市街は、北東部がムスリム地区、北西部がキリスト教徒地区、南東部がユダヤ教徒地区、南西部がアルメニア人地区と、宗派によって4区画に分けられています。

【ムスリム地区】 – 北東部

エルサレム旧市街の4地区のなかで最も面積が大きく、最も人口の多い地区がムスリム地区です。ライオン門やヘロデ門があります。
1929年までは宗派の分け隔てなく人々が住んでおり、「雑多な地区」とも呼ばれていた場所ですが、1929年の嘆きの壁事件を境にムスリムばかりが住むようになりました。
ここにある重要地点としては、岩のドーム(Dome of the Rock)が挙げられます。ムスリムにとって第3の聖地と呼ばれるモスクで、世界最古の寺院のひとつとされます。

【キリスト教徒地区】 – 北西部

キリスト教徒地区はエルサレム旧市街の北西端に位置しています。
エルサレムがキリスト教にとっても聖地とされているのは、この地区内に、イエス・キリストが十字架を背負って歩いたとされる「悲しみの道」があるためです。イエスがつまずいた場所や手をついた壁など、その足取りを辿るキリスト教の巡礼者の姿がよく見られます。終着点である聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre)はキリスト教にとって最大の聖地といえます。

【ユダヤ教徒地区】 – 南東部

紀元前8世紀ごろからユダヤ人が住んできた歴史ある地区です。20世紀半ば、エルサレムがヨルダンの支配下にあった時代には強制退去を強いられましたが、その後再建が進み、現在では2,000人以上のユダヤ人がこの地に住んでいます。
地区の東端には、ユダヤ人の聖地である嘆きの壁(Wailing Wall)があります。かつてはユダヤ教の神殿があった場所で、その外壁の一部分だけが残されたものです。

【アルメニア人地区】 – 南西部

アルメニア人もキリスト教徒ですが、キリスト教徒地区とは区別されています。エルサレム旧市街の4地区のなかで最も小さく、人口も最少の地区です。
このように、勢力としては最小なのですが、アルメニア人たちは歴史上ずっと独立を保ってきたたため、その存在感はけっして弱くありません。

エルサレム旧市街へのアクセス

空路では、ベン・グリオン国際空港(Ben Gurion International Airport)からイスラエル入りするのが一般的です。ただし、世界一セキュリティの厳しい空港として有名なので、出入国の際にはかなり時間に余裕をみておいたほうがよいでしょう。

空港からエルサレムまでは、シェルートと呼ばれる乗り合いタクシーで1時間ほどです。

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