カトマンズ~ネパールまとめ旅ノート

»旅を職業にしたい人募集中!旅を人生の中心にしてよりハッピーな生き方に!「詳細はこちら」

★aya(ママ) ★yui(長女 14歳) ★aki(次女 11歳)

 

スノウリ国境~ブトワル~タンセン~ポカラ~チトワン~カトマンズと約3週間かけてネパールを旅して感じた事を書き残しておこう。

※絵:aki11歳 作

まとめ

◆永遠に続くイロハ坂

20160319_120008

ネパールには鉄道がないのですべての移動はバスに頼ることになるから、とにかく町と町の移動が大変だった。カトマンズとポカラの一部を除く殆どの町が山間に無理やり作った町という感じで、とにかく平たんな場所がない。

舗装されていない凸凹のイロハ坂がネパールの最西端から最東端まで続いていると想像してくれれば分かりやすいかもしれない。

しかも道幅が狭く急こう配の崖に挟まれた道はかなりスリリングで寿命が縮まる思いだった。実際、運転手が数センチハンドルを切り間違えれば数百メートルの谷底にバスごと落ちてあの世行きだからね。

そんな理由で毎回移動日は大人も子供たちも心底疲れていた、でもまあ、それが逆に良い思い出となったのは間違いないことだけど。

◆ネパール人

※写真:インド系ネパール人

山間に暮らす人々はチベット系民族とインド系民族が5対5という感じだけど、性格はどちらも非常に大人しくって穏やかだった。

僕らは何かと苦労の多かったインドから入ってきたのでインド系の人種に対する警戒心がかなり強かった。でもネパールのインド人?は、顔がインドでも中身が穏やかなネパール人だからしばらくは何だか物足りなく、しっくりこなかった。

まあ、それも数日で慣れてきて、インド系の人々にも穏やかに接して歩けるようになったけどね。

こちらから警戒心を解いて穏やかに会話をすれば、彼らがどれだけ暖かい人々なのかがよくわかるし、日本人と似て少しシャイなのもまた心地がよかった。

そして彼らと話していてちょっと面白いと思ったのは、ネパール人の会話はまず自分の家族の紹介から始まるという事だ。携帯に収められた家族の写真を見せながら嬉しそうに「これが妹、これが両親、これが妻、これが子供たち」ってな感じで永遠と自分の家族の自慢?話が始まる。

こちらから聞いていなくても何枚も写真を見せて紹介してくれるんだけど、日本人の感覚だとかなりズレているよね。いきなり初対面で家族の写真を見せて家族紹介だよ?

でもこれがまた、なんだか温かくて心地よっかったな。みんな家族を本当に愛してるってのが伝わってきたよ。

今まで沢山の国で様々な人種と話してきたけど、ネパール人は上位で好きな人種かもしれない。日本人の性格とよく合うし、ネパールがとても親日なのでいやな思いをすることは殆どなかった。

この国と人、結構好きになったかも。

◆ネパールの風景

道路事情も含め「ネパールらしさ」が残るのはやはり山間の小さな町に限られていて、ポカラやカトマンズといった大きな街は既にありきたりなアジアの都市とインドが混ざったような雰囲気で人と車がごった返していて、あまり魅力はなかった。

つまり過酷なバスに揺られ山間に点在する町に滞在し歩かなければ、真のネパールの風景や人々の温かさを感じることは出来ないという事だ。そう考えるとあの拷問かと思えるほどつらいバス移動を選択したことは大いに正しかったと今に思う。

ここネパールにあるヒマラヤ山脈は、地球の屋根と言われているだけあって、殆どの町が標高1000メートル以上の場所にある、そんなわけでどこの村からも壮大な山々を見渡すことができて、自然が大好きな僕らはどの町でも気分が良かった。

特に標高1000メートル以上にあるタンセンからの景色は壮大で、まるで天空の街のようだった。石段が続く古い町並みも僕らの心を惹きつけた。

バス移動を除けば、人も自然も街並みも僕らにはとても居心地が良くて暮らしやすく、久々にもう一度訪れてみたい国が見つかったかな。

ビザの関係で今回の旅ではカトマンズより東には行く事ができなかったけど、次回ネパールに訪れる時にはネパールの東側、世界最高峰の山チョモランマを目指して旅したいと思う。

日々の日記の一部

★yui

インドからネパールの国境を越えてすぐにガラッと変わった。
まだふいんきはあんまり変わらなかったけど、人、車、が減って、クラクションのブーブーブーブーなる音もなくなった。
ネパールはあんまり知名度がない?から知らない国だったけど、けっこう過ごしやすい国だった。
インドも刺激的だったけど、ネパールの方も同じくらい思い出が出来たと思う。
ネパールは気候が涼しくて、人も穏やかだったから、自分たちもインドでピリピリしてたぶん、穏やかになったと思う。
ユイが一番ネパールで思い出に残ってるのは、初めの長距離バスに乗ったことと、サファリをしたことだった。
初めの長距離バスでは、今まで乗ったバスで一番危険で、きついバスだったと思った。
でも、地元の人はほとんどツーリストバスでは見かけないから、いつもこのバスに乗ってるんだろうと思った。
きっとこういうバスを乗ることはもうないだろうと思った。
チトワンでは、二日目のゾウさんの水浴び体験が楽しかった。
ちょっと降りるときとか怖かったけど、いい経験ができた。
ゾウさんに乗って、ジャングルに行くのは、想像してたのと、同じくらい楽しかった。
ネパールは日本食とか韓国料理を食べた。
ゆっくり過ごした場所だった。

★aya
ブトワル、タンセン、ポカラ、チトワン、カトマンズ

スノウリの国境~ネパールに入った瞬間から風景や人々、街の雰囲気が一瞬にしてガラリと変わった。道路は舗装されていて車の数も少なく、クラクションを鳴らしている人も少なく、人々もとてものんびりした人たちが多く、山も自然もたくさんあり、吸い込む空気が綺麗でとても美味しく感じた。

 

一番驚いたことは日中ずっと停電だった事。電力不足でどこのホテルも節電していて夜の20時~朝方のみしか電気を使用することができなかった。パソコン類の充電が思うようにできず、時にはホテルのフロントの僅かなバッテリー充電器をかりながら仕事をしたりもした。

 

そして一番つらかった水シャワー。お風呂に入らないと絶対に寝られない私でさえもお風呂に入りたくなくなった位つらかった。あまりにも水が冷たく酷いときには濡れたタオルで体だけ拭き、メイクを落として髪の毛だけ洗う日々が続いたこと。時々、お腹が冷えてしまいなかなか寝付く事が出来ずにいたり、子供たちは冷たいけど体が慣れてきたようで文句ひとつ言わなかった。

 

時々、お風呂場から「ヒャ~!!!ヒィ~!!!」という悲鳴が部屋中に響き渡ったりしたくらい。

 

ネパールの人たちはとても穏やかで気になる商品をじっと見ているだけでも押し売りすることなく、気長にのんびりと待っていてくれた。

買わなくても不機嫌なそぶりはなく、とてもシャイな所がどこか日本人と似ているなと思った。

 

写真を撮られるのは大好きな様子だけどいざカメラを向けると恥ずかしがった逃げてしまう人が多かった。けど、笑顔がチャーミングでとても可愛らしかった。そしてネパール人の全員と言っていいほどみんなが親切だったこと。

 

道に迷っているとすぐに話しかけてきてくれて教えてくれたり、分からない事などはわからいままにせずほかのネパール人に尋ねてくれたり、日本でもこんな風にあかの他人同士さりげなく話せる国だったらもっといい日本になるはずなのに今の子供たちはさらにコミニュケーション力がなくなっていっている現実を目の当たりにしとても残念でならなかった。

 

この先、日本国内だけに子供たちの将来を委ねることはできないと確信することができた。

★aya
ネパールに来てから二週間が経ち、ずっと続いている電力不足でお風呂はもちろんぬるい水で、1日に14時間~17時間も電気の来ない状態が続いている現状。昼間はずっと停電で一切の電気製品が使えず、20時過ぎに電気が使えるようになり、PCや携帯、カメラなどの充電を急いで始めます。

 

私たちが不便なのはこれくらいしかありませんが、ネパールの人たちはもう何年もこの生活をしています。一つの家庭が購入できる電力量も決まっていてホテルの人たちは暗い中で料理を作り、大量にある洗濯物は手で洗って絞り、お客さんのためにものすごく節電を心がけてくれています。大変なはずなのに全く辛そうな顔は一切見せず、むしろみんなとっても笑顔だから私たちのほうが心配になるくらい。

 

ネパールもあと残り2日だと思うとなんだか寂しいな。

★aya
チトワンのバスパークを8時に出発しカトマンズへ向かう。途中から乗ってきた学生に「日本人ですか?」と話しかけられてビックリしたまま話をしてみると丁度その彼はカトマンズ空港から日本の愛知県に行くんだそう。話を聞くとネパールに帰ってきていてまた日本の専門学校に行くんだそう。

 

日本語と日本の漫画と日本料理を勉強していて私たちと普通に会話ができていた。途中、山道が渋滞した時も休憩した時もダルバートを頼んだ時も来なくて尋ねてみたら「自分でよそるんです」とか色々親切に教えてくれて心強かった。

 

バスパークの終点もわからなくて尋ねた時も運転手さんに私たちの行きたい行先を告げてくれたり本当に助けてもらえて無事にホテルに着いた。彼は、自分の故郷、チトワンで日本料理屋をやりたいと言っていて何年後かにチトワンへ行ったら会えるといいなと思った。

 

彼の好きな日本食はラーメンだそう。ホテルに向かうタクシーの中で話をしていると(15分で500ルピーも取られたけど・・・)ひと昔前はもっと日本語を話す人がいたんだそう。最近は中国人がほとんどを占めていて町中には中国語で書かれた文字を多く見かけた。

 

ネパールには沢山の日本語学校がありネパールの若者たちは今、日本の専門学校へ行き、日本語や日本食、日本の様々な文化や技術を学んでいてネパール政府は学費を半分も援助しているそうです。

 

みんなそれぞれに夢を持ち努力している姿はもの凄く活気がありパワーがみなぎっていました。バスで会った男性もこれからまた日本に戻って勉強します。

 

と明るく語ってくれました。私たちが困っているとすぐ手助けもしてくれて本当に素晴らしい人たちばかり。近い将来、日本でバリバリ働くネパール人を見かけるのもそう遠くはないような気がして嬉しくもなった。

ネパールで撮れたちょっといい写真

自由に旅をして稼ぎませんか?

自由にゆっくりと、風の吹く方向に歩む。旅そのものが職業、旅そのものが人生。
そんな生き方をする人が増える事が私たちの願いです。
だから私たちは、旅を職業にしたい人、誠の自由を手に入れたい人を心から応援しています。
このプロジェクトに参加したい人は以下の「詳細を見る」にアクセスしてください。

おすすめ

まだ読んでないの?

リアル本:2万8千部突破 世界一周の本ベストセラー

Yuuma Family – pickup

  1. アミーゴ俺はこの町から一歩も出た事がない外の世界はどうだ?輝いている…
  2. 旅に出る前の僕らは、溢れかえった『物』の中で身動きできずに完全に溺れていた。人生とい…

新着記事

  1. red
    みなさん、ミャンマーは実はワインの名産地だということを知っていましたか?ミャンマーを訪れる観…
  2. cs_promologoorangerevrgb_fullsize
    みなさん、カウチサーフィンをご存知ですか?世界中の旅行先で、無料で泊めてくれる人を探すことが…
  3. barista
    日本でも大人気のスターバックス。繁華街のスタバ店内はいつもイス取りゲーム状態です。海外ほとん…
PAGE TOP