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キプロス観光、島内を一周してみた感想と見どころ紹介

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南北に分断された地中海第3の島~キプロス島(Cyprus)/トルコ、キプロス、イギリス

先史時代から文明が栄えていたと考えられている非常に古い歴史を持つ島キプロス。豊かな自然と多くの文化遺産にも恵まれ、観光資源には事欠かない。

しかし、有史時代に入ってからのキプロスは、さまざまな権力や勢力によって奪い合われ、支配者は入れ替わってきた。それは現代になっても続いている。

現在もキプロス島は2つの国および2つ自治領域によって分割統治が行われている状態だ。

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キプロスの位置や地理

長さ240km幅100kmの島で、地中海では3番目の大きさ。アフリカ大陸のエジプトにもアジアの入り口トルコにもそしてギリシャにも近く、それぞれの影響を受けやすいことは歴史が示す通りだ。

近代に入ってからのキプロスはヨーロッパ人を中心とした観光客の誘致に成功したこと、タックスヘブンを生かした金融分野で発達が著しかったことから、経済的には安定していた。現在も投資拠点としてキプロスを利用するヨーロッパ人やロシア人などは多い。

ただ、キプロスは南部にギリシャ系、北部にトルコ系が偏って生活していて、トルコの影響下にある北部には外資が投入されにくいという事情もある。

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キプロスの分割

現在のキプロスは島南部を大きく占める「キプロス共和国」と北部の「北キプロス・トルコ共和国」、さらにイギリス主権基地領域と呼ばれる旧領主であるイギリスの軍事基地2か所によって構成されている。

キプロス共和国はギリシャ系住民がほとんどを占め、ギリシャよりの政治や文化を持つ。一方でオスマン帝国時代に移住したトルコ系住民たちは北部に集中し、トルコの海外領地のような形で「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言している。しかし、「北キプロス・トルコ共和国」を認めているのはトルコだけであり、EUに加盟しているのはキプロス共和国だけ。

2国の経済格差はGNPで3対1という格差となって現れている。

また、イギリス領地に関しては、キプロス共和国内と国境付近に位置していて、返還運動は起きているものの、キプロス共和国とはおおむね良好な関係を、北キプロス・トルコ共和国とは不可侵の関係を保っている状態だ。

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キプロス島内での観光

首都「ニコシア」・古都「パフォス」が南部の観光拠点となる。北部の首都は「レフコシア」で、古都「ファマグスタ」などが同じく拠点となる。

南北の首都は名称こそ違うが、もとは一つの都市。現在は国連が設定した「クリーンライン(緩衝地帯)によって南北に分断されている。原則として行き来は許可されているが、旅行者が北からキプロス入りした場合、越境しにくいことがあるので、3つの世界遺産を含む観光地の多くは南に集中していることもあり、南から入って行き来するのがおすすめ。

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世界遺産「キロキティア(ヒロキティア)」

キプロス南部の海岸線近くの山麓に流れる川近くに、9000年前・新石器時代の農耕民族が暮らしていた集落の遺跡が発見された。直径2m~10mの丸い基礎を持つ住居の跡が多く残されていて、壁は日干し煉瓦を積み上げ、さらに塗装もされていたことが分かっている。なかなか高度な文化を持っていたらしい。

さらに、この集落は川と厚さ2.5m高さ3mもの強固な壁で四方を囲っていたことが分かっている。ただの集団生活ではなく、外敵からの守備という共同作業も行っていたわけだ。いくつかの円形住宅は復元されていて、当時の生活の様子もうかがい知ることができる。

この遺跡は紀元前6000年頃に突然放棄されたことが分かっているが、その理由は謎。キプロス島自体がその後1500年間無人島になっていたのではないかと想像されている。その時そこでいったい何が起きたのか? 考古学者でもミステリーファンでなくても、興味をそそる。

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パフォス

パフォスには、現在の新パフォスと遺跡が残る旧パフォスとがある。

旧パフォスは、南部キプロス共和国の南西部の海岸にある都市でギリシャ神話の「アフロディーテ」が生まれた場所として古代から信仰の対象となってきた。紀元前12世紀に建てられた「アフロディーテ神殿」は、複数の神殿とそれを囲む巨大な壁などからかなり大規模なものだったと考えられている。

古代はここ「パフォス」がキプロスの首都だった。当時のローマ帝国行政官や貴族たちの館跡のモザイクには、神話の場面やキプロスの農耕の様子などが描かれている。世界遺産に登録されている邸宅跡は4件あり、それぞれに特徴あるモザイクが残されていて見飽きない。

パフォスの守りは「サランタ・コロネス」と呼ばれる城砦が7世紀から13世紀まで固めていたが、地震で崩壊してしまった。その後、「パフォス城」が新たに建てられたが、これも地震や外敵による攻撃で破壊され、現在の姿はオスマン帝国が修復したもの。そのため内部は、イスラム風にモスクも造られている。

このほか、4世紀創建の「アギア・キリアキ・クリンポリティッサ教会」や紀元前3世紀頃に建てられた地下墓地「ネクロポリス」なども、富み栄えていたキプロスの様子を知る手がかりといえそうだ。

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トロードス地方の壁画教会群

死火山であるトロードス山を含む山脈内にはギリシャ正教の聖堂や修道院が現存している。これらは、11世紀以降そこで暮らし祈りを捧げてきた信徒たちが聖堂内を壁画で埋め尽くしている。そして、その素晴らしさから世界遺産登録を受けた。

トロードスには大小さまざま、かつ時代もさまざまな宗教施設がかなりの数点在している。世界遺産指定されたものはその内のほんの一部であり、現在は使用されていないものも含めるとその数は正確に確認できていない。

代表的な聖堂と壁画は、「聖ニコラオス聖堂」の最後の審判、「聖イオアン修道院」の新約聖書30の場面など。どの聖堂も規模は大きくないため、見学そのものには時間がかからないが、聖堂のある村ごとに伝統的な家並みを持ち、非常にフォトジェニックであることなどからある程度の時間を割きたい。

しかし、一つ一つの聖堂が離れているため、多くのバスツアーは駆け足で各聖堂を巡っていき、壁画を見るのが精いっぱい。ゆっくりと村歩きを楽しむ余裕はない。かといって徒歩や自転車で回れる距離でもないため、レンタカーを利用するのが時間的な余裕がもっともとれそうだ。

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北キプロス・トルコ共和国内の見どころ

分断前にはギリシャ系住民も多く住み、経済的にも観光面でも発展していた。その証拠として、古くは首都でもあった「ファマグスタ」の海岸線には放棄されたリゾートホテル群やギリシャ人地区がゴーストタウンとなって残っている。

同時に、北部はオスマン帝国の影響を色濃く受けていたため、現首都のレフコシアやそこから北へ20kmほどの海岸の街「ギルネ」など各地にイスラムモスクや城などの遺跡も残されている。

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最後に

キプロス紛争によって分断されてしまったキプロス島だが、EUや関係諸国の働きかけによって、統合に向けた話し合いが続いている。

旅の間、この分断が直接的に行動を阻むことはあまりないものの、南北両方で発せられている不穏な感情は肌で感じることができる。また北側では、治安に大きな問題はないものの、ぼったくりなどは横行しているので注意が必要だろう。

歴史も見どころもたっぷりの島だけに、完全な平和を取り戻し、ゴーストタウンと化したリゾートホテルが再び息を吹き返す日が楽しみだ。

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