キリストとイスラムが共存~アヤソフィア博物館に行ってみた

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キリスト文化とイスラム文化が共存~アヤソフィア博物館

トルコ・イスタンブルにあるアヤソフィア博物館は、キリスト教会、ローマ・カトリック教会、そしてイスラムモスクとしての歴史を抱えたまま、現在は博物館として訪れる人々にその複雑な過去を見せてくれる。

その荘厳さゆえに、時の支配者たちさえも蹂躙し尽くことができず、あらゆる文化や宗教を受け入れてきた姿は、訪れる者を圧倒するばかりだ。

「聖なる叡智=ハギア・ソフィア」とも呼ばれるアヤソフィアは、1985年には、「イスタンブルの歴史地区」の一部として世界遺産にも登録された。

アヤソフィアの起源と破壊と再建

アヤソフィアの起源は、今から1700年近く前の350年頃、当時の東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに、皇帝コンスタンティウス2世の命のもとで建設が始まったキリスト教大聖堂で、360年に古代キリスト教の一派であるアリウス派によって献堂式が営まれた。

404年には、宗教上の争乱に巻き込まれた聖堂は焼失してしまうが、テオドシウス2世によってすぐに再建され、415年には新教会が献堂された。しかし532年、市民による反乱「ニカの乱」の最中に放火で再消失してしまった。

初代アヤソフィアは、現在では位置が確認されているだけ、2代目アヤソフィアも柱や梁などの遺構がわずかに残るばかりだ。

これらの失われた教会が、非常に巨大な建物であったため、「メガリ・エクリシア(大教会)」と呼ばれていたが、いつから「ハギア・ソフィア」、「アヤソフィア」と呼ばれるようになったかは不明である。

現在のアヤソフィアの原型となった大聖堂

二度に及ぶ焼失にも関わらず、ユスティニアヌス帝は莫大な費用と世界中から集められた作業員たちに再建を指示、作業は急ピッチで進められた。時の皇帝の宗教観と経済力、そして絶対的な権力の強大さがうかがわれる。

新たな設計によって立てられた大聖堂は、頭上高くに設置される巨大なドームを大型の石材製の柱で支えることで、長期的な安全性を狙ったが、建築途中の段階ですでに支柱の傾斜や壁の亀裂などが起きたと記録されている。急遽、屋根の重さに耐えうるよう補強壁が加えられ、着手後6年弱という短期間で献堂式を迎えたという。

しかし、この時完成したドームは予定されたように真ん丸にはならず楕円形になってしまっていた上、その後の地震によって多くの部分が崩壊してしまった。修復は、更なる崩壊を恐れて、全てのドームが取り除かれた上で行われ、内壁を補強し、軽量建築材の利用によって、より高さのあるドームが完成した。

このようにして完成したドームだが、その後1000年の間に、大規模な崩落を繰り返し、その度に修復されていった。また同時に、建物の補強を目的とする増改築も随時行われ、聖堂はその姿を変え、ますます巨大化していった。

また、8世紀には、「イコノクラスム(聖像破壊運動)」の影響を受け、多くの美しい宗教画が取り除かれたが、10世紀には再び天使や聖母マリアらの絵画が加えられた。

アヤソフィア大聖堂は、諸皇帝の霊廟として用いられたほか、巡礼地としても知られていた。当時の聖堂には、「ノアの箱舟の扉」、「正十字架」、「アブラハムのテーブル」などの聖遺物が安置されていたという。真贋についてはともかく、それらが現存していないのが残念だ。

カトリックによる支配

13世紀には一時的に、第4回十字軍によって滅亡させられた東ローマ帝国に変わって建国した、カトリック国家である「ラテン帝国(正式名称ロマニア帝国)」の支配下となり、教会は荒れ果てた状態で放置されていたという。

1261年のラテン帝国の滅亡により、再び東ローマ帝国の下、キリスト教会として整備され、1453年にイスラム勢力によって占領されるまで、キリスト教会としての礼拝が続けられた。

イスラム教による侵略

イスラム国家オスマン帝国は、14世紀以降数度にわたってコンスタンティノープルの包囲を試みた後、1453年に、メフメト2世によってついに占領することに成功した。その際、従軍兵士たちに3日間の略奪行為が許可されたため、アヤソフィアも荒らされ略奪されてしまった。

征服王メフメト2世は、コンスタンティノープルを占拠し、アヤソフィアもその支配下に収め、大聖堂をモスクとして使用することを宣言。しかし、メフメト2世は、キリスト教徒の自由を保障し、ジェノヴァ人の特権も認めるなど、従来の習慣や文化にも理解を示した。

そのため、アヤソフィア内部は十字架が外され、メッカの方向を示す「ミフラーブ」が設置されたほかは、ごく限られた改修に留められた。また、キリスト宗教画が描かれた壁に漆喰を塗りこめたために、多くのモザイク画が間接的に保存される結果となった。

そのおかげで、現在も多くのキリスト教遺物が残されているわけだ。

その後も、アヤソフィアは征服者たちの争いに巻き込まれて取り壊されたり、自然の力によって崩壊したりを繰り返し、その度、改修され補修され、次第に現在の姿へと近づいていった。

近代国家の成立とアヤソフィアの博物館化

オスマン帝国が滅亡し、トルコ共和国が興ると、アヤソフィアは宗教的な役割から解放され、博物館として公開されることとなった。

イスラムの祈りの床に敷かれていたカーペットは取り除かれ、壁の漆喰もはがされ、本来の姿へと戻される修復活動が行われた。

しかし、建物の構造上の問題は、アヤソフィア自体の安全性と存続にも関わるとして、大規模な工事が必要であることが判明。工事は、アメリカン・エキスプレス社の財政的な援助、トルコ文化観光省の監督の下で行われ、同時に今後の保護体制を整えるための学芸員養成も行われた。

修復工事は現在も地道に続けられている。そのため、時期によっては、足場が組まれていたり、ネットが被されているなど、見学できない部分もあるが、これはアヤソフィアが未来にもその姿を残すために必要な作業である。楽しみにしていたモザイクなどが隠されているとがっかりするが、温かく受け入れたい。

キリスト教・イスラム教、入り混じる文化

現在のアヤソフィアは、宗教的行事に使用することが禁止されている。しかし、祈りを捧げる姿はここかしこで見ることができ、現在も、個人的な信仰の場として生き続けていることが分かる。

内部は、イスラムモスク時代の姿を主としているが、ところどころに創建当時の姿も残されている。ガイドブックで確認しながら見学していこう。

ドーム周囲を飛ぶ天使セラフィムのフレスコ画は、700年前に描かれたと推測されているもの。イコノクラスムによって顔の部分が隠されていたが、修復作業によって美しいその姿を現している。

ミフラーブは、正確にメッカの方角に向けて設置されるものであり、モスク内では建物の中央に配置されるべきものだ。しかし、教会だったアヤソフィアの中では思い通りにいかず、ミフラーブの位置が微妙に半端な感じ。

さらに、ミフラーブの上に目を向けると、そこには聖母マリアと幼子キリストのモザイク画が。その不思議な組み合わせは、アヤソフィアのそこここで確認できる。また、モザイク画の下から十字架の姿がうっすらと見えている箇所もいくつかあるので、探してみたい。

見学方法

街一番の人気スポットだけあって、入場者数はかなり多い。そのため、おすすめ訪問時間は朝一番。開場30分ほど前に行けば、すんなりとチケットも手に入り、人が少なめのアヤソフィアを堪能できる。市内のスポット共通のお得なパスチケットも販売されている。

所要時間は1時間から1日。ぐるりと見て回るだけならば1時間でも可能だが、宝探し気分であちこちじっくり見て回るなら、何時間あっても足らないだろう。

オーディオガイドを借りることができ、日本語もある。しかし、自分のペースで見学するつもりならば、不要かもしれない。自分のペースとオーディオのペースが合わないことがあるためだ。

また、現地で日本語の話せるガイドを雇うことも可能で、自分の興味や時間に合わせたツアーを組み立てるのには便利。美味しい食事やお土産屋も紹介してくれるので、手間要らずといった感じだ。

買い物と食事はどこで?

アヤソフィア内のショップでお土産は買うことができる。また、写真撮影が許可されているので、自分で撮った写真が一番の土産になるだろう。

食事は、街へ出ての楽しみとするか、アヤソフィア前の広場の出店で売られているパンなどをおやつにすることができる。

そのほかの見どころ

入場して最初に気づくのが猫の存在。オバマ大統領を出迎えたとして世界的に知られた猫が出迎えてくれる。

まるで、彼(彼女?)のために作られたかのような台座の上で、美しくポーズを取っていることもあれば、まぶしく差し込む光にあたりながら眠っていることもある。人懐こい猫なので、起きている時には、機嫌よく観光客たちに撫でられている。

さて、建物に入って圧倒されるのが、広さと高さ。天井のドームが頭上に遠い。見学は下の階から始め、上へと上っていくのが一般的だ。

2階部分とはいっても、建物の高さからいくと中間くらいだろう。その位置から下を見ると、さっきまで自分のいた位置にいるほかの観光客の姿の小ささに驚かされる。そして、上を見ると、天井画の壮大さ、豪華さにも驚かされるというわけだ。

そして、ドームの大きさと高さに加え、アヤソフィアの繰り返してきた崩壊の歴史を思い出し、このドームが落ちたら、というドキドキも体験できる。

また、2階にはギャラリーがあり、アヤソフィア内で撮られた美しい写真が展示されていて、多くの見学者がその写真を写真に撮るという行為を繰り返している。それぐらい、キレイに撮れているのだ。

建物内部の壁は、主にモザイクや大理石で覆われていて、金と青のコントラストが美しい。上部のステンドグラスや明かり取りの窓から差し込む光線がスポットライトのように当たると、それぞれが、燃えるように光ったり、透き通るように見える。

また、離れて見ているとただの柄のように見える象眼細工の緻密さは、近寄ってしっかりと確認してきたい。

もう一箇所、見逃せないのが、「マリアの手形」と呼ばれる柱のくぼみ。ここに親指を差し入れ、残りの4本の指でぐるっと360度の円が描ければ願いが叶うといわれている。

ここは、あまり一般には知られていないらしく、普段はあまりにひっそりと静まり返っていて、かえって見つけにくいくらいだ。しかし、熱心なガイドに連れられた団体が現れると大変。あっという間に人だかりができて、しばらく近寄れなくなる。

服装や持ち物

宗教的な意味あいの薄れた博物館とはいえ、現在も肌や髪を露わにした女性は歓迎されない。入り口で覆うための布の貸し出しがあるが、女性は自前のストールを持参することをおすすめする。また、長ズボンまたは長いスカートをはいていくのも、ある意味、訪問先に対する礼儀と考えておくとよい。これは男性にもいえる。ランニングに短パンというラフなスタイルは失礼にあたるので、気をつけよう。

夏は暑く、冬は寒い。当たり前のことだが、想像以上の暑さ寒さなので、注意が必要だ。特に夏は、入場を待っている朝でさえ、陽射しが息苦しいほど。帽子と多めの水は必須アイテムだ。

最後に

アヤソフィアは訪れただけでも十分にその歴史や威厳を感じ取ることができるが、複雑な背景を持つ建物だけに、勉強不足で訪れると後悔することがある。

もっと知識を持って訪れれば、もっと感動できたはずだ、との思いに駆られ、二度三度訪れる人も多いと聞く。

キリスト教とイスラム教とが、互いの文化を征服しながらも、存在を認め合うことで生き残ってきた場所であり、現代世界のあり方として、異文化共存の一つの見本型にも見えるアヤソフィア。

破壊・征服・修復・保存。長く険しい歴史の中で、政治にも宗教にも、自然災害に対してさえ、完全には屈することのなかった「アヤソフィア」の魅力。そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。

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