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ヨット、セイリングで世界一周した凄い人たち6人+1人のエピソード

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はじめに

16世紀の大航海時代初期、多くの遠征隊が艦隊を組んで世界へと漕ぎ出しました。その中で、世界で最初に世界一周を果たしたとされているのは「マゼラン艦隊」のエルカーノ号とビクトリア号の乗組員18名とされています。

その後も、各国の威信をかけたり、個人的な野望や挑戦によって船によって世界一周へと旅立つ冒険家や学者は後を絶ちませんでした。

そして、数百年を経た今、世界中を飛行機が飛び交う時代になっても、海を渡って世界一周を果たそうとする熱は人々の冒険心をあおり続けています。

さまざまな船の中でも、人力と風力という原始的な力に頼るヨット。長く過酷な手段を選び、世界一周を果たしてきた6人と太平洋横断をした1人のエピソードをご紹介します。

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1. 青木洋「信天翁(あほうどり)二世号」1971年

22歳の青年がなんと手作りのシンプルなヨットで3年2か月をかけて世界一周を果たしました。これが日本で最初のヨットで世界一周例だと記録されているほか、ギネスブックにも最小艇での世界一周として登録されています。

最初のヨットは木の骨組みにベニヤ板を張りつけたもの。自宅の庭で試作し、それで大阪湾をセイリングしては改良しつつ腕を磨いた青木洋は、さらに耐久性のあるヨットを2年半かけて自作。1971年に大阪から出港し、太平洋を横断してサンフランシスコへ入港、そこから北米大陸を南下、ガラパゴス群島・イースター島・南米のホーン岬・アフリカのケープタウン・オーストラリアを、何度も浸水・転覆・破損・修理を繰り返しながら単独セイリングを続けました。

途中でヨットが浸水した時には旅を中止しようとして親や友人励まされ、波を受けて転覆した時には死を覚悟したものの奇跡的に大波で起き直るなど、旅の様子は「海と僕の信天翁」という著書に詳しく紹介されています。また、信天翁二世号は大阪万博記念公園内で永久保存されているそうです。

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2. 堀江謙一「マーメイド号」1973年

海洋冒険家として、さまざまな動力の船での冒険旅行を繰り返しているのが堀江謙一です。1962年の単独太平洋横断以来、ヨット・足こぎボートのほか、アルミ缶・ビール樽・ペットボトル・ウィスキー貯蔵機材などを再利用した船での大洋横断冒険を続けています。

最初の世界一周は1973年からの無寄港西回り、1978年からは世界初の縦回り世界一周を成し遂げています。さらに2004年にも3度目の世界一周を果たしています。

風と人力だけでなく、太陽と波と廃材という組み合わせも利用した挑戦的な海洋冒険を今も繰り返している現役の冒険家です。

石原裕次郎主演で映画化された「太平洋ひとりぼっち」など数多くの著書があります。

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3. 迫正人「垂乳根号」1977年

7年8か月という長い年月をかけてヨットで世界一周を果たした人物です。その旅の途中では、出会い・結婚・息子の誕生・離婚・父の危篤などの波乱を経験し、息子と二人で最終ゴールを迎えました。

「世界一周子連れ航海記」では、幸せの絶頂の様子も不幸のどん底に沈む様子も書かれていて、いろいろな種類の涙を誘います。

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4. 内海勝利「巴留号」1978年

妻と二人の息子(11歳と9歳)とともに家族で世界一周を果たした最初の日本人だといわれています。

清水市で電気店を営んでいたという内海勝利はその店のあった「巴留通り」から名をとったヨット「巴留号」で4年かけて世界一周を果たしました。

9.5mのヨットで過ごした旅の様子は「ヨット世界旅~清水の内海ファミリー航海記」で知ることができます。

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5. 長江裕明「エリカ号」1981年

長江裕明は、外務省勤務というエリート出身の冒険家でした。イギリス人の妻と娘の3人で世界一周の旅に出たのが1981年のこと。世界25か国・約6万キロをヨットで旅して4年9か月後に世界一周を果たしました。

彼のヨットも自作でした。「エリカ」とは世界一周に同行した当時9歳の娘の名がつけられています。太平洋・カリブ海・大西洋・地中海・インド洋などを巡りましたが、時化や嵐はもちろん落雷にも襲われ、命の危険を感じたことも一度や二度ではなかったそうです。

寄港地ではマスコミに取り上げられることも多かったことから、日本を訪れたチャールズ皇太子・ダイアナ妃のプライベートパーティーに招かれたこともあったという有名人でもあります。

また、彼自身の人生も冒険家らしい波乱があり、離婚・再婚・心臓病発覚・大手術での奇跡的な復活などを越え、再び新たな冒険にも旅立ちましたが、惜しくも2009年に亡くなりました。

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6. ローラ・デッカー「グッピー号」2010年

世界一周中の両親の間に誕生した時も海上、その後の幼少期もヨットで過ごしたというラウラ・デッカーは、2015年現在19歳の海洋冒険家です。

彼女は13歳の時にヨットでの世界一周を目指しましたが、オランダの児童保護局からストップがかかり、法廷闘争にすえ1年後に勝訴。2010年、14歳の時に単独で世界一周の旅へと出発しました。途中危険エリアの航海を避けるために一時中断もありましたが、再出航し、西回りで5万km、トータル518日間の航海の末16歳で世界一周を果たしました。

これは世界一周の最年少記録となっています。ただ、青少年による危険な挑戦を助長しないため、ギネス認定はされていません。

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+1. 山下健一「オリハルコン」2000年

世界一周は一人でやり抜くのも精神的にキツイ部分があります。友人や夫婦などのパートナーとであれば、協力し合える部分もあるでしょう。ところが山下健一は妻だけでなく当時小学生と幼稚園児だったという子どもを連れた家族総出のヨットの旅へと出港したのです。

学生時代からヨットで各地をセイリングしていたという夫婦ですが、自然を相手にした活動や自然公園の管理人などを務めながらコツコツと費用を蓄え続け、家族での世界一周航海に耐えられるヨットを購入したのだそうです。

広島を出港したオリハルコンと一家はアラスカから北米大陸を南下し、南太平洋のマルケサス諸島・フィジー・ニュージーランドのタウロンガ・沖縄という太平洋一周を3年と2か月で終えました。

彼らの旅の特徴は子どもがいたことから、現地滞在型の旅だったところにあります。もちろん移動はヨットで海路ですが、安全を一番に考え、季節や体調と相談しつつゆっくりと進んでいたのです。子供たちは数か月単位で現地校に転入し、各地で得意の格闘技で文化交流も行っています。

彼らの旅は世界一周ではありませんが、家族で世界へと旅へでること、そして実際の航海の様子をつづった「太平洋は学校だ」は子どもの教育や親のあり方についても考えさせてくれます。

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まとめとして

世界には未確認や未確定のヨット世界一周例がたくさんありますが、一般に知られ認められているもので、日本人を中心に集めてみました。

世界一周に関しても、無寄港で横に縦にグルリと回る比較的短期間のものから、大陸や島を転々とホッピングし、各地で陸に上がって滞在しながらの長期計画もあります。

これまではどちらかというと、冒険家や一部のヨットマン限定の夢だったヨット世界一周ですが、近年はより安全でお手頃価格のヨットが登場し、若者たちがバックパッカーになるのと同じように世界旅行の一つの選択肢となり、また定年後にのんびりと世界を旅する方法の一つともなりつつあります。

ただ、ヨットの場合には大海原へと漕ぎ出した後は、誰の助けも得られないのが大前提。紹介したヨット世界一周経験者たちの多くがヨットを自作できるだけの技術を持っていることや、体力知力に恵まれていることを考えると、ヨットが買える・乗れるだけでは不安があるのも確かです。

ヨットでの世界一周を目指すなら、まずはセイリングの腕を磨き、ヨットの構造や修理法を学び、十分な経験と体力を備えてから挑戦したいですね。

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