Bodemuseum_und_Museumsinsel

ムゼウムスインゼル(博物館島)を見学してみた「写真あり」

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Bodemuseum_und_Museumsinsel

戦禍の犠牲となってきたベルリンの博物館でヨーロッパの古代遺跡を体感~ムゼウムスインゼル(博物館島)/ドイツ・ベルリン

旧東西ドイツの美術館再編が進む、ベルリンの観光スポットとなっているムゼウムスインゼルは「博物館島」と呼ばれるように、ベルリンを南北に流れるシュプレー川の島である中州を指している。

ムゼウムスインゼルは、ブランデンブルク門からウンター・デン・リンデン街を境とした中州の北半分を締め、5つの美術館・博物館が集中している。

ブランデンブルク門は、古典主義様式の門で、ベルリンが城郭都市だった名残的存在でありシンボルでもある。ウンター・デン・リンデン街は、そこから東へと続く短い街路で、ボダイジュ並木で知られている。

ムゼウムスインゼルは、1999年にはユネスコ世界遺産・文化遺産にも登録された。

ムゼウムスインゼルができるまで

この地は、元々は住宅地として利用されていたが、1830年に「旧博物館」が建設されると、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって、「芸術と科学」のための地域として認定された。

その後、第一次世界大戦・ナチスの統治下には、この地区は政治的に不安定となったが、収蔵品の蒐集・運営はプロイセンの文化財団によって引き継がれ、その後も美術館が建設されていき、それぞれの建物は回廊でつながっていた。

第二次世界大戦中に、激しい戦いの場となったベルリンでは、建物の一部が被災するなどの被害が出たが、収蔵品たちは各地へと疎開させられていて、ほぼ無事だった。

ベルリン東西分裂の影響

第二次世界大戦が終結しても、ドイツの戦いは終わらなかった。東西に分断されたベルリンではさまざまな人・物が離ればなれとなった。

疎開していた収蔵品たちもまた、疎開先から戻ってくることができなくなり、各地に分散したまま東西ドイツそれぞれの美術館に収められることとなった。

ムゼウムスインゼルは、ソ連占領地域となり、その後東ドイツ政権が発足してからは東ドイツ管理下で、東ドイツ国立博物館となっていた。一方で、西ドイツ側に残った収蔵品たちは、シャルロッテンブルク美術館などに収蔵されていた。

東西ドイツの統一後、現在も美術館の再編とそれに伴う改装工事が進められている。

その結果、一部の美術品は新たに建設された美術館へと移され、ムゼウムスインゼルは、それぞれに特色を持つ5つの美術館の集合体となっている。

ムゼウムスインゼルの構成

kousei

現在のムゼウムスインゼルには、5つの美術館と博物館が集まっている。その構成は、「ペルガモン博物館」、「旧博物館」、「新博物館」、「旧国立美術館(旧ナショナルギャラリー)」、「ボーデ美術館」となっている。

世界遺産として登録されているのは、これらの5つの美術館・博物館に加え、庭園や運河・川の上の橋を含む周辺一帯。19世紀前半から20世紀初めにかけて、収蔵品が増えていくのに合わせて建てられていった複合文化施設は、近代博物館建築の歴史を目の当たりにできる存在でもある。

一部の建物は、戦禍を被り外壁を残して破壊されてしまい、廃墟となっていたが、元通りの姿に復元され、21世紀に入って再開館した。

ペルガモン博物館の成り立ち

Pergamon Museum

「ペルガモン博物館」は、ムゼウムスインゼルの中でも、もっとも人気のある博物館の一つ。歴史的にはもっとも新しく、1930年開館である。

ギリシャ・ローマ・中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などを専門とする博物館であり、古代遺跡をそのまま復元展示しているその規模と大きさが自慢だ。

博物館の名前ともなっている「ペルガモンの大祭壇」などの、巨大な遺跡関連の展示物を収納するために建設された博物館だ。

建築中に第一次世界大戦が勃発したため、工期が大幅に伸び計画から完成までに23年ほどかかっている。その上、第二次世界大戦中の空襲から逃れるために疎開させていた「ペルガモンの大祭壇」などの美術品の多くがソ連へと持ち出されてしまい、建物も大きな被害を受け、博物館はなかなか再開されなかった。

博物館の修復が終わり、「ペルガモンの大祭壇」が返還されて、博物館が再開したのは、1959年になってからだ。

ペルガモン博物館の構造

本館は、ギリシャ神殿風のコの字型外観となっており、その内部は「古代博物館(ギリシャ・ローマ)」、「中近東博物館」、「イスラム博物館」に分かれている。

内部には、大規模な遺跡を展示するための巨大な空間が広がっている。全長は100m、高さ10m近い「ペルガモン大祭壇」の再構築の展示は、ドイツにいることを忘れてしまいそうな規模であり、圧倒される。

実際の遺跡見学は、暑さやホコリと戦いながらとなることがほとんどだが、ここでは、屋根付き空調付きで見学ができる。また、広くヨーロッパ系の古代遺跡を網羅しているため、手軽にあちこちの遺跡をつまみ食いできる感覚が嬉しい。

ペルガモン博物館の見学方法

人気の博物館であり、当日チケットの購入は並ぶのを覚悟する必要がある。ベルリンの他のミュージアムの入場がセットになったミュージアムパスもあり、他の美術館も見学する予定であれば、あらかじめ購入しておくとスムーズに入場できる。だたし、特別展などは別料金である場合が多いので、要注意。

荷物はコインロッカーへ預け、日本語解説のオーディオを借りて聞きながら回ると分かりやすい。どちらも無料。

カフェやショップもあるが、現在も改修工事が進められていて、他の展示室同様、閉鎖されている可能性があるので、旅程と合わせて確認する必要がありそうだ。

ペルガモンの大祭壇

ペルガモン博物館の代表的展示物である「ペルガモン大祭壇」は、紀元前2世紀頃の小アジア・ペルガモン(現在のトルコ・ベルガマ)に建造された大祭壇だ。

エーゲ海から25km離れたカイコス河畔の古代都市であり、紀元前3世紀半ばから2世紀頃にペルガモン王国アッタロス朝の都として繁栄していたとされる。その後ローマの属州となるが、繁栄は続いた。

現地のアクロポリス遺跡には、宮殿・神殿・劇場・ゼウスの大祭壇・アゴラ・図書館などの遺跡が遺されている。

ペルガモン博物館の「ペルガモンの大祭壇」は、全長100mに及ぶ浮き彫りが有名で、その題材は、ヘレニズム期を代表する。古代ギリシャの神々と巨人族との戦いである。

1864年に発見され、ドイツに持ち帰られたものが、博物館内に再構築されている。

ペルガモン博物館のそのほかの代表的収蔵品

Ishtar Gate of Babylon

「バビロニアのイシュタル門」は、紀元前560年頃のバビロンにあった門の装飾である。

青い釉薬が使われた煉瓦と金色の煉瓦が鮮やかなコントラストを見せる。バビロンの女神イシュタルと伝説上の霊獣ムシュフシュ(家畜牛の祖先であり17世紀に絶滅したオーロックス)などが浮き彫りされている。

世界7不思議の一つとされていたが、イシュタル門周辺の発掘により復元されて、ペルガモン博物館に再構築された。現地バビロンにも、門とモザイクのレプリカが作られたが、イラク戦争戦禍を被った。

「ミレトゥスの市場門」は、エーゲ海アナトリス半島のメンデレス川河口付近にあった古代都市ミレトゥスの門。建造は紀元前120年頃といわれている。

Miletus market Gate

ミレトゥスは、ローマやペルシアの影響を受けたのち、オスマン帝国の支配下となったが、港が泥でふさがってしまい、捨てられた街となったといわれている。

都市遺跡は現在、海から10km内陸に存在している。

市場門と呼ばれるが、シンプルな門ではなく、ほとんど建物。2階建てになっていて、高さは10m、幅30mほど。この門をくぐって入る市場は、どれほどの規模を誇っていたのか、想像するのが難しいほどだ。

旧博物館

Altes Museum

1830年に開館した、ムゼウムスインゼル内でもっとも古い博物館である。新古典主義様式の建物は、1845年までは王立博物館と呼ばれていた由緒あるものだ。

東ドイツ政府によって撤去されてしまったプロイセンのベルリン王宮の向かい側に建てられ、王室コレクションのギリシャ・ローマの美術品を集めて展示していた。

「ルストガルテン」という庭園を中心として、世俗的権威の象徴である「ベルリン王宮」、軍事力の「武器庫(現ベルリン歴史博物館)」、神の権威の「ベルリン大聖堂」が周囲を囲むように建ち、この博物館は科学と芸術の象徴として加えられた。

第二次世界大戦終戦直前に、車の爆発によって建物は大破、多くのフレスコ画も壊滅状態となった。幸い、収蔵品の多くは疎開させていたため、無事だった。

1966年に再現・修復された後は、アンティーク・コレクションを収蔵する博物館となっている。また、現在も修復活動は続けられており、5つの博物館をつなぐ通路も地下に建設される予定だという。

新博物館

1859年、旧博物館の裏に建てられた2番目に古い博物館。旧博物館では収蔵しきれなくなった王室コレクションのために建設されたものだ。

しかし、第二次世界大戦の戦禍により廃墟となってしまい、21世紀に入った2009年に再開館されるまで閉鎖されていた。

古代エジプトのコレクションが有名。1912年に発見された「王妃ネフェルティティの胸像」は、紀元前1345年の制作といわれ、古代エジプト美女の象徴的存在として多くの模倣作品が存在している。

胸像は、長い期間にわたって戦禍を避け、より安全な場所を求め、地下金庫や防空壕、岩塩鉱などに疎開させられていたが、現在は新博物館の目玉として多くの訪問者の目を楽しませている。

旧国立美術館(旧ナショナルギャラリー)

古典主義・ロマン主義・ビーダーマイヤー様式・印象派・初期モダニズムの絵画を所蔵・展示している。

1830年代から計画されてはいたが、実際に開館したのは1876年のこと。当時のプロイセンには、博物館に収蔵する作品はあっても、美術品のコレクションが少なく、この美術館の建設を機に、近現代美術作品を蒐集していった。

この美術館も他の建物と同様、空襲で大きな被害を受け、修復や改修を経て、今日の姿となった。

ボーデ美術館

Bode Museum

1904年に「カイザー=フリードリヒ博物館」としてオープン。1956年に、初代のキュレーターを務めた人物の名を冠した「ボーデ美術館」に変更された。

収蔵品の中心は、彫刻・ビザンティン美術品・コイン・メダルなど。コイン愛好家にとっては、ペルガモン博物館の「コイン・キャビネット」と並ぶ、垂涎の展示となっている。

また、比較的戦争の被害を受けなかったため、建設当時の優雅なデザインが残されているのが特徴で、改修工事を受け、美しさもさらに磨きがかかった姿を見ることができる。

ルストガルテン

ルストガルテンはベルリン王宮の庭園であったが、戦中には閲兵場や集会場として使用されていた。公園は舗装され、殺風景な広場となっていたという。

戦後、荒廃しきったルストガルテンは、プロイセン王国を代表する庭園設計家レンネの計画を生かした公園として再設計され、芝生と噴水のある市民の憩いの場として復活した。

最後に

Museumsinsel2

王政・帝政・ナチス・第一次・二次世界大戦の影響を大きく受けてきたムゼウムスインゼル。

本来、軍事とは離れた位置に置かれるべき文化や芸術が、これほどまで戦禍を被った例は多くない。

空襲や戦いによってほとんど壊滅状態となったムゼウムスインゼルの博物館や美術館。壁の彫刻やフレスコ画の被害は免れなかったが、主要な収蔵作品のほとんどが疎開先で無事に保存されていたのは不幸中の幸いといえるだろう。

ほぼ元通りに修復されつつあるムゼウムスインゼルは、外国からの観光客を集めるだけでなく、ベルリン市民たちに、自分たちで掴み取った統一という勝利を内外に示す場所として愛されている。

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