Auschwitz

死の収容所アウシュヴィッツに行って泣いた、観光ガイド

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Auschwitz

世界中から訪れる人々を深く悲しませ反省させる場所~アウシュヴィッツ(Auschwitz)/ポーランド・アウシュヴィッツ、ビルケナウ

ポーランドには、ドイツと隣接し占領されていたがために、日本では「負の遺産」と呼ばれるナチス・ドイツの「強制収容所」が多く存在していた。

誰もが耳にしたことのある「アウシュヴィッツ」もまた、その中の一つである。

「強制収容所」が生まれた訳

ナチス・ドイツの「アーリア人至上主義」に基づき、アーリア人以外はドイツ外へ追放しようとする動きが、当初はドイツ国内にあった収容所を閉鎖させて、代わりの収容所をポーランドに建設するきっかけとなった。

また、この「民族浄化」以外に、戦時中の「労働力確保」という目的もあったという。

ドイツ国内の非アーリア人だけでなく、広大なドイツ統治地域から次々に大勢の人を集めて管理できる施設が必要だったのだ。

強制収容所には誰が?

Jew

初期は、ドイツ国内の収容所に収監されていた政治犯たちが移送されてきたが、ナチスの指令のもと、ユダヤ人をはじめとし、政治犯・ジプシー(ロム)・精神障害者・同性愛者・捕虜・聖職者などが、「社会不適応者」、「劣性種族」として強制連行された。

強制収容所へはどうやって?

WAR & CONFLICT BOOK ERA: WORLD WAR II/WAR IN THE WEST/THE HOLOCAUST

遠隔地から運ばれてきた人々は、強制的な移民措置だと考え、土地や家屋を売り払った全財産を持参していることもあったという。

しかし、ほとんどの人々は否応なしに、「差別」と「過酷な労働」のために収容されていった。

彼らは、着の身着のまま連れ出され、行先を知らされることなく貨車に積み込まれ、何日も、明かりも満足な食事や水の配給もない状態で旅をして、強制収容所へと運び込まれた。

アウシュヴィッツの地が選ばれた理由

広大な土地、ドイツ国内外からのアクセスの良さなどが決めてとなって選ばれたのが、ポーランドの「アウシュヴィッツ」だった。この地は、ポーランドでは「オシフィエンチム」と呼ばれていたが、今ではドイツ語名の「アウシュヴィッツ」で広く知られている。

ナチス・ドイツが、より効率的に強制収容を行うために施設内にまで鉄道を引き入れていたことは、映画や小説などで見かけて知っている人も多いだろう。

現在もこの鉄道跡は残されている。

また、戦争工業に必要な炭鉱などの産地が近かったことも、この地が選定されたことに影響を与えている。

二つの強制収容所

「アウシュヴィッツ」の名が広く知られているが、先に作られた「アウシュヴィッツ」は「第一強制収容所」。こちらはすぐに手狭になり、すぐ近くのビルケナウに「第二収容所」が建てられた。

どちらも「死」のための施設である。

現在は、「アウシュヴィッツ」と言えば、この両方の施設を指す。

強制収容所の役割

収容所に到着した収容者は、直ちに労働力に応じて分別されたという。

この時点で失格となったグループは「ガス室」へと送られた。

労働に耐えうる体と精神を持つ収容者は、労働に従事するため強制収容所と工場の間を行き来する生活を送った。また一部は、労働者を監視人、死体処理人などとしても働いた。

さらには、医学的な人体実験目的に、双生児や小人症患者もまた選別されていた。

どのグループに分別されても、待っているのは、即日か数日か数週間・数か月といった日数だけが異なる「死」だけだった。すなわち、収容所の役割は、これらの労働力を使い捨てることにあったといえる。

強制収容所内での日常

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強制収容所での日常は「死」だったという。

分別されてガス室に送られる「死」、飢餓による「死」、病気による「死」、過酷な労働による「死」、口封じのための「死」、見せしめのための「死」など、ありとあらゆる「死」であふれかえっていた。

次々に送り込まれる労働力で収容所は常に満員状態。人々は、精神的にも体力的にも限界の状態で「生」と「死」の境目に立たされていたのだ。

残された負の記憶

敗戦の色が濃くなったドイツ軍は、殺せる限りの収容者を「死」に至らせ、その証拠となる施設の多くを破壊して去ったといわれている。

ソ連軍によって開放されたアウシュヴィッツ強制収容所は、修復され整備され、一部は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」として公開されている。

1979年に「アウシュヴィッツ強制収容所」として世界遺産に登録されたが、2007年に、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ‐ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」と名称を変更された。

入り口ゲート

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「労働は自由を作る」という言葉を頭上に抱く門が、アウシュヴィッツ第一強制収容所の入り口ゲートになっている。長い旅の末にたどり着いた収容者たちは、「働けば自由になれる」との淡い期待を持って、入場したのだろう。

入場の際には、収容所付属の楽団による演奏が迎えたという。

有刺鉄線と監視塔

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収容所全体、そして各種施設周辺は有刺鉄線で厳重に囲まれ、ナチスの目が光る監視塔からは銃口が向けられていた。

この有刺鉄線は今もあるが、当時は高圧電流が流されていて、事実上脱走は不可能だった。

しかし、強制収容所に未来がないことを絶望した「自殺者」にとってはある意味「救い」にもなっていたらしい。

死の壁

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常に多くの花や飲み物が手向けられている場所。建物と建物の間の行き当たりにあたる、レンガが積まれた壁の手前にはブロック塀がもう一枚重ねられている。

ここは、見せしめのようにして銃殺されていく人々が最後に立ち尽くした場所である。

居住棟

レンガ造りの居住棟は、暖房や防寒の措置はほとんどなく、バケツ一個の水が風呂代わり、溝に穴のあいた板を渡しただけのトイレを1日2.3回だけ使用が許され、狭い板のベッドに数人が押し込まれるという劣悪な環境だった。

現在は残された建物の一部が博物館として、さまざまな資料が展示されている。

ガス室での虐殺に使用された薬品の空き缶の山、収容者から取られた毛髪とそれで作られた寝具、返還される時にためにと名前や住所を書き込んだカバン、靴、メガネなどの山を見ることができる。

ガス室

Gaschamber

コンクリが打ちっぱなしの密封空間。今は電球がぶら下がるばかりだが、当時はシャワーヘッドに似せたダミーが設置されていたともいわれる。

天井には小さな穴があり、ここから有毒ガスが投げ入れられた。

立ち入りはできないが、入り口から全体を見通すことができる。

焼却炉

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1日300体以上の死体を毎日焼き続けていた焼却炉。ここで働いていたのは、同じ収容者だった。また、大量の死体が出た場合には、屋外に山積みにされて焼却されたこともあった。

集団絞首台

Collectivegallows

広場には、大きな鉄棒が立っている。これは見せしめとして行われた集団絞首のための施設。

絞首台は各地の強制収容所にあるが、第一収容所のものは、一度に10名以上の絞首死刑に使われていたという。

ビルケナウの居住棟

ビルケナウの第二強制収容所は、アウシュヴィッツ第一強制収容所から3キロほど離れている。

鳥小屋のような狭さの居住棟。壁と天井はあるが、床は作られていないところが多かった。

線路跡

敷地内まで敷かれた線路跡は、今はここを訪れる見学者の通路ともなっている。

線路の両脇に下された収容者は、その場で第一の「選別」を受けた。

線路上には、収容者運搬用貨車もポツンと残されている。

ガス室跡地

証拠隠滅のために破壊されたガス室跡は、がれきの山のまま残されている。

その規模は、第一強制収容所よりも大きい。

最後に

日本に「アウシュヴィッツ」を知らない人は少ない。しかし、実際の訪れたことのある人も、訪れようとする人もやはり少ない。

年間数十万の来訪者がいるとされるが、日本人は1万人に満たないという。多くの先進国と比べても非常に少ない。

世界から訪れる人々の目的や感情は異なっても、「負の世界遺産」から目をそらさない点では同じだ。東欧を訪れる際には、是非コースに組み込みたい。

そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。

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