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現実のチャングムたちが暮らした王宮~昌徳宮を見学してみた

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韓国ソウルには古い時代の王宮がいくつも残されている。その中でも「昌徳宮」は、もっとも古い時代の建造物を残し、自然の美しさを生かした造園で有名だ。

巨大な樹木や池が配置された美しい庭園は、韓流人気ドラマ「チャングムの誓い」の撮影でも使われた。ドラマのおかげで、今は史跡となっている昌徳宮が、生きた人々が暮らす王宮だった頃の様子が容易に想像できるようになった。

また、豊臣秀吉時代の朝鮮出兵や、日本の梨本宮家から嫁ぎこの宮殿で暮らした、大韓帝国最後の皇太子妃の李方子(まさこ)など、日本人にも縁のある建造物といえる。

1997年には世界遺産にも登録され、ますます注目度も訪れる人も増加している。

朝鮮王室

高麗の将軍・李成桂(イ・ソンゲ)は、1392年に朝鮮王朝(李氏朝鮮)を建国。朝鮮王朝はその後、1910年まで約500年間にわたって続き、25人の王によって繁栄した。

5大王宮

ソウルに残る5大王宮は、景徳宮(キョンボックン)・昌徳宮(チャンドックン)・昌慶宮(チャンギョングン)・慶熙宮(キョンヒグン)・徳寿宮(トクスグン)の5つ。

朝鮮王朝25代の王たちが、その住居として、または執政の場として使用してきた。

長い年月の中で火災にあったり、日韓併合の影響で多くの建物が取り壊されたりで、現在見られる建物の多くは近年復元されたものである。

だからこそ、昌徳宮の建造物たちが焼失した過去を持ちつつ、17世紀初頭に再建された姿を残しているのさえ、非常に貴重なのだ。

景徳宮と昌徳宮

朝鮮朝廷にとっての景徳宮は、正式な王宮として最初に建てられた建造物だ。2世紀にわたって正宮として利用されたが、16世紀末の文禄の役で焼失してしまう。

その後再建されるまでの空白期間は、離宮として建てられていた昌徳宮に正宮としての座を奪われていた。

昌徳宮は280年ほどの間正宮としての座を守った。しかし、¥26代国王・高宗の時代には再び景徳宮が正宮として使用されるようになるが、1897年には正宮は慶運宮(徳寿宮)に移されてしまった。

昌徳宮の歴史

1405年に、朝鮮王朝の正宮であった景福宮に続き、離宮として創建されたが、15代李氏朝鮮王以降250年以上、正宮として使用されることとなった。

朝鮮王朝の王宮の多くが日朝の戦いや火災の被害を受け、時間をかけて復元されているが、昌徳宮もまた同じく、離宮として使用されるべく復元・再建されている。

1907年からは再び、大韓帝国の皇帝に即位した純宗によって宮殿として使用され、1910年の日韓併合後も李王・純宗の住まいとして活用されていた。

何度も被害に遭いながらも、奇跡的にその姿を残してきたのが昌徳宮である。

昌徳宮の特徴

景徳宮を始めとする朝鮮王朝のほかの王宮が、政務のための効率が考慮された構造であり、厳格な儒教思想に基づいて建てられているのに対して、昌徳宮は自然と融合した生活空間となっているのが特徴だ。

自然の山と一体化し、自然と調和した美しさが際立つ昌徳宮は。宇宙との一体化を目指した朝鮮王朝の哲学思想が染み込んだ空間ともいわれている。

左右対称、直線使用などの定型的な建造物である中国の紫禁城は、朝鮮でも多くの建造物の模範とされたが、昌徳宮は、厳格な儒教思想が根付いていた朝鮮半島で、自然との共存という理想を実現させた姿となっている。

昌徳宮と日本

1592年の文禄の役では、日本の軍勢が首都へと迫り、国王らが王宮から脱出してしまうと、ソウルの治安は乱れ、豊臣秀吉が入城するよりも早く、朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となってしまった。

正宮であった景福宮はもちろん、昌慶宮や付属する庭園(秘苑)なども軒並み焼失してしまったのだ。

こうして、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で全てを焼失した後、1615年に再建された。

その後も朝鮮半島と日本の間には、何度かの攻防があり、王宮はその度に多少の影響を受けた。しかし、その中で昌徳宮の損害は少なく、1910年の日韓併合後、李王となった純宗の住まいとしても使用されていた。

その後、朝鮮総督府により手が加えられて現在に至っている。

昌徳宮の見どころ

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約135,000平方メートルという広大な敷地には、13の宮殿の建物がある。そのうち、北半分は後苑(フウォン)と呼ばれ、28の楼閣で構成されている。

昌徳宮は、他の王宮の多くが近年になって修復・再建されているのに対し、建造物がほぼ建造当時の姿を残しているところ、建物や自然の維持管理が行き届いているところに、その魅力はあるとされる。

特に、豊かで雄大な自然を生かした宮殿庭園、「後苑(フウォン)」の美しさは訪れる者を常に魅了している。

「後苑」は、王族専用の裏庭として、王たちにとっては憩い場であり、思索の場でもあったのだろう。現在も、うっそうと茂る樹木、静かに水をたたえる池、落ち着いた東屋などが、周囲の自然と調和を保ちながら、四季折々の美しい姿を見せてくれる。

一般観覧と後苑特別観覧

景観保護のため、見学時間や方法が制限されていた昌徳宮だが2010年より後苑(秘苑)を除いた全ての建造物や庭などを自由に見て回れるようになった。

後苑は、現在も人数と時間の制限があり、各国語によるガイドの案内で回るよう設定されている。

入口左側にある一般チケット売り場で、入場券と各国語のガイドツアーが申し込める。

見学方法

敦化門-仁政門-仁政門-熙政堂-大造殿-誠正閣-楽善斎などは、入場料さえ支払えば自由に見学・散策ができる。

後苑は特別観覧となっていて、入場券とは別に支払いが必要。さらに、解説者によるガイドツアーで限定人数のみ可能となっている。言語によって、ガイドツアースタートの時間が異なるため、事前確認が必要だ。

敦化門(トンファムン) と錦川橋(クムチョンギョ)

敦化門は1412年に昌徳宮の正門として建造されるが、焼失。現在の門は1609年に再建されたものだ。それでも、ソウル内に残る最古の正門である。王の正式な出入りに使用された。

本来の門には、鐘と太鼓が置かれ、時を知らせていたといわれているが、現存していない。

門を入ると右側に見える錦川橋は、1411年に造られた橋で、ソウルに現存する中では最古。風水の影響が色濃く、悪い気から王宮を守るために伝説上の霊獣たちが彫られている。

闕内各司(クォルネカッサ)と宣政殿(ソンジョンジョン)

闕内各司は、政治上王を補佐した高級官吏らの働く総合庁舎にあたる建物。

貴重な書画や資料などを管理する奎章閣(キュジャンガッ)、歴代王の写真や肖像を奉安した?源殿(ソンウォンジョン)、医療や薬を専門とする薬房(ヤッパン)などの建物から構成されていた。

1804年竣工の宣政殿は、王の日常政務に充てられていた建物。

現存する宮殿の中では、珍しい青い瓦屋根を持つ貴重な建物であり、ここを訪れる旅行者はみな屋根を見上げ、カメラと日光の角度に苦心している。

仁政殿(インジョンジョン)

昌徳宮の正殿である仁政殿は、王の即位式・外国使臣の接見などの重要行事が行なわれる建物で、臣下たちは殿上ではなく、前の広場の位階に見合った席を与えられていたという。

他の多くの古宮と同様、中心には御座(王の座席)と「日月五峰図(イロルオボンド)」が飾られているので、見逃さないように。

1900年代以降に入って内装が洋風化され、朝鮮風の王座と天井からぶら下がるシャンデリアが不思議なミスマッチを作り出している。

煕政堂(ヒジョンダン) と大造殿(テジョジョン)

王と王妃の寝殿だった建物で、日常生活を過ごすのに使用されていたが、やがて、執務にも使用されるようになった。

王の寝所のあった煕政堂は、度重なる火災で焼失し、現存するのは1920年建立の新しい姿のみ。王妃の寝所は、同時期に景徳宮から移築されたものである。並ぶ女官用の小さな部屋の数が、王や王妃の日常生活の華やかさを伝えているようだ。

朝鮮王朝最後の王・純宗(スンジョン)が崩御した場所や水刺間(王用台所)、オンドルなどが見学できる。

楽善斎(ナッソンジェ)

楽善斎は、24代の憲宗(ホンジョン)が後宮に妾妻を迎え入れるために建築した。後の世には、後宮や女官が余生を送る場所となった。王朝最後の皇太子に嫁いだ宮家出身の方子(まさこ)も、ここで晩年を過ごした。

素朴な造りで、王宮の中では地味な建造物だが、それだけに味わい深い美しさがある。

芙蓉池(プヨンジ)と芙蓉亭(プヨンジョン)

後苑に入って最初に見えてくる芙蓉池は、「天円地方」思想に基づいて作られた池。夏場には、芙蓉との名の通りに蓮の花が咲き乱れる美しい池だ。

四角い池は地を、池の中央の丸い島は天を表現し、全体で天地の調和を図ったデザインとなっている。

韓流時代ドラマ「チャングムの誓い」で主人公が散策していたのもこのあたりだ。

芙蓉亭は、芙蓉池に突き出した東屋。池に逆さに映る姿が蓮の花に見えるように設計されたとの説もある。王はここで釣りを楽しみ、王妃は東屋で涼をとったという。

宙合樓(チュハムヌ)

1777年に22代国王・正祖が建てた楼閣で、図書館や学問所として使用されていた。1階部分が図書を保管する奎章閣(キュジャンガッ)で、2階が閲覧室になっていた。

楼閣入口にある魚水門(オスムン)は、芙蓉池の魚がここをくぐると龍になるという説話があり、王と臣下の身分関係を象徴的に示したものだといわれている。

柱を注意して見ると、円と四角の柱があり、ここでも天円地方思想が用いられているのが分かる。

不老門(プルロムン)

不老門は、一枚岩を削りくり抜いて作られた小ぶりな石門。王の息災と長寿への願いがこめられている。ここをくぐることで不老となるとの伝説から、旅行者たちが行ったり来たりしている。

演慶堂(ヨンギョンダン)・善香斎(ソニャンジェ)

1828年に朝鮮の民家風に建てられた建造物。王が一般庶民の生活を知るために建てたものだという。

男性用・女性用に分かれた簡素な木造建築家屋といった感じだ。

尊徳亭(ソンドッチョン)

北の山に沿った渓谷は、気運のよい場所とされ、いくつかの東屋が建てられていた。中でも尊徳亭は、1644年建造の後苑でも最古の東屋。龍の天井画が見事なので散策の足を休めながら見学したい。

玉流川(オンニュチョン)

小さな川が流れる玉流川周辺は、王が夕涼みを楽しみながら、臣下や王妃たちと過ごした場所だといわれ、岩の上で杯を傾け、月を眺めながらくつろぐ様子が目に浮かぶようだ。

現在、水量は減ってしまっているのが残念。周囲の様子から、当時の様子を想像してみよう。

最後に

ソウル市内には、王宮と呼ばれる建造物が複数あるが、現存する韓国国内の宮殿の中で、最も創建時の面影を残している宮殿が、昌徳宮である。

他の王宮は、近年になって建て直されたものが多く、歴史的な価値では昌徳宮に勝るものはない。

韓流ブームにより、韓国文化に親しみを感じ、歴史に興味を持ち、韓国の史跡を訪れる人も増えている。

中国とも日本とも関係を深く持ちながら、独自の文化をも持つ朝鮮王朝の優雅な生活の様子を覗いてみたい。

そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。

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