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真実はこうだった! ヒッピーの歴史と日常生活

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はじめに

ヒッピーについて書かれた本はあります。映画、小説、演劇などの題材となったこともあります。ところが、ヒッピーの歴史やその実情について詳細に書かれた読みやすい本を探すとなかなか見つかりません。

同じように、ヒッピーという言葉を知り、そのイメージをある程度捉えている人は大勢いますが、ヒッピーについてよく理解している人も多くはいないようです。

ぼんやりとした輪郭しか見えてこないヒッピーについて、その歴史や日常生活についてまとめてみました。

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ヒッピーの歴史の幕開け

1960年代に既存社会への不満を抱える若者たちが集まり、伝統や制度などから解き放たれた自由を求めて「野性的な生活」を始めました。それがヒッピーの歴史の最初の一歩だと考えられています。

ウヤムヤな表現になってしまうのは、「我こそはヒッピーを提唱した!」という教祖的な存在がいるわけでも、定義をまとめた論文があるわけでもなく、あくまで「気づいたらそこにあった」的な存在だったからのようです。

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ヒッピー発祥の地

そんなヒッピーたちが最初に共同生活を始めた地としてあげられているのが「サンフランシスコの「ヘイト・アシュベリー」とロサンゼルスの「ローレル・キャニオン」です。

文化的に進んでいたエリアからちょっと離れた荒野や森林などがコミューン、または共同体の基地として利用されましたが、継続性のあるコミュニティを作り上げることができたのはごく一部で、その地が荒廃したり追い出されたりすると移動するという繰り返しが多かったようです。

その後アメリカ全土、そして世界中へと広がったヒッピーたちは、各地にヒッピー的な暮らしをするための村やコミュニティを作っていき、その一部は今も残っています。

デンマークの「クリスチャニア」がその代表的存在です。そのほかにもアメリカ・カリフォルニアに小規模なグループがいくつか、インドや日本にもヒッピーの流れをくむとされる共同体があります。

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ヒッピーの収入源は?

ヒッピーが目指したのは、文明が誕生する以前の自然との共存生活。彼らの共同体は、半野宿のような生活を送っていました。ただ、いくら半野宿で自給自足を目指したとはいえ、現代アメリカで無一文で生活するのはかなり困難です。

実は彼らの多くは学生だったため、基本的には仕送りやお小遣いに頼っていたほか、セカンドハンド品の売買、ドラッグの売買なども収入減となっていたようです。

ヒッピーにとって現金収入にこだわること自体が自分たちの思想に反する行為になってしまいます。そのため、ヒッピーの中心となりその活動に深く関わった人物の多くは、収入を心配する必要のないバックグラウンドを持つ、ある程度家庭に育った人が多かったのです。

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では、ヒッピーは毎日何をしていたのか?

日常生活で「するべき」とされたのは、「自由に生きること」です。

その一つの方法が悟りや覚醒などを目指すことであり、瞑想や音楽・ダンスなどは彼らの生活の中心にありました。また、より手軽に覚醒したり高揚できるとして「ドラッグ」が利用されるようにもなっていきました。

さらに、「反社会」であることも求められました。時代はベトナム戦争真っ最中だったため、彼らの意識は「反戦」へと向けられ、反戦デモ・徴兵拒否といった活動へとつながり、同時に「ラブ&ピース」をうたって、フリーセックス・同性婚などの権利を求める運動も盛り上がりました。

その一方で、徐々にヒッピーは多様化していき、反政府的な社会集団化したり、より精神的な高みを目指すために宗教化したり、現実的な共同体運営のために企業化したりしていきました。また、これらの共同体に入らない「はぐれ組」はヒッピートレイルを歩く旅にでたり、時折開催されるヒッピーイベントに参加することを趣味にするといった生活を送っていました。

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ヒッピー文化の衰退と復活

ヒッピーたちの活動は1975年のベトナム戦争終結によって一つの節目を迎え、さらにアメリカ政府による薬物取り締まり強化の影響もあり、1970代後半にはその人口を減らし、活動も縮小していました。

ところが、1990年代に入る頃、いわゆる「60’s(シクスティーズ)」への憧れが流行化して、若い世代を中心にヒッピー文化が復活します。

しかし、反社会的な思想面を強く持っていた初期のヒッピーとは異なり、80年代以降のヒッピーたちの興味の中心は、音楽やファッションといった文化面が強調されているのが特徴です。

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現代ヒッピーたちの日常生活

現代にも、共同体を作って生活しているヒッピーがいます。しかしそれは一部に過ぎません。そのほかの多くのヒッピーたちは、普通にアパートや家を生活の場とし、職業を持ち、家庭を築いています。

ただ、余暇をヒッピーとしてレイヴやパーティーで楽しみ、ヒッピーファッションで家も車も自分自身もコーディネートするなど、ヒッピーカルチャーを生活の中に取り込んでいます。これは、たとえばスポーツを趣味にしたり、パッチワークを趣味にする人が自分の生活の一部または大部分にその影響を受けているのと変わりません。

現代ヒッピーにとって、ヒッピーであることが生活のすべてや中心ではなく、一部としている人が大半なのです。

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ヒッピーとバックパッカー

1980年代になって急速にその数を増やしたバックパッカーは、その少し前に衰退の兆しを見せていたヒッピーとよく似ています。ヒッピーたちは、一部がそのままのヒッピーとして残り、また一部はヒッピーを文化面でだけ残し、また一部はバックパッカーとなっていったという見方もあります。

ヒッピーだからといってバックパッカーになるとは限りませんが、バックパッカーの中にはヒッピー的な思想を持ち、ヒッピーファッションに身を包み、ヒッピートレイルを彷徨う人が少なくありません。

また、バックパッカーだからといって必ずしもヒッピーであるわけでもありません。ヒッピーの存在をほとんど知らず、過去にヒッピーたちが作りだした「安く旅をする方法」を知らぬ間に踏襲しているだけのバックパッカーたちもたくさんいるのです。

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日本のヒッピーは?

もちろん、日本にもヒッピーはいました。そして今もいます。

日本でもアメリカとほとんど同時期にヒッピーたちが共同体を作り始めていました。その多くは長野と東京にありました。

彼らのうち、自然回帰をより強く思想的に持つ者が長野県へと向かい、文化や社会活動に興味を向けた者が東京で活動していた傾向があります。

長野にはいくつかの自給自足の村が誕生し、現在もそのうちのいくつかが形を変えて残っています。また東京では、地域としてヒッピーらしいナチュラル嗜好の店が集まるエリアが残っていたり、アングラ系の活動をしていた芸術家たちが育んだ演劇や音楽などの文化として日本のヒッピーの存在を確認できます。

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まとめとして

まとめてみると、本来メッセージ性を強く持っていた活動的なヒッピーですが、その中心となる思想は、叫び声をあげる反社会的なものから大衆的な文化へと移行していったことが分かります。

中高年を中心に、「ヒッピーは反戦」、「ヒッピーはフリードラッグ」、「ヒッピーはフリーセックス」、「ヒッピーは自堕落」といった固定イメージが残っているにも確かですが、若い世代にとって「ヒッピーは明るく自由な時代を象徴する文化」の一つです。

ある意味無害となり、ある意味アクが抜けて面白味がなくなったヒッピー文化ですが、その味わいの一部は世界各地に残されています。バックパッカーとして世界を放浪する中で出会うだろうヒッピーたちや触れるだろう文化にも、興味を向けてみたいものです。

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