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蘇ったベトナム王朝「フエ」の建造物群と雅楽を見学してみたら

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蘇ったベトナム王朝の建造物と文化~フエの建造物群「Complex of Hué Monuments」と雅楽「Vietnamese Court Music Nha Nhac」/ベトナム・トゥアティエン=フエ省

フエの阮朝はベトナムで花開いた最後の王朝。古くから受け継がれてきたベトナムの伝統だけでなく、フランスやタイ、中国の影響を良くも悪くも大きく受けて繁栄し、そして滅びていった。

王朝時代の素晴らしい建造物の多くは、その後にこの地を巻き込んだベトナム戦争で大きく傷つけられてしまったが、徐々に再建が進んでいる。

現在世界遺産に登録されてフエに残る建造物群は、フエの繁栄と滅亡の両面を記録してきた歴史を今に伝える文化遺産として認められている。

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フエの新市街と旧市街

フエは旧王宮を囲むフエ城市にあたる旧市街と、川の対岸に拡大しつづける新市街とに分かれている。

新市街はフランス人の居住地が置かれていたため、一足先に近代化が進み、そのまま官公庁、病院、学校などの公共施設も旧市街に集中していった。

旧市街は、フエ王朝の中心となったエリアで、周囲はグルリと城壁に囲まれ、王宮や政務所を官僚や商人たちの邸宅が囲むようにして街を造り上げていた。

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フエの失われた歴史的建造物

フエが阮朝の首都になったのは1801年。王宮をはじめとした主要な建造物が次々に立てられていった。

しかし、1883年にはフランスに占領下となり、フエの建築ラッシュは減退する。しかし、1945年の第二次世界大戦終結までは、ベトナム人の皇帝が存在し、フエの王宮内で暮らしていたため、阮朝の滅亡はこの1945年とされている。

フエの旧市街に残されていた歴史的建造物は、まずこの地を定期的に襲う大雨と洪水の影響を受けて、流されたり破壊されたりしていった。さらにベトナム戦争の勃発によって激戦地となったことから、町は甚大なる被害を受けた。

雨と戦争によって破壊された建築物たちは、20世紀後半以降に再建が進み、世界遺産にも登録されたことから、町は古都として特にベトナム人が多く訪れる観光地となった。

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世界遺産「フエの建造物群」

フエの旧市街は巨大な城郭として機能していた。ほぼ四角の旧市街地は碁盤の目のように道と家屋が配置され、外側は外壁に掘とに囲まれていた。

旧市街と新市街とを分けるフォーン川は当時から主要な交通網であり、旧市街内の建築物の多くが川沿いにある。そのため、現在の観光ツアーでは船を使って川下りを楽しみながら各スポットを見学するものが人気だ。

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王宮

関係の深かった中国の王宮「紫禁城」をモデルとした王宮には、皇帝の座所である太和殿、皇帝の居所である禁裏、歴代の皇帝と皇后を祀る顕臨閣、雅楽舞台の閲是堂、皇后ゆかりの人々の住宅や官僚たちの控室などがある。

王宮は広い。ブラブラと歩き回っていると日が暮れそうだ。本物の紫禁城の4分の3の大きさを持つというから、そのサイズが想像できるだろう。しかし、太和殿を含む多くの建築物がベトナム戦争の戦火で破壊されてしまった。

主要な建造物たちは順に修復・復元されている。しかし、かえって運よく残された建物たちの方は、ベトナムの多雨の影響を受けて傷みが激しく、修復が必要とされているが、根本的な解決策は取られていないため、その腐食による被害が心配されている。

王宮内の建物は一部が当時の様子を再現して公開され、また一部は博物館や宝物館となっている。その建物も中国的な雰囲気がもっとも近いものの、瀬戸物やガラスを使った装飾には東南アジアや遠く南欧のスタイルも感じ取ることができる。

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城壁とフラッグタワー

1辺が2kmを越える城壁には11の門があり、その外側には内側の大切な建築物と皇帝たちを守るための砦が築かれていた。

フラッグタワーは見張り台として使われていた塔で、30mの高さを持つ。1969年に再建されたフラッグタワーは当時のままの姿を取り戻しているという。

このフラッグタワーの特徴は、見張り台らしい働きをしなかったところにある。9つもの大砲台が置かれているにも関わらず、これらの大砲は実用的な武器としてよりも、その配置によって城郭内を霊的に守護するために存在していたといわれている。

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カイディン霊廟

カイディン皇帝の霊廟は、フランスがもたらしたバロック様式、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教などの影響が混ざりあっているのが特徴だ。

バロック式のゲート、ヒンドゥー風のレリーフ、西アジアを思わせる幾何学模様など、変化に富んだ美しく煌びやかな廟所であるため、訪れる人が多い。

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ミンマン帝廟

自然の地形を使って造営されたミンマン皇帝の廟所は、現在は公園として開放されている。

ミンマン帝廟の見どころは、その装飾にある。本人が生きている頃から建設計画が立てられていたため、ミンマン帝の好む動物や死後も必要とする付き人や官僚たちの石像が立ち並んでいる。また、歴代の皇帝廟の中でもっとも中国色が強い。

自分のための理想の墓を作ったはずのミンマン帝だが、彼はこの墓に安置されてはおらず、現在も行方不明だ。

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ティエンムー寺

仏教を保護したフエの街には、寺が100以上あるといわれている。その中でももっとも有名なのがティエンムー寺だろう。

レンガで作られた丘の上に立てられたこの寺には、21mの高さを持つトゥニャン塔があり、寺とその領域を守る役目を担っている。塔は蓮の形を象り、上部は六層になっていて、各階に仏像が安置されている。

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フエ大教会

フエ大教会は戦後にアメリカの援助を背景に建造された聖マリアによる救済を掲げる教会だ。

ベトナム風の建築様式とヨーロッパ風の建築様式の折衷建造物として知られ、欧米系の観光客の多くが訪れる。

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無形文化遺産「フエの雅楽」

フエの王朝時代に花開いた文化は、阮朝が滅んだ後、同じように滅びの道を転がり始めた。特に形を持たない音楽や踊りといった文化が消滅していくのは早かった。

フエの雅楽は、古くベトナムの宮廷で演じられていた音楽のことだ。現地の言葉で雅楽は「ニャ・ニャック」、さらに女神祭祀音楽「チャウヴァン」、伝統舞踏「トゥオン」と呼ばれている。一時は完全に消滅してしまったと思われたが、フエ大学に宮廷音楽コースが設けられ、これらは無形文化遺産として保護され、後継者育成も進んでいる。

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フエの食べ物

ベトナム料理は中華料理とタイ料理を合わせたような、あっさりしていながらスパイスを多用する不思議なミスマッチが魅力。日本にもファンが増えている。

ベトナム国内では、同じ料理でも地域ごとに食材の使い方や味つけが違うことがある。地域ごとのアレンジの幅が大きいのは日本国内と似ている。

フエでは、多くの異文化が混ざり合った結果、よりシンプルな味が定着したようだ。スープ類はダシがきいていて、脂っこさや辛み、しょっぱさは控え目。特徴的なのはフレッシュなスパイスがたっぷり使われていることだろう。

パクチーなどの香りの強いスパイスが苦手な人にとってはつらいところだが、海の魚を使った料理とこれらのスパイスは絶妙だ。

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最後に

ハノイからもホーチミンからも600kmほどの距離があり、陸路だと1日がかりの移動になる。空路はまだ十分に整っておらず、国内線の本数が少ない。

そんな理由から、観光に力を入れたい現地の思惑とは裏腹に海外からの観光客数は伸び悩んでいる。訪れる人が少ない分、情報も少ない。

しかし、フエはベトナムでは「古都」として定着しつつある有名観光地だ。日本でいうところの京都や奈良に近い憧れの地なのだ。

世界遺産登録をきっかけに、日本をはじめとした各国の援助による修復などが進み、荒廃していた王朝の遺跡は再びその美しさや珍しさを取り戻しつつある。今後注目を集めそうな地域として旅の目的地候補にあげておきたい。

そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか?あなたの旅の話を聞かせてください。

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