アーティスト忌野清志郎 – 自由・旅・アート・音楽・愛のサイト♪

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もう亡くなってしまったのは知っているけれど、もういないといわれてもピンとこない。忌野清志郎はそんな存在です。

多くのファンにとって、忌野清志郎は「スター」。

それも、すごく好きで、好きすぎて、近寄ることなんてとてもできない、そんな恐れ多い存在。でも、気持ちとしてはいつだってすぐ近くにその存在を感じられる憧れの塊。

私たちは忌野清志郎を、ずっと遠くからその姿を眺めては歓喜に血を上らせ、新しい曲が発表されればいそいそと店まで足を運んで購入し、持ち帰った部屋で一人籠りヘッドフォンで聴いて味わってほくそ笑んできました。

そう、忌野清志郎は、最初から近くて遠い憧れの存在だったため、今の完全なる不在を実感するのが難しいのです。

彼が遺した数々の作品たちに触れていると、今も彼を感じることができます。でも同時に、これ以上の彼の作品に出会うことができないのだとも気づかされ、突然途方に暮れてもしまうのです。

忌野清志郎の作品

まず忌野清志郎の作品を少しだけ紹介いたします。

※写真は公式サイトやファンサイトさんからお借りしています。引用元は各写真下部記載

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https://matome.naver.jp/

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忌野清志郎の経歴

1951年東京生まれ。2009年に咽頭がんのため58歳で亡くなりました。

彼の行った多くのライブの中には、記録的とか伝説的といわれるものがいくつかありますが、渋谷公会堂で行われたライブアルバム「THE KING of LIVE」は、その後忌野清志郎を「THE KING of ROCK」として祀り上げるきっかけになりました。

RCサクセションとしての活動をメインに、ソロでも、そのほかのグループ活動でも、彼のメインアートは「音楽」。彼は歌うことを彼の表現手段として位置づけて、その短い一生を駆け抜けました。途中、自転車に乗ってよりスピードアップして人生を疾走していく忌野清志郎の姿も記憶に新しいでしょう。

音楽界ではキングの異名を持ったものの、彼自身の音楽活動は常に波乱ぶくみ。バンドはメンバー変更や解散、再結成を繰り返し、メッセージ性の強い音楽は社会の反発を受けて時には退けられることもありました。

もとから芸術方面に多才さを見せていましたが、病を得てからは特に、音楽だけでなく絵や文章の形でも、自己表現していきます。最後まで、自分に与えられた表現方法である「音楽」、それも「声」にこだわって、病気との闘い方にもこだわった忌野清志郎の一生のアート仕事を見ていきましょう。

アーティスト「忌野清志郎」の活動内容

忌野清志郎はミュージシャンです。本人も、「音楽以外で食べていくことは負け」的な発言をしているそうです。この言葉、逆に読めば、音楽以外でも十分に食べていけるだけの能力があるという意味にもとれます。実際、その通りです。

忌野清志郎が本名の栗原清志の時代までさかのぼって、彼のアーティストとしての才能を掘り出すと、その原点は1小学生時代に夢中で描いていたというマンガ、そして、中学生で組んだ初めてのバンドをあげることができるでしょう。この頃の音楽仲間が後々まで忌野清志郎の活動の一つの軸になっていきます。

R.C.サクセションは1968年に結成され、デビューは1970年。バンド活動は、メンバーの入れ替えや活動休止・再開などの繰り返しでなかなか思うようにいきません。同時進行でのソロ活動や、そのほかのミュージシャンたちとのグループやコラボも単発ものが多く、長期間にわたって関係は続いても、R.C.サクセションのように彼にとってメインバンドになるものは、その後も生まれませんでした。

1994年ころから俳優活動も開始します。音楽プロデューサーとして映画作りに参加したのもこの頃です。

また、忌野清志郎といえばチャリ。サイクリングにはまったのが2000年。友人や仲間を誘い込んでサイクリングの輪を広げる一方で、各地で長距離サイクリングツアーなどにも参加し、本格的にのめり込んでいきます。

2006年に忌野清志郎にとって、音楽活動のまとめ作業ともなったアルバム「夢助」を仕上げると、「咽頭がん」を公表し、治療のために音楽活動を休止します。

彼は根治治療手段としての癌の摘出を拒みます。それは、声が出なくなってしまうと宣告されたからでした。彼は、放射線や抗がん剤などを使用した代替医療を選択します。

闘病の結果、もとからの細い体が病でさらに痩せてしまっても、彼は徐々に音楽活動を再開します。そして、がんの転移、体調の悪化から入院。2009年に亡くなりました。

亡くなる前の病床でも、ファンに向けたイラストを描くなど、最期まで彼なりのメッセージを伝え続けました。

忌野清志郎の自己主張

忌野清志郎は、さまざまな形で自己主張をしてきました。音楽活動そのものももちろん一つの主張です。それに加えて、彼のメイクや髪型にも、彼なりの自己表現が現れています。

メイクや髪型は、海外アーティストたちの影響が強かったといいます。ファッションもそうでしょう。ただ、それらを取り入れる時、ただのマネではなく、彼独自のスタイルに変換されているのが特徴です。ツンツンとはねた頭、男性的ではもちろんないけれど、女性的でもないメイクは、忌野清志郎的、またはロック的と言えばいいのでしょうか。また、華やかな原色系色使いのファッションも決してマネのできないセンスの発現です。

多くのカバーバンドがR.C.サクセションをコピーしましたが、忌野清志郎をコピーするのは非常に難しく、音楽性でもビジュアルでも、忌野清志郎を真似て成功したアーティストはまずいません。唯一、忌野清志郎によく似たZERRY(もちろん本人)一人だけが、彼に似たコピーだったといえます。

音の作り方・歌い方へのこだわり

忌野清志郎は、日本語をはっきりと正しく発音することに非常なこだわりを持っていたとされます。東京出身の彼は、標準語のイントネーションに沿ってこだわって作った楽曲がほとんど。メロディよりもイントネーションを優先していました。また、活舌のよい発声を心がけ、それはもちろん歌う中でも強調されてきました。

英語のロック、パンクなどの中には、意味不明な言葉や曖昧な発音の楽曲がたくさんあります。少し古い時代のそれらの音楽の歌詞を聞き取れないのは、英語の聴き取り能力の問題ではなく、彼らの発音にも問題があるのです。また、歌詞が日本語であっても、わざと崩した言葉を使い、乱れた歌い方をするのがロックであり、パンクであるという認識さえあったかもしれません。

忌野清志郎は、日本語でロックを作って歌うにあたり、はっきりと明瞭な日本語を使うことにこだわりました。彼の歌が、一緒に歌いやすいのも、その意味がストレートに響きやすいのも、そこに理由の一つがありそうです。

反発する忌野清志郎

見た目がパンクだった忌野清志郎は、現実社会でも多くの事件を起こしました。

テレビの生放送での大暴れなどは、近年の若者たちがしたなら、即刻芸能界から抹殺されるレベル。1988年に発表したカバー曲アルバム「COVERS」は、センシティブな原発問題を扱った歌詞がスポンサーとの関係悪化につながり、レコード会社から販売中止をかけられてしまいます。また、「君が代」のアレンジ版や特定のライブハウスを題材にした曲の発表でも、発売が予定通りに進まず、レーベルを変えての発売となっています。

その時代を風刺したり批判したりする内容を音楽に取り入れるのは、忌野清志郎がよくやった自己主張の手法。そんな彼の表現を認めずに押さえつける業界に対しても、彼は強く反発します。

確かに、一般的な常識の視線でみると「やりすぎ?」と思えるものも少なくありません。でも、彼は彼の主張を、音楽を通じて広く伝えることを諦めなかったように思えます。徐々に、その反発のスタイルはスマートになっていきますが、ゼロになることはなく、反発や反感を表現する時にも、彼なりのユーモアを加えて、受け手が受け取りやすい形で伝えてくるようになります。

画家「忌野清志郎」

小学校時代にマンガを描いていたという忌野清志郎。もし音楽で食べていけないなら、絵描きになるしかないと考えていたそうです。本人的には、音楽よりも絵に才能や自信があったのでしょうか。

彼が描き貯めた絵は、彼の死後個展として公表されました。その中身は、油彩、スケッチ、イラスト、絵本用の原画などなど。

「忌野清志郎の世界」と名付けられた個展では、小学生の栗原清志が描いた静物画や風景画から、のちに出会ったミック・ジャガーや間寛平をモデルにした人物画まで、そして、カラフルなものもモノクロもありと、多様な作品群が展示されました。

花を描いた静物画や自画像からは、彼が大いに刺激を受けたというゴッホと、時代を超えたつながりを見る思いです。

忌野清志郎の交友関係

忌野清志郎を語る時、音楽とともに避けられないのが、その深く厚い交友関係でしょう。

子どもの頃からの付き合いであるR.C.サクセションのメンバーたち。彼のソロ活動を支えた国内外のミュージシャンやプロデューサーたち。ともにグループを組んで音作りをしライブをした音楽仲間たち。

そんな、音を挟んだ仲間は、ミュージシャンである忌野清志郎にとって、ある意味当たり前の存在かもしれません。そこで、音楽からは少々外れた交友関係をみていきましょう。

竹中直人とは、忌野清志郎がブレークする前からの長い付き合いで、互いに尊敬しあう中だったといいます。間寛平もまた、音楽だけでなくプライベートでも付き合いがあり、互いの仕事分野で協力し合っていました。間寛平がアースマラソンへの挑戦に向かって準備をしていた時も、そして実際に参加していた時も、忌野清志郎は闘病中でした。そして、マラソンへの挑戦中に訃報を知った間寛平は、テレビ番組の撮影中だったにも関わらず、号泣から立ち直ることができませんでした。

俳優の三浦友和は、なんと忌野清志郎の中高校生時代からの友人。その頃結成したばかりのデビュー前のR.C.サクセションでパーカッションを担当し、全盛期のライブに飛び入りし、アルバムCOVERSにも参加しています。三浦友和は、大学へと進学しなかった理由について、高校時代に忌野清志郎と出会い、自分も音楽で食べていけると勘違いしてしまったからと言っているそうです。

また完全プライベートの交友関係では、不遇だった若い頃から交際していた女性と結婚。ただし、その結婚も30代後半に高校時代の恩師の「許可」を得て初めて実行したものです。この教師は、忌野清志郎が「大好き」と公言する人で、「自分が本当にやりたいことがあるなら、結婚はするな」と卒業式に語ったそうです。その言葉を忘れられず、結婚に踏み切れずにいた忌野清志郎ですが、ライブに訪れた恩師が「もういいんだよ」と言ってくれたことをきっかけにプロポーズしたそうです。

この教師は、息子の将来を心配して新聞の身の上相談に投書したという忌野清志郎の母親を説得してくれた人物であり、忌野清志郎が恩師として初アルバムを手渡しに行くほど「大好き」だった人です。

これらのエピソードからは、忌野清志郎は「人」をまっすぐに信じ、「人」を強く愛する人だったのだということが、しみじみ伝わってきます。

まとめとして

2019年5月には、日比谷野外大音楽堂で、「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー」が開催されます。忌野清志郎が亡くなってから毎年行われてきたロックン・ロール・ショーですが、2018年の開催がなかったことから、今年の開催が危ぶまれていましたが、あれから10年。2019年は、FINALとして「LOVE&PEACE」をテーマに、忌野清志郎の軌跡をたどるコンサートが開催されます。

出演者欄の先頭には「忌野清志郎」の名が載っています。もう忌野清志郎はいないとどこかで本当はわかっています。ステージに現れることもないのだと知っています。でも実は、バックステージから覗いているような、観客席のどこかで観ているような、ただ、今日は都合により欠席しているだけのような気がしたまま過ぎた10年。

今年のFINALライブ。これで最後になってしまうのでしょうか? このライブへと、忌野清志郎に会いに、忌野清志郎の音楽を聴きにくる人々は、そこで忌野清志郎をどう感じ取るのでしょうか。彼が遺していった、音楽という形の愛を、これまで以上に強く経験することができるのではないかと期待しているのは、私だけではないはずです。

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