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斜塔だけじゃない! 街の隅々まで古代・中世がいっぱい~ピサ/イタリア・トスカーナ
歴史ある地中海の都市の中でも、古代都市として長く君臨してきたピサ。
中世以降は宗教や自然科学などの文化の中心地となったことで、街は破壊されることが少ない状態で保存された。
有名なピサの斜塔から、ツアーでは見逃してしまいそうな見どころまで満載の街をそぞろ歩こう。
ピサの歴史
古代ローマにおいて、既に「古代都市」といわれていた「ピサ」は、紀元前13世紀から都市として機能していたとの説もあるほどの古い歴史を持つ。
しかし、その起源はまだ不明。証明されているのは、紀元前5世紀頃からの交易都市としてのピサの存在。さまざまな民族が移住・定住し、町を発展へと導いた。
11世紀には、「ピサ共和国」として地中海貿易の中で重要な役割を果たした。繁栄は13世紀半ばまで続くが、その後は台頭してきたフィレンチェや地中海経営に興味を持つフランスなどに押され、ピサはトップの座から滑り落ち、トスカーナ地方におけるナンバー2の地位に定着していった。
ピサは、経済・政治の中心地としての1000年以上に渡って保ってきた地位を失い、地中海沿岸地域の文化的な中心としての役割を担うようになっていったのだ。
世界遺産「ピサの斜塔」の傾き加減
ピサと言えば「斜塔」。その名の通り、傾いた鐘楼として有名だ。
イスラム美術の影響を受けた「ピサ・ロマネスク」と呼ばれる様式で建てられた大理石製の塔は、1173年に第一期が着工されたが、建設中から傾き始めていたため5年で休止。傾斜を修正しながら第2工期が始まったのが1272年。しかし傾斜は進み、止めることは叶わなかった。第3工期は1360年からスタート。既に傾斜は修正不可能なものとして、最上階層のみを鉛直状態に建て、実際に予定されていた塔の高さよりもかなり低い55mでその建造を終えた。
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「ピサの斜塔」は「ピサの塔」になれるのか
ピサの斜塔は、建築を終えた後も、一時的に傾きが増大することが何度もあり、倒壊の危機が叫ばれた。
塔が傾く原因は地盤沈下。塔の地下部分に流れ込む地下水の影響で地盤が軟らかく、地盤強化のために行ったさまざまな工夫がますます傾斜を進める結果となることも多かった。
現代になって、多くの地質学者や建築家、建設会社によってさまざまな案が出され試されたが、本質的な解決にはいたっていない。
現在、傾きが進む不安定で危険な状態は逸したとして再び一般公開されているが、「ピサの塔」になれる日がくるのかどうか、未来のことは分からない。
ピサの斜塔見学
斜塔内部は297段の階段が設置され、最上部まで上ることができる。ただし、内部が狭いこと、斜塔の重力バランスのためなどの理由から、入場制限が行われている。
そのため、入場券は当日窓口で購入する場合、すぐに入場できず、何時間も待つ可能性もある。ネットなどで事前購入しておいたほうがいいだろう。
また、大きめの荷物は持ち込みが禁止されているので注意が必要だ。
大聖堂「ドゥオモ」
ピサの観光の中心であるドゥオモ広場に立つ大聖堂は、1063年から1272年の間に2回の工期に分けて建築されたもの。ピサの当時に反映を物語る豪奢な建物だ。ピサの斜塔はこのドゥオモの付属鐘楼。
ロマネスク建築と呼ばれる様式ではあるが、さまざまな建築様式の優れたところと美しさを取り入れている。
ファサード部分は、装飾的なアーチと柱が4層も連続した立体的な美しさを持つ。平面は色や図柄の異なる大理石のパネルがはめ込まれ、彫刻などの細かい細工が少ないシンプルさの中に優雅さを持たせている。
聖堂内は宗教画や像が飾られているが、中でも見逃せないのが、後陣の半円型の天井部近くのキリストのモザイク。ジョバンニ・ピサーノによる説教壇の装飾も迫力だ。
洗礼堂
中世以前の初期キリスト教では、洗礼儀式のための洗礼盤が教会とは別の建物に置かれていることが多かった。
ピサの大聖堂も、洗礼堂を別に持つ。円柱型の洗礼堂は、神父の声が反響する構造になっている。内部見学の際には、ガイドや管理人が歌を唄って音響効果を証明してくれることもある。
洗礼堂の説教壇はニコロ・ピサーノの作。
墓所回廊「カンポサント」
ピサの貴族たちの納骨堂となっている。細長い建物の床は全て墓。足元では600人余りが眠りについている。
床も壁も棺も大理石製。ぎっしりと埋め込まれた棺が床になっている状態といえば分るだろうか。
それぞれの棺は、工夫を凝らしたパネルになっていたり、彫刻が施されたりしていて、質素ながらも美しい。
「死の凱旋」のフレスコ画は、保存のために別室扱いではあるが、納骨堂という場所柄その迫力は数倍だ。
奇跡の広場「ドゥオモ広場」
「ピサのドゥオモ広場」として世界遺産に登録されている。その内容は、「鐘楼(ピサの斜塔)」・「大聖堂」・「洗礼堂」・「墓所回廊」などを含む。ピサの過去の栄光を語る建造物たちだ
ピサを代表する建造物が一挙に集合している広場であり、奇跡の広場として市民に大切にされ、観光客であふれている。
鐘楼の東には「ドゥオモ付属美術館」があるが、見逃されがち。しかし、ドゥオモや洗礼堂内部の価値ある彫刻や絵画などのオリジナルが保存・展示されているので、是非足を運びたい。
サント・ステーファノ・デイ・カヴァリエーリ教会
16~18世紀に活躍したサント・ステーファノ騎士団(聖ステファン)に関連する品々、トルコからの略奪品などを含む、宗教画や胸像を所蔵している。
現在のピサ市第2の広場であり、聖ステファノ騎士団本部の跡地でもあるカヴァリエーリ広場に位置している。カヴァリエ―リ宮殿とその前に立つ聖ステファン騎士団の創設者「コジモ・デ・メディチ」の像が目印。
教会は小さなものだが、色違いの大理石を組み合わせた1枚の絵のようなファサードが特徴的。
ピサ植物園
ヨーロッパにおいて、植物学は医学でもある。そのため、古代都市には植物園が多く存在していた。ピサにも歴史ある植物園が残っている。
ピサ大学の付属施設となっているが、ヨーロッパ最古。メディチ家の計画と保護を受け、大学とともに発展した。
現在は世界中から集められた珍しい植物が育てられている。もちろん見学可能なので、白い大理石の建造物を見飽きた頃に立ち寄ると癒される。
ピアッジョ博物館
少々マニア向けかもしれないが、バイクのベスパで有名なメーカー「ピアッジョ」の博物館。
新旧ベスパとその時代のポスターやバイク用品などが展示されている。
アルノ川遊覧
ピサ市内は、歩きや馬車、バスなどで移動することが多いが、アルノ川を遊覧する船を使っての移動や観光も可能だ。
全てのスポットを網羅するわけにはいかないが、川から眺めるピサの街や建造物は、また一味違っている。
古代の有力者たちは、古き良きピサをこうして眺めたのだろうと想像できる。
ピサ市内観光は時間をかけて
有名どころをグルっと回って終えるのがほとんどのツアーだが、ピサは地中海都市の中でも古い歴史を持ち、古代から中世までの遺跡があちこちにそれこそゴロゴロしている。
もし他の都市にあったなら、十分に観光名所になりそうな教会や城壁などが、市内になんの案内板もなく溶け込んでいる。
街そのものが独特の雰囲気をもっているので、探検散策気分でゆっくりと時間をかけて隠れた魅力を見つけたい。
最後に
半日もあれば、大きな見どころは観光可能だが、ピサの街を味わうには、丸1日あっても足らないだろう。
街中のレストランやバーの上のホテルに泊まり、街の裏通りや川沿いの路地、朝のピサ、夜のピサも味わわなければ損。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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