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スペインからイギリスへ、そしてジブラルタルへ~ジブラルタル/イギリス領
世界中を植民地化しようとする大国の争いは終わったものの、まだ植民地はいくつも残っている。
ジブラルタルは長く植民地争いに巻き込まれてきた地。なんと300年にも及ぶ領有権争いの現場となってきた。
しかし、植民地として存在する期間が長すぎて、ジブラルタルはジブラルタル人のための地となりつつある。
スペインと国境を接し、アフリカ大陸と狭い海峡で向かい合うジブラルタルは、軍事要所としての歴史から脱却し、観光名所として世界の旅人を迎えるようになりつつある。
ジブラルタルはどこに?
スペイン・イベリア半島の南東にある南北に長い半島である。現在はイギリス領となっている。
北側は幅800mの中立地帯を挟んでスペインと国境を接し、南はジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸モロッコに面している。東は地中海、西はジブラルタル湾に挟まれ、軍事的にも商業的にも要所として注目されてきた。
ジブラルタルはどんな国?
わずか6.5キロ平米の面積に約3万人が暮らす。住民はイギリス系がもっとも多く27%。スペインやイタリア、ポルトガル系も、それぞれ10~25%程度を占めている。
しかし、イギリス領であるジブラルタルで生まれ育ったジブラルタル人が多く、自分たちをイギリス系ジブラルタル人と考える住民が多い。
経済的にはイギリス軍の駐留地として成り立っている部分が大きい。ジブラルタル港は自由港であることから貿易の中継地として、税率の低さからショッピングやギャンブルを楽しむ観光地として発達しつつある。近年では、税金対策の金融業などの発展も目覚ましい。
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ジブラルタルにおける人類の歴史
人類の祖先・ネアンデルタール人も暮らしていたこの地に、定住者が現れるのは紀元前950年頃。交易中継地点として、多くの民族が一時的に定住するが、8世紀に入るとイスラムの支配下となる。ジブラルタルの名は、征服者であるウマイヤ朝の将軍「ターリク」の「山」を意味するアラビア語が語源。
その後、スペイン・フランス、イギリス・オーストリアなどがそれぞれの思惑を持ってジブラルタルの奪取を目指して戦いを繰り広げた。
1713年のユトレヒト条約でイギリスは地中海における足場としてジブラルタルを獲得。以来、イギリス軍が駐留するイギリス領地となっている。
ジブラルタルの戦略的意味
半島の大半は岩山で形成されていて、その地中海に面する東側は絶壁でほとんど人を寄せ付けることがない。西側はスロープ状の市街地と良港が作られている。そして、南はジブラルタル海峡を見渡す。
軍事面では天然の要塞として、経済面でも海上交易の経由地として注目されてきた。
ヘラクレスの柱「ザ・ロック」
ギリシャ神話で、近道をしようと山を真っ二つにしたヘラクレス。その時割られた山が二つの柱になり「ヘラクレスの柱」と呼ばれるようになったという。
ジブラルタルの岩山は、古代からこのヘラクレスの柱の一つだと考えられてきた。
ジブラルタルでは、この岩山を「ザ・ロック」と呼び、ジブラルタルのシンボルとしている。軍事的に使用されてきた歴史を持ち、現在も軍事施設が置かれているが、近年はハイキングコースが何本も整備され、ロープウェーも通り、住民と観光客にとって気軽に訪れられる地となり、展望台や一部の軍事施設が開放されている。
「ザ・ロック」ハイキング
軍事施設があることや、自然な地形の激しさから、古くは人を寄せつけなかったザ・ロックも、現在は観光地化が進み、車で、徒歩で、ロープウェーでと訪れる人が多い。
晴れた日には、遠くアフリカ大陸や、スペイン・アンダルシア地方まで見渡すことができる。
ザ・ロック周辺には、紀元前からのジブラルタルにおける人類の歴史物語る遺跡が点在し、山頂ではザ・ロックに関連したさまざまなお土産も売られている。
「ザ・ロック」と猿
ザ・ロックでもっとも威張っている生き物は猿。ヨーロッパでは唯一の野生猿生息地として知られ、イギリス軍によって手厚く保護されている。
見た目は日本猿ともよく似ているが、陸続きの周囲に猿の生息地がないことから、原産はアフリカだと考えられている。ペットとして連れてこられたものが野生化したのだろう。
この猿、第二次世界大戦中に物資不足から世話が行き届かず、生息数が激減したことがあった。しかし、ジブラルタルの名物となっていた猿の減少をイギリス軍の勝敗にかけた、時のイギリス首相チャーチルが、直々に猿の保護を命じたという。
そのおかげか、すっかりザ・ロックの主となった猿たち。現在は訪れる観光客のカバンを狙う厄介な存在となっている。彼らは人を恐れることなく、襲いかかってくる。カバンのジッパーも開けて中身を探る。日本やアジアの観光地と同じく、食べ物を手に持たないこと、カバンは前に抱えることなどの注意が必要だ。
聖マイケル洞窟
150か所もの鍾乳洞を内側に持つザ・ロック。その中でも西斜面の中腹にあるのが「聖マイケル洞窟」だ。
鍾乳洞自体の規模はさほど大きくないが、人工的に手を加えたコンサートホールが作られていて、現在も使用されている。
軍事要塞跡と現軍事施設
また、数々の鍾乳洞はその形を軍事的に利用しているものもあり、また人口的に掘り勧めた地下通路、弾薬庫、貯蔵庫なども残されている。
現在も使用されているものは基本的に未公開だが、一部の古い施設は開放されている。遺跡的な存在とはいえ、現在もイギリス軍が駐留している地にある軍事施設を一部見学できるとあって人気だ。
砲台跡
ザ・ロックの山頂部や山腹部には、オハラ砲台、ネイピア・オブ・マグダラ砲台、プリンセス・キャロライン砲台、パースンズ・ロッジ砲台などが軍事遺産として残されている。
ジブラルタル沿岸からザ・ロックを守りつづけてきた様々な時代の大砲たちの一部もまた、観光客にも公開されている。
ショッピングと街歩き
町はスペインに近くスペイン系住民が多いため、スペイン風の雰囲気を持っている。そこへ、イギリス風のパブやカフェがちらほらと混ざっている。
また文化的にも、スペインの土壌にイギリスの風と水を流し込んだミックスカルチャーな様子が見受けられる。しかし、スペインがジブラルタルに対して行ってきた封鎖措置は、住民たちの中に反スペインの精神を植え付けてしまったとの説もある。
ヨーロッパ・ポイント
ジブラルタルの街並みが途切れ、目の前に海原が広がる最南端。アフリカを海の向こう側に眺める高台には、巨大モスクが立っている。サウジアラビアの国王が建てたものだという。
ジブラルタルのザ・ロックの最南端は「ヨーロッパ・ポイント」と呼ばれ、その陸地は浪間から点々と顔を出す岩となって終える。
灯台と小さなお土産屋があるだけだが、最果ての地を訪れた感覚を味わえる。
ドルフィンツアー
歴史や遺跡以外にもう一つ、ジブラルタルの魅力は海。
クルージングツアーでは、年中イルカの群れに出会う事ができる。さらには、クジラも見かけることがあるとのこと。
岩山を上った後は、真っ青なジブラルタル湾でイルカクルージングを楽しむのもいいだろう。
最後に
スペインから地続きの半島だが、イギリス領。多くの観光客はスペインから車や徒歩で国境を越えて訪れる。
生きた領有問題を抱えているジブラルタルでは、政治的に安定している時でさえ、イギリスとスペインの文化のせめぎ合いを感じることができる。
ジブラルタルが持つ背景を知り、他人事ではない領土問題について噛みしめながら観光してみるのも一つの歩き方だろう。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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