»旅を職業にしたい人募集中!旅を人生の中心にしてよりハッピーな生き方に!「詳細はこちら」
ボン「Bonn」/ドイツ
ベートーベンを生み出し、シューマンとその妻が眠るボン。この町には音楽が常にその中心にあった。
また、自由な気風を持つボン大学の存在が、芸術だけにとどまらない文教都市ボンの名を高めている。
さらには、暫定首都としての立場を終えても、ボンは行政都市としての表の顔を戦争の遺産として持ち続けている。
決して大きくはない都市に3つの顔。ボンは、外から見るとそうとは知れないが、中には宝石がぎっちりと詰まった小さな玉手箱のような場所なのだ。
ボンが歩んできた道
ローマ帝国、ナポレオン、プロイセンなどの支配の下で、常に芸術家を生み出し、誇りを持ち続け、自由な学びの場を守り続ける文教都市としてあったボン。小さな地方都市でありながら、その名はヨーロッパに知れ渡っていた。
多くのドイツ内の都市と同様、第二次世界大戦中はさすがに大きく巻き込まれ、多くの歴史的建造物が多大な被害をこうむったものの、戦後ドイツが東西に分断された時には、西ドイツの仮の首都となった。
大きすぎず、小さすぎることもなく、またその町の名は広く知られていても、政治的にも経済的にも目立ちすぎることもなかったボンだからこそ、仮の首都という運命を受け入れ、東西ドイツとベルリンが統一された今、ボンは首都の座をベルリンに返還するという運命もまた受け入れた。しかし今もボンには、行政都市として多くの国家機関が残存している。
ボンの政治的・経済的な無欲さと謙虚さは、他都市とは一線を画す独自の街づくりやプライドのもとになっている。
ベートーベンハウスとベートーベンゆかりの地
ボンといえば何はなくともベートーベン。まさに、町を歩けばベートーベンに当たるといっても過言ではない。ベートーベンの存在感に驚かされることだろう。
道端にベートーベンの姿の入ったポスター、看板、等身大の人形などはゴロゴロ。もちろん、正しく銅像や縁あるレストランや博物館などもあり、音楽ファンたちの嬉し気な顔が集まっている。
そんな中でも一番人気は「ベートーベンハウス」。ベートーベンはその生涯のほとんどをウィーンで過ごしたのだが、生まれはボン。街の通りにびっくりするほど自然にはまっている「ベートーベンハウス」は彼の生家だ。現在は博物館になっていて、ボンとウィーンで過ごしたベートーベンの記録がぎっちりと詰め込まれている。
その後半生、音楽家としての命である聴覚を失い、補聴器を使い、音の記憶を辿って作曲を続けたベートーベン。その補聴器現物、聴覚を失うという絶望から書いた遺書などもここに展示されている。
楽聖としてだけでなく、苦しみ生きたベートーベンという「人」の姿も、ここでは知ることができる。
ベートーベンハウスすぐ近くにある聖レミギウス教会にも足を運んでみよう。小さな教会だが、ステンドグラスが美しいこの教会で、10歳のベートーベンがオルガンを弾いていたといわれている。
求人情報
月収38万円~保障。学歴・性別・年齢・経験 問いません。旅が好きな人を募集しています。
楽聖たちのお墓まいり
ボンには、ベートーベンの母の墓があり、ベートーベンもそこを訪れたことがあるものの、本人は眠っていない。ベートーベンの墓はウィーンにあり、これはシューベルトと隣同士だとして有名。
その代りといってはなんだが、シューマンとその妻クララの墓、そしてワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」のモデルになったともいわれるヴェーゼンドンク夫妻の墓がある。
ボン旧墓地と呼ばれるボン郊外に位置するその墓場は、今は公園のような趣になっていて、ボンを訪れた音楽好きたちのお気に入りのコースの一つとなっている。
ボン大学
1818年創立と、その歴史はそれほど古くないものの、自由な研究スタイルとその環境・戦後修復され再建された美しい校舎が人気を集めている。
神学系学部、哲学や自然科学などの分野が有名で、日本を含めた世界各地からも研究のため多くの学生や研究者が訪れている総合大学だ。
校内は一般が立ち入ることのできるエリアも多く、校舎内を散策することもできる。それは、学校というイメージからは程遠く、修道院か改装中で美術品が置かれていない美術館か、はたまた宮廷や城の内部かといった雰囲気。飾り気こそないが、シンプルビューティーな姿にほれぼれする。
ミュンスター教会
ボン大学の前に聳える寺院。ドイツ国内でも最古といわれる教会で、青いとんがり帽子をかぶった姿は、高層ビルのないボンの街のあちこちから目印がわりに使うことができる。
ミュンスター教会は、少し離れた位置から見ると、スラリとした優雅な姿をしているが、近くでみると重厚さを増し、内部はさらに荘厳。
内部で行われるミサは参加が可能。賛美歌とパイプオルガンの音色にうっとりと聞きほれる時間を持てる。ただ、回廊などをゆっくりと見学するなら、入場時間が制限されているので、注意が必要だ。
民主主義の道巡回コース
ボンに西ドイツの首都がおかれたという事実は、ドイツで民主主義が貫かれてきたことを意味する。ボンに残る政府関連施設のすべては、ドイツにとって、ドイツの復興・統一・民主主義そのものであり、今も重要な象徴的建造物として認識されている。
ドイツ連邦共和国歴史館・旧首相官邸と公邸・旧連邦議会議事場などは、その役割を終えた今、ドイツの現代史を知る大切なツールとして公開されている。
これら一連の建造物を巡るツアーは、「民主主義の道」と名づけられ、多くの参加者を伴った現地のボランティアたちやツアーコンダクターたちによって毎日のように催行されている。
歴史館など、いくら時間をかけても足りない場所も含まれるが、ツアーそのものは半日程度が多い。現代ドイツとボンが辿ってきた道をおさらいするにはちょうどいい入門コースとなるだろう。
ハリボーショップ
日本でも知られるようになったお菓子のグミの有名メーカー「ハリボー」の創設者がボン出身とあって、ファンとしては大感激の「ハリボーショップ」がある。
ちょっとしたスーパーサイズの店の棚、そのすべてがハリボーで埋まっているという状態にビックリ。工場直営のショップだけあって、よく見かけるハリボー以外にも外国語が書かれたいろんな国用ハリボー、ハリボーグッズなどがズラリと勢ぞろい。
多彩なハリボーはスコップで量り売りされているので、好きなものを好きなだけ詰めて、自分だけのオリジナルハリボーパックを持ち帰ることができるのだが、子どもも大人も大興奮状態なのが、ちょっと怖いほど。
大人気のハリボーショップだが、土曜は早く閉まり、日曜は定休日。ボンまで来てハリボーを逃したとなっては涙も出ない、という人は営業時間をしっかりとチェックしておくこと。
バートゴーデスベルク「ゴーデス城レストラン」
ボンの中心からは少し離れるが、バートゴーデスベルクの高台に建つゴーデス城は、ボンを訪れたなら是非足をのばしたいポイントだ。
町全体を見下ろす丘の上という立地から、古くから城や教会などが建てられては壊され、廃墟となってはまた新しく建てられるという歴史を繰り返してきたが、現在残っている城は13世紀に建てられた城を修復し改築してきたもの。
城としての役割を終えた後は、一時的にホテルとして利用されていた時期もあるが、現在はなんとレストランになっている。
城そのものはもう跡といったほうが近い状態で、城壁と塔などの保存状態の良い建物がレストランになっている。城址を散策し、その片隅のレストランで食事をしたりお茶を楽しみながら、町とライン川を見下ろすのは、なかなか優雅な気分だ。
最後に
ボンは数十年前まで首都だったとは信じられないほど、こぢんまりとした街だ。今もボンを訪れる観光客のほとんどが日帰り客であり、周囲の大都市から電車や車で朝訪れて夜には帰って行ってしまう。
確かに、ボンには世界遺産のような目を引く観光ポイントはないかもしれないが、街そのものがイキイキとしているのは訪れればすぐに感じ取れるだろう。
朝とともに街が目覚め、躍動的な昼を過ぎ、穏やかな夜を迎えるというまるで交響曲のような一日がボンの日々を作り出している。ボンを訪れるなら、ぜひボンの24時間を体験してほしい。
求人情報
月収38万円~保障。学歴・性別・年齢・経験 問いません。旅が好きな人を募集しています。