こんにちは、マイコです。
突然ですが、あなたは今、幸せですか?
今回、私がご紹介するのは、ミャンマーの村で発見した、本物の「幸せ」と「豊かさ」についてのお話です。
ある、突然の出会い
ある日、パアンの街を歩いていると、前方に柵で囲まれた大きな敷地を発見しました。
開いたままになっている扉。
入って良いものかわかりませんが、恐る恐るお邪魔させていただくと・・・
一面、緑のとても開放的な空間が広がっていました。
山が聳え立っていて、まるでこの村を見守っているかのよう。
側には浅い池があり、犬が水浴びしています。
そして、さらに進んでいくと、高床になっている家がちらほら見えてきました。
この写真は、そのうちの一軒を、家の中の人にお願いして撮らせていただいたものです。
お家へお邪魔させてもらえることに
「ミンガラーバー(こんにちは〜)」
と大きな声で挨拶!し、お喋りしていると、お家へお呼ばれしてもらいました。
遠慮がちにも、上がらせていただくことに。
氷いっぱいのコーラをいただきながら、前方に頂くパブ山を眺めていると、
”まるで時間が止まっているよう。”
ミャンマーは 10月の今もものすごく暑く、歩いているだけで汗だくになります。
しかし、この開けっ放しで冷房もないお家の中がなんと、とても涼しくて快適なのです。
この村に入ってきたとき、
「なんで家が全部、高床なのだろう?」
と不思議に思っていたのですが、その意味を 今、五感でフルに感じて理解したような気がします。
この村に代々住む人たちの知恵と工夫に感心しながら、このゆ〜っくりと流れる時間のあるがままに身を委ねていると、
「1億円の都内のマンションよりも、よっぽど価値があるものを見つけた。」
そんな感覚を、自然ともっていました。
ここで暮らしている人たちは皆、何に急いだり急かされたり心を乱されたりすることもなく、文字通りの「平穏」の中で暮らしています。
そして、家族みんなが、お互いをとても大切にしていて、温かさをとっても感じました。
お家にお邪魔させていただいて、私たちまで、とても穏やかな気持ちにさせていただきました。
子供たちの笑顔は正直だ!
先ほどの家を後にして、村を奥に進んでいくと、たくさんの子どもたちが遊んでいるのを見つけました。
1つのボールを必死に追いかけサッカーで遊ぶ少年たちの声、女の子たちが部屋の中でおしゃべりしている姿、向こうでは大きめの男の子たちが本格的なサッカーをプレー中。
中でも目が釘付けになったのは、子どもたち一人一人の「笑顔」です。
その表情から、この子たちのここでの生活を垣間見たような気がしました。
この惜しみなく与えてくれる純粋な笑顔に、何度となく「幸せ」を感じ、思うことは、
この子たち一人一人が、本当の意味で、”幸せな生活” をこの村で送っているからこそ、こんなにも素晴らしい笑顔を、いつまでも、惜しみなく、私たちに与えてくれることができるんだろうな。
ということ。
そこで一つ疑問に思ったことがあります。
一体、日本に暮らしている私たちと、どちらが本当の意味で「豊か」なのだろう。
ここの村の人たちは、確かに、物質的には「豊か」ではありません。
ありものの空き瓶や生えている草でゴールを作っていたり、ずっと蹴っていてバコバコになったボールを使っていたり、見るからに大人用の大きな服を着ていたり・・
もしここで、私が、
「この村では、ダブダブの服を着ている子供たちをたくさん見た。」
とだけ表現した場合、私たちが抱く印象は、
「可愛そうな子供たち」
ではないでしょうか。
しかし、彼ら彼女らは、私たちが今、ほとんど忘れかけている本当に大切なものを持っていて、ゆえに、この村で、実はとても「豊か」に暮らしていました。
子どもたちの「澄んだ目」や「笑顔」。
それは決して、誤魔化しやその場しのぎでできるものではありません。
彼らは、このゆ〜っくりと流れる時間と空間の中で、思い思い好きに生き、村の他の子どもたちや家族、兄弟たちと譲り合いながら共に暮らし、それゆえ、いつもハッピーでいられるのだと思います。
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私たちに今、できることは?
この、実は当たり前のことを、「今、やらなければならない」と、誰かが決めたり誰かに言われたりするタスクを繰り返しこなすことで生きるようになってしまった私たちは、いつからか、忘れてしまったり考えなくなってしまったりしているのでは無いでしょうか。
自分が生きることに必死になり、周りと共に生きることや、家族や友人と共にする時間が、他人に与えられたことの二の次、三の次になってしまったりしていないでしょうか。
そうならない為にも、ぜひ振り返ってみて欲しいことがあります。
「あなたは今日、大切な人たちとともに、生きていたでしょうか?」
そしてたまにちょっと、振り返ってみてください。
「私利私欲に走ってしまっていないか」と。
心の豊かさは、分け合うことで生まれてきます。
物質的な豊かさに埋もれることなく、本当に大切なものを、自分自身で見つけていきたいですね。