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謎だらけの古代文明遺跡で、その都市計画のすごさにびっくり~モヘンジョダロ(Mohenjo-daro)/パキスタン
歴史の授業で必ず暗記する「モヘンジョダロ」。しかし、実生活の中での登場率は低く、卒業後何年かたつと、その言葉は頭に残っていても「なんだったっけ?」程度の存在になってしまう。
でも、世界を旅するとなると、特にバックパッカー旅行や世界一周を目指すなら訪問候補地の一つとしてあがってくる可能性が突如高まる。
モヘンジョダロは、世界の古代三大文明の一つ、インダス文明の都市遺跡であり、謎が多いことでも知られている。
モヘンジョダロが持つ謎の数々
インダス文明は紀元前5500年から紀元前2000年頃まで、インダス川河口近くに発展した古代文明だ。しかし、モヘンジョダロという巨大で精緻な都市がいつごろどんな形で繁栄していたのかは、現在も検証中。
まず、「モヘンジョダロ(死の丘)」と呼ばれ、長く禁忌地区とされてきた本当の理由が謎のまま。現地で斬殺人骨が多数発見されたことが理由との説もあるが、地元民たちはその発見以前から近づこうとしなかったという。50体近い遺体がなぜ斬殺されて放置されていたのかももちろん謎だ。
繁栄期には3~5万人規模の人口を抱えていたと考えられているが、彼らがいったいどこへ消えたのかも謎。地層に含まれる高濃度の放射性物質の存在理由も謎。
近年になって、モヘンジョダロは都市遺跡が何層にも積み重なっていることが分かってきた。掘り進んだ時、どこまで年代を遡る結果となるかも謎である。
永く砂漠に埋もれていたモヘンジョダロだが、発掘開始以来、数メートル掘るごとに塩水が大量に湧き出してくるという悪条件が続き、発掘が進まないだけでなく、遺跡を構成するレンガが塩で劣化・風化していき、土に還ってしまっている。
1922年の発見以来、既にその形を残していない遺跡や遺構も多く、その歴史は永遠に謎となってしまった。
理想的な都市としてのモヘンジョダロ
紀元前5千年頃から発展し、周囲5kmにもわたる大都市であったモヘンジョダロだが、ほかの古代文明都市とは異なるある特徴を持っている。それは、「王」や「神官」などの飛び抜けた強権を示す建造物がないことだ。
古代文明は、神とその子孫である王や神に仕える神官の存在が大きく、当然権力も強い。さらに、その力を支える武力的背景も存在しているのが一般的だ。
しかし、モヘンジョダロを見学して感じるのは、「権力」を現わす宮殿や砦の不在と、あくまで「生活」を中心とした快適空間としての都市施設の充実度の高さだ。
碁盤の目状の道路、上下水道システム、家庭風呂、公衆浴場、治水、建築技術など、社会構造を支える仕組みの整いぶりは遺跡観光をしている目にも明らかであり、驚かされる。
これらのことから、安定した政治体制が長期間に渡って保持されていたと想像できる。まさに、理想的な都市に近かったのだろう。
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モヘンジョダロの展望台「ストゥーパ」
モヘンジョダロ発見のきかっけとなったストゥーパは、滅んで埋もれたインダス文明の遺跡の上に作られた2~3世紀頃の仏教遺跡だ。このストゥーパの存在によって、発見当時モヘンジョダロは仏教遺跡だと信じられていた。
モヘンジョダロ全体の中でもひときわ高さのあるストゥーパは高さ15m。倒壊してしまっているが、大きな仏教寺院の中心に丸い仏塔がそびえていただろうことは、周囲の瓦礫から想像できる。
遺跡全体を見渡すのにもちょうどいいため、モヘンジョダロを訪れて最初に見学することが多い。
市街地区
ストゥーパの裏手にある整然と区画整理された市街地。道路や上下水道が計画的に整備されていたことがうかがえる。
各家屋や施設から流れ出る細い下水道は外でより大きな下水道につながり、詰まることがないよう工夫されていた。下水道は一般ゴミの捨て場にもなっていたようだ。さらに、汚水が目に触れることがないよう、石で蓋までされている。風呂だけでなくトイレもあり、当然水洗。
道路にはレンガが細かく幾何学的に敷き詰められているのを今もはっきりと見ることができる。見た目の美しさだけでなく、強度を高める工夫でもあるらしい。滑らかな表面は舗装されているかのようだ。
平屋、二階建て、大小の住宅後が並ぶ住宅地エリアもある。なかには比較的保存状態が良く、屋根こそないものの壁が残り内部の様子を見学できるところもある。一件あたりの敷地も間取りも狭いところは大都市の住宅事情を想像させる。
家の基礎土台や壁だったレンガの積み重ねが、下の方ははっきりと網目模様に、上部は風化で滑らかになりつつも残されている。風化の速度は速く、保存状態は思わしくない。
沐浴場跡
水にこだわりを持ち、清潔好きだったらしいモヘンジョダロの住民たち。各家に風呂が設置されているほか、共同浴場、そして大きな沐浴場も造られていた。
細かいレンガをきっちりと組んだところへタールを塗りこんで防水措置を施し、底は緩やかな傾斜をつけて排水しやすい構造となっている。城塞地区にある沐浴場は貯水槽としての役割も果たしていたと考えられている。
周囲には集会に使われた広場や建造物、穀物の貯蔵倉庫などがあり、政治の中心となっていたのではないかと考えられている。
のっぽな井戸
モヘンジョダロは何層もの遺跡が重なり合っているという特徴を持つ。そのため、現在目に移る景色の中には、数千年の間に造られた建造物が混在しているのだ。
不可思議な例としては、見上げるほどの高さを持つ井戸がある。背高のっぽな井戸とその周囲の住宅跡や道路との間には数世紀の年代差があり、この井戸が造られた当時、これらの家や道路は砂や土の下に埋もれていたのだ。
堅牢に造られたその井戸は、まるで地面から生えた巨大な煙突のような姿になっている。
インダス文明
高度な治水・建築技術を持っていたことは、遺跡を見回すだけで十分に理解できる。そして、これだけの都市を計画的に建設するだけの政治システム、4万人の住民の生活を保つための経済力も当然あったはずだ。
そしてなにより、それらをまとめる何かしらの強い権力の存在があったはずだが、それがほかの文明のように明らかではない。
身分の上下はあったものの、それは激しくかけ離れたものではなかったと考えられている。神官たちが政治的権力をある程度もっていたらしいことは、宗教施設と政治施設が近くに建てられていることから想像されているものの、これも確証はないらしい。
インダス川と失われたもう一つの古代川沿いには、「ハラッパー」など複数の良く似た遺跡が存在していて、互いに交易があったことも分かっているが、モヘンジョダロに関しては、多くの謎が謎のまま。それを解く鍵は見つかっていない。
また、謎が多い理由の一つにはインダス文字の解読が進んでいないこともある。多言語との関連性がみつからず、遺跡からは印章に刻まれた多くのインダス文字が発見されているが、現時点ではわずかに規則性が発見されただけで、まったく判読できていない。
モヘンジョダロへの行き方
最寄りの都市は「サッカル」。カラチから空路でアプローチすることになる。また、サッカルからモヘンジョダロまでの交通手段はタクシーのチャーターか観光バスが主流だ。
インダス川周辺は治安が悪化しているため、隣町のラルカナまで鉄道が通っているが、鉄道の使用もラルカナや現地での滞在もおすすめできない現状だ。
モヘンジョダロ空港もあるものの、国際便はなく、国内便の本数も極端に少ないためあまり使い勝手が良くない。カラチからのツアーで日帰り観光で訪れるのがもっとも無難な選択となる。
最後に
中学・高校の歴史の教科書で見聞きした「モヘンジョダロ」のホンモノを見る旅はワクワクする。勉強で知った「モヘンジョダロ」は非現実的な存在だが、そこには巨大な古代文明遺跡が確かに存在している。
治安面での心配から訪れることを躊躇してしまいそうだが、遺跡としての姿がいつまで保たれるかが心配な世界遺産でもある。現地情報をチェックした上で、チャンスは逃したくない。
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