タージ・マハルを造ったムガル皇帝の巨大な赤い城~レッド・フォート(Red Fort)/インド・デリー
デリーは昔も今もインドの中心地の一つだ。当然観光地としても名高い。
そんなデリーの中でもオールド・デリーと呼ばれる旧市街地区は、かつて愛した王妃のために純白の廟「タージ・マハル」を建てたムガル皇帝「シャー・ジャハーン」が作りだした赤い城を中心としている。
ムガル朝とシャー・ジャハーン
北インド全体を支配する一大帝国だったムガル朝最盛期の皇帝の名が「シャー・ジャハーン」。
彼は、それまでアーグラに置かれていた首都をデリーに遷し、自分のための首都「シャー・ジャハナード」を建設した。そして、このシャー・ジャハナードに皇帝の居城として17世紀半ばに9年をかけて作られた巨大な赤い城こそが「レッド・フォート」と呼ばれる赤い砂岩の建造物である。
皇帝シャー・ジャハーンの名はインドではよく知られている。それはあの「タージ・マハル」を建てたのがこの皇帝だったからだ。
二つのラール・キラー「赤い城」
「赤い城」を英訳した「レッド・フォート」が有名であり、世界遺産登録も「Red Fort Complex(赤い城建造物群)」となっているが、インドでは現地の言葉で「ラール・キラー」と呼ぶことのほうが多い。
また、実はインドには「赤い城」は二つある。一つはレッド・フォートだが、もう一つはレッド・フォート建築の際にお手本としたとされる、先に作られていたもう一つの旧首都の赤い城「アーグラ・フォート」だ。
レッド・フォートとアーグラ・フォートは、その建材に赤砂岩が使われていること、川を背景としていることなど、多くの類似点があるといわれている。実際に訪れて見比べてみても、似通ったところが多いことに気づくだろう。
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レッド・フォート
レッド・フォートを囲む総延長距離にして2kmともいわれる城壁はもちろん赤砂岩製。レッド・フォート全体は不規則な8角形とされる。
城壁の内部に残るムガル帝国時代からの建造物は、それぞれが水路で結ばれているのが特徴だ。建物はひとまとめにイスラム教の色濃いムガル帝国風といわれるが、ペルシア文化やヒンドゥー教文化の影響を受けていることは、建築様式や庭園のデザインなどからも見とることができる。
19世紀半ばの反乱時には、英国軍と反乱軍の両方からの攻撃の的となったため、レッド・フォート内の美しく華麗な宮殿の多くが破壊されてしまった。現在は、城壁のほか、門、謁見の間、皇帝とその家族の居室、モスクなどが残されている。
ラホール門(Lahore Gate)
8m近い城壁に作られたラホール門は、レッド・フォートの西に位置し、過去も現在もレッド・フォートの主要出入口となっている。その名は、ムガル帝国の中心地の一つであったラホールの方向に向いていることからそう名付けられたという。
外国からの見学者は割高な外国人チケットを購入したあと、外国人専用の入り口から入場する。
防衛のために建て増しされたという小さめの門を抜けるとちょっとした広場に出て、そこにある一回り大きな高さ33mの高さの塔を持つ本来のラホール門を抜けて、ようやく城内へと入る構造になっている。
ラホール門の八角形の塔の美しさは建て増しによって隠されてしまったが、建て増し命令を下した皇帝は、それを美女と美女を隠すヴェールにたとえたという。
チャッタ・チョウク(Chatta Chowk)
ムガル帝国時代から栄えていた市場で、当時は城外へと外出することが難しかった宮廷内の女性たちのショッピングの場だったらしい。チャッタ・チョウクとは屋根のある市場を意味する言葉を意味し、高級ショッピングセンターとして機能していた。
現在もその面影は残り、門から続くアーケードには観光客向けのみやげ物屋が軒を連ねている。街中よりも価格は若干高めの観光地価格なので、冷やかし程度に覗いていく人が多い。
デリー門
ラホール門に対する南側の門で、城内に勤務する者たちの通用門として利用されていたという。
現在は、デリー門周辺が軍事施設エリアに指定されているため近づくことができない。
ナッカル・カーナ(Naqqar Khana)
レッド・フォート全体の出入口としての門は二つ。しかし、広大な敷地内はいくつかにパーテーションされていて、城内にも門がある。ナッカル・カーナもその一つだ。
ナッカル・カーナは「中門」と呼ばれる門で、白い壁に赤い枠を持つ建物は老朽化が目立つ。二階部分は戦争や歴史に関する展示を集めた小さな博物館として利用されているが、見学する人は少ない。
ディーワーニ・アーム(Dewan i Am)
ナッカル・カーナを潜り抜けると正面に見えるのが「ディーワーニ・アーム」だ。王が一般人の謁見を受けた場所であり、定期的に苦情を申し立てに来る人々の意見に耳を傾けていたらしい。
建物の全面はドーム型の入り口を支える柱ばかりのスケスケ構造。正面からは9つのドーム型の入り口、そして左右にもドーム型入り口がある。赤い砂岩で作られた内部の中央には真っ白な大理石製の玉座がある。
現在はシンプルな赤い壁や天井しかみることができないが、かつては全てが金色に彩色されていたとのこと。玉座は細部にまで細かな装飾が施され、往時には宝石が埋め込まれていたという。
皇帝一族の居住空間
パラダイスにたとえられた皇帝一族の居住用建造物は、広い庭に沿ってすべてが白大理石で作られている。
「カース・マハル」は皇帝の寝所。「ラング・マハル」は「後宮」のことで、皇帝の妻たちが暮らしていた場所である。
「ムムターズ・マハル」はハーレムだったといわれる。ムムターズ・マハルといえば、シャー・ジャハーンの第一皇妃であり、愛妃の名でもある。タージ・マハルは彼女の廟だ。
外観はシンプルだが、内部は、彫刻やモザイクによる華麗な装飾が施されていた跡がみられる。
ディーワーニ・カース(Diwan-i-Khas)
ディーワーネ・アームに対して「ディーワーニ・カース」は貴族や外国大使との謁見のための上等な謁見殿となる。
当然、かなり豪華な装飾が施されていたとされるが、現在は赤や金の彩色も、使われていたはずの金銀や宝石も見ることができない。
「If there be a paradise on earth, it is here, it is here.(もし地上に楽園あれば、それはここなり)」の言葉が刻まれていることでも知られている。訪れた際には探し出したい。
サリームガル城(Salimgarh Fort)
1546年建造の巨大砦。8世紀後半からのイギリス統治下には、レッド・フォート同様にイギリス軍に接収されて軍用施設となっていた。
セポイの乱の後、デリーは再びインドの首都として主権を取り戻すが、サリームガル城はインド軍の軍事基地となったまま現在に至っている。レッド・フォートとともに世界遺産に登録されているものの、現在も軍事施設として使用されているため、ムガル帝国時代の歴史的建造物とともにイギリス風のコロニアル建築が多数残されているという城内は見学ができない。
赤く高い城壁からその様子をうかがうばかりだ。
オールド・デリー
インドの首都デリーは、イギリス統治以前と以降で「オールド・デリー」、「ニュー・デリー」にエリアが分けられている。
ニュー・デリーは近代的な高層ビルが立ち並ぶ大都市だが、オールド・デリーは、レッド・フォートやサリームガル城、同時代に建てられたモスクなどの歴史的建造物や市場といった見どころが揃っている。
最後に
古くから文明が発展し、多くの勢力が盛衰を繰り返してきたインドに遺跡が多いのは当然だ。そして権力の象徴である城や宮殿も各地に残されている。
レッド・フォートは古さでいえば、ほかの遺跡に比べて抜きんでているわけではなく、保存状態も決して良いとは言い難いが、インドでの人気は意外なほど高い。
その秘密は、一気に燃え上がり燃え尽きた、ムガル帝国の盛衰とシャー・ジャハーンの恋物語にありそうだ。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。