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悪魔や亡霊の棲家、人の侵入を妨げ続けた山~マッターホルン
スイスとイタリアの国境であるヴァリスアルプスに位置するマッターホルンは、標高4478メートルの岩山だ。
マッターホルンとは、世界的に広く知られた呼び名で、「(高地の)牧草地の角(ツノ)」を意味するが、現地イタリアでは「モンテ・チェルビーノ」、スイスではフランス語で「モン・セルバン」と呼ばれている。
また、「魔の山」との別名があるほど、恐れられた山でもあり、長くその頂上を踏みしめる者はいなかった。
現在のマッターホルンは、比較的手軽な登山を楽しめる4000メートル級の山として人気となっている。また、登らずとも、麓から眺めるのも美しい山だ。
さまざまな伝説を持つ山
「マッターホルンには悪魔が住んでいる」とは、19世紀半ばを過ぎても現地で信じられていた逸話だ。頂上付近に近づく者に対して、石や岩を投げては突き落とそうとする悪魔に出会ったという記録も残っている。
そのためか、「この山は登るものではない」という考え方が18世紀までは根強くあり、山を越えるのに頂上を通る意味はなく、より楽に越えられる峠を利用すればいいとされた。さらに、4000メートルを超えるような高山では、人間は夜を過ごすことは不可能だと信じられてもいたという。
実際に、麓のツェルマットの住民たちの中は、「マッターホルン頂上付近には、廃墟の町があり、城壁や要塞が残され、亡霊たちの棲家となっている」と信じて疑わない者もいた。
実際のところこれらの伝説は、マッターホルンの持つ、人を寄せつけない外観が人々に怖れを抱かせた結果だろうと考えられている。
しかし、初登頂を収めたウィンバーでさえも、メンバーの遭難事故の後、雲の上に十字架が現れたと発言している。マッターホルンには何かしらの魔法がかかっている可能性は、完全には否定できそうにない。
その形成にあたっても、「草原にあった1つの岩が、次第に隆起した結果できた」、「彗星がイタリアとスイスの国境付近の険しい山の間を通り抜けて行った際に、周囲の岩山を吹き飛ばし、一番硬いマッターホルンの岩だけが残った」などの説話が残されている。
また、マッターホルンは地元の人々にとって「世界一高い山」だったが、実は、すぐ後方にある「モンテローザ」のほうが約156メートル高い。モンテローザが丸みのある山脈の一部であり、マッターホルンが切り立った単独峰であることから、誤ったイメージが刷り込まれているのだ。
それだけ、人の目に映る山のイメージが、山の形状に左右されていることが分かる。
山としての形成と形状
マッターホルンはただの岩の隆起でも、彗星の影響の産物でもない。また、多くの山のように火山でもない。地球自身が造山活動を行っていたときに、自然と形成された岩を、氷河期に厚く覆っていた氷河が削って形を整えたものだ。
その形状はピラミッドに例えられる。東西南北の4絶壁と4つの尾根(ヘルンリ・ツムット・リオン・フルッケン)による四角錐だ。ポスターや写真などでよく見かけるマッターホルンは、東壁と北壁の間にあるヘルンリ尾根の裾から見上げたものである。
それぞれの壁は切り立った斜面となっているため、氷雪は雪崩となって滑り落ち、深く積ることがない。
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登るためのマッターホルン
アルプス登山は、自然科学分野における地理観測の必要性が認められ、登山が推奨されたことからブームとなった。山を登るという行為そのものを目的とする登山の始まりだ。
マッターホルンの初登頂は、1865年。それまでに20回近いトライアルが行われたが、いずれも失敗に終わっていた。そのほとんどがイタリア側からのアプローチだった。スイス側の壁のほうが切り立っていて難しいとの先入観が強かったためだといわれている。
登山家間のかけひきも激しく、イタリア側か、スイス側か、メンバーの入れ替わり、案内人の争奪などから揉めた例もあったようだ。
初登頂と事故
1865年7月7日、イギリス人のエドワード・ウィンバーが、過去2回共にマッターホルンに挑戦したジャン・アントワーヌ・カレルとイタリア側からのアタックを計画するも、カレルがキャンセル。しかし、同11日夜明け、カレルはウィンバーを置いてイタリア側から別メンバーと出発。
これに対しウィンバーは、時間のかかるイタリア側ではなくスイス側からのアタックを目指すメンバーと合流し、ガイドを含めた7人でツェルマットを同13日に出発、14日午後には登頂に成功した。
その際、ウィンバーやスイス側の隊員はイタリア側に足跡がないことを確認し、登坂途中のカレルらに向かって万歳を叫び、石を落して自分たちの勝利を伝えたという。カレルらは登頂せずに引き返した。
しかし、ウィンバーらは下山途中で滑落事故により7人中4人が死亡。ロープの断絶という事情から、後々までウィンバーは事故の責任を問われ、悔いをも残すものとなったようだ。
実際に登るために必要な条件
現在のマッターホルンは「魔の山」としての威容こそ変わらないが、登頂ルートが確立されているため、登山経験者であれば、ガイドの助けを借りて比較的手軽に上ることのできる山といえる。
4000メートルを超える山に共通する作業として、高地順応は必要だが、マッターホルン専門のガイドとともに4000メートル級の登山をしてお墨付きをもらえれば、あとは、ツェルマットのアルパインセンターに申し込みを行い、ガイド付きで登山するのが一般的だ。
早朝スタート、午前中に登頂し、夕方のロープウェイ最終便に乗ってツェルマットへ帰るという強行日帰りが人気。
個人でも登山は可能だが、日本の山のように標識や矢印などはない。また、特別な能力や訓練は必要ないが、登山に必要な持久力や判断力、さらに、クライミング能力が必要とされる。
観光地としてのマッターホルン
ツェルマットからは、登山鉄道やロープウェイを利用して展望台へと手軽に向かうことができる。登山に精通していなくとも楽しめるハイキングコースがたくさんある。
展望台は「ゴルナーグラート」、「ロートホルン」、「スネガ」が知られている。それぞれの標高が異なるため、違った景観が楽しめる。
マッターホルンの麓には美しく澄んだ湖がいくつもあり、マッターホルンの姿を映している。逆さマッターホルンもあちこちで見ることができる。「リッフェル」、「グリンジ」、「シュテリー」、「シュバルツ」のどの湖も、登山鉄道やロープウェイを利用し、軽いハイキングで到達できる大自然だ。特にシュバルツ湖は、逆さマッターホルンの名所として知られ、湖畔に白い礼拝堂が立つそのコントラストの美しさが、多くの観光客を引きつけている。
また、春から夏にかけては高山植物たちの花が咲き乱れる花畑が出現し、エーデルワイスの群落を見かけることもある。
登山口の町ツェルマットの過去と現在
ツェルマットは、山の中で周囲とは孤立した、農業を主とした1集落に過ぎなかった。村にはたった1件の宿があり、それは医師によって経営され3つのベッドがあるだけだったという。
それが、登山口としてだけでなく観光地として発展するにつれ、ホテルが増え、レストランや土産物屋などの観光施設が増え、町は様相を変えた。
マッターホルン博物館
ツェルマットの教会広場(キルヒプラッツ)にある、ドーム型のガラス張りの建築物が「マッターホルン博物館」だ。
マッターホルンの成り立ちや歴史が紹介されているほか、ツェルマットの昔の様子を再現したコーナーなどがあり、見ごたえがある。日本人向けの展示説明やパンフレットもある。
天候不良でハイキングや登山に向かない日のお出かけ先として人気だ。
アクセスあれこれ
ツェルマットは基本的に歩行者天国であり、車などの乗り入れはできない。そのため、自家用車も観光バスもツェルマット手前5キロ地点にある駐車場に止め、ほかの交通手段に乗り換える。
電車が、スイス国内の各都市や空港とつながっているほか、ツェルマットへは空路も整備されているため、スイスやイタリアの大都市からは数時間のフライト。ヘリ便もある。
ツェルマット市内では、徒歩でほとんど間に合う。そのほかは、電動タクシーやバス、または昔ながらの馬車が交通手段となる。
最後に
さまざまな伝説やいわくを持つマッターホルン。日本でいうところの富士山のように、見る者に畏怖を与える霊山的な存在だったのかもしれない。
人が近づくことが許された今でも、その刺々しく切り立った岩肌は、時に人の命を飲み込んでいる。
登山道具の発達やルートの固定により、手軽に登ることができるようになったとはいえ、油断は禁物。山そのものは変わっていない。
登山にはそれなりの経験と準備を持って臨む必要があり、それ以外の者は麓からその姿を鑑賞するのがマナーといえそうだ。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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