»旅を職業にしたい人募集中!旅を人生の中心にしてよりハッピーな生き方に!「詳細はこちら」
タタール人は、その多くが現在は旧ソビエト連邦内に居住しています。ただ、タタールを名乗ったり、タタールと呼ばれたりする人たちも、必ずしも歴史上のタタールと一致するとは限りません。
タタール人は、広く分散し混同し、現在は「自称タタール人」となっています。この、各地でタタールを名乗る民族たちの様子をご紹介します。
タタール人(Tatars)にはどこへ行けば会えるの?
一般にタタール人と呼ばれる中に「ヴォルガ・タタール人」が含まれています。彼らは、ロシアのヴォルガ川の中流域に居住し、タタールスタン共和国を形成しています。タタールスタン共和国はロシア連邦の一つ。
タタールスタン共和国の人口の半数はタタール人だといわれるため、ここに行けば、2人に1人はタタール人です。
ほかにも、シベリア・タタール人、クリミア・タタール人などがそれぞれ、シベリア、クリミア地域に、また、韃靼と呼ばれるロシア系タタール人が中国新疆ウイグル自治区に居住しています。
ただ、この韃靼には二つの流れがあり、一つはモンゴルから、もう一つはロシアから中国へと移動してきた民族で、その祖先は同じではないといわれています。
タタール人(Tatars)はどんな生活をしているの?
古くは、勇猛な遊牧民族の一派として、チンギスハンの軍隊となったこともあります。
また、タタール人の中でも特にロシア系タタール人は、スポーツや芸術に秀でている傾向があり、各方面で有名人も輩出しています。
タタールスタン共和国は人口500万人ほどの小国ですが、その経済力はロシア連邦内でも群を抜いています。石油やガスが豊富に埋蔵されているほか、重工業部門の発展が著しく、タタール人の商工業への能力の高さも証明されています。
タタール人(Tatars)は何を食べているの?
野菜や肉を詰め込んだパイ料理「ベレシュ」はロシア系タタール人の家庭料理一つとして人気です。これは、中央アジアではサモサと呼ばれているものの仲間です。
羊肉をメインとする串焼き、ジャガイモを使った主食など、日本人にとってはトルコ料理に近い感覚の料理があります。
社会を捨て私たちと共に「旅人」になりませんか?
月収38万円~保障。学歴・性別・年齢・経験 問いません。旅が好きな人、旅人になりたい人を募集しています。
タタール人(Tatars)ってどんな服装をしているの?
ロングスカートのドレスに刺しゅうのはいったベストを着て、ベストとおそろいの刺しゅうがはいった帽子をかぶっています。男性の場合もドレスがシャツとズボンになるだけで、あとベストと帽子は同じ。
現在、地域に分かれて暮らしているタタール人たち。その民族衣装は、雰囲気は似ていても地域や部族によって異なります。
このベストがマキシ丈のロングだったり、帽子にケープがついていたりと、バリエーションがあります。
タタール人(Tatars)の仕事は何を?
モンゴル系遊牧民族だったころは、遊牧を、その後モンゴル内から出てロシア圏内や中国などに流れ込み定住したタタール人は、一部は農耕民族となり、その後、商工業や芸術部門にも、その才能を花開いています。
タタール人ならではの職業は特にないものの、努力家で多才であるという共通点があります。
タタール人(Tatars)の恋愛事情と結婚事情について
タタール人男性は情に厚く、恋愛にも積極的でストレートです。
仲間意識が強いため、パートナーを選ぶと深く濃くコミュニケーションを取ろうとします。スキンシップも濃厚で、見ている方が赤面するほど。
男性はレディファースト精神があり、親切で愛情にあふれています。女性は、そんな男性の性質をうまく操作して、貢物を得ることもあるようです。
女性の独立心も強く、男性に頼った生活をするよりも自立したいと考え、家庭にはいっても、家庭内の実質的なコントロールを握っている強い妻や母になるようです。
タタール人(Tatars)のイベント・祭りについて
カザンでは、サバントゥイ民族祭が行われます。これは、春の農作業が一段落ついたところで行われる祭典で、夏の短い現地では夏まつりとしても捉えられています。
サバントゥイは、古い歴史を持つ行事で、もともと伝統的なダンスや歌を披露し合う場でした。さまざまな人種や文化を受け入れた後、サバントゥイは、より世俗的な祭りとなりました。
現在の祭りでも、タタール人の伝統文化である歌、ダンス、レスリングなどのほか、遊牧民だったことを彷彿とさせる競馬が行われています。
タタール人(Tatars)の民族的な由来は?
タタール人の大元は「突厥」と呼ばれた遊牧民族だとされます。突厥は、自部族も含めた広範囲の遊牧民族を「タタル」または「タタール」と呼んでいました。
その後、自称タタール人たちは、モンゴル帝国に入り、東ヨーロッパへも、中国へも、そして中央アジアからさらに北の旧ソビエト連邦領内へも広がっていきました。
それぞれの地域に根を下ろした自称タタール人たちは、ヴォルガ・タタールになったり、韃靼となったりしていきました。
まとめとして
タタール人は、遡ったその祖先は同じ可能性もありますが、実際には、多民族遊牧民の集合体からスタートしたと考えられています。
現在、ユーラシア大陸の中央から東の広い範囲に分布するタタール人たちは、その外見もさまざま。どちらかというと、祖先や血筋よりも、タタール人である、タタール文化を引き継いでいるというプライドで団結しています。
違う環境や職業などを持つそれぞれのタタール人。彼らは同じタタール人同士で横のつながりを持ってはいませんが、それでも、精神的なつながりを持ち続けていることは、彼らの食文化や馬を愛する文化などの中にみることができます。
社会を捨て私たちと共に「旅人」になりませんか?
月収38万円~保障。学歴・性別・年齢・経験 問いません。旅が好きな人、旅人になりたい人を募集しています。