イタリアの片隅、オーストリアの風が吹く場所~トリエステ「Trieste」/イタリア・トリエステ
トリエステは、東西南北ヨーロッパの境目ともいうべき位置にあたるため、歴史の中で多くの国家や民族、そして宗教の影響や支配をかわるがわる受けてきた。
今でこそイタリアの一部となったトリエステだが、この町にもっとも色濃い影響を与えているのは、オーストリア・ハプスブルク家統治時代の文化だ。市内に残る中世の雰囲気はまさにオーストリアの風をまとっているようだ。
アウグストゥス門・リッカルドのアーチ
紀元前にローマ時代の城壁に作られた門だが、現在は旧市街の細い通り沿いのビルにめり込むような形で残されている。
一応保存はするが最優先はできない、といったところだろうか。そこに残っていること、立っていることだけでも十分に貴重であるのは確かだが、その姿はちょっと物悲しい。
イングランド王リチャード1世が十字軍の途中でこの門を通り過ぎたとの逸話から「リッカルド(リチャード)の門と呼ばれるようになったという。
石造りのローマ劇場
テアトロ・ロマーノには、石を積み上げて造られたその基礎部分や円形劇場の観客席部分が残されている。ローマ劇場はヨーロッパ各地で見ることができるが、そのほとんどは、現在の都市の郊外に位置する。
しかしトリエステでは、街中のビルや道路に囲まれてドドンと存在している。柵で囲まれた内部の見学は普段はできず、道から眺めるばかりなのが残念だ。また、紀元前から劇場のシンボルとして飾られてきたであろう彫像や碑文は、発掘・修復された後、市立博物館に収められている。
その姿はもう残ってはいないが、舞台と楽屋の上部は木造だったのではないかと考えられている。今のところ復元の予定はないようだ。
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サン・ジェスト城と軍事博物館
14~17世紀頃に要塞として造営された城だが、基礎の部分には、古い時代の別の城の遺構が使用されている。内部は博物館になっていて、軍事関連の展示もあれば、中世時代の文化を伝える家具や装飾品などの展示もある。
小高い丘の上に位置するため、登っていくのが少しつらいが、登り終えればご褒美のトリエステ一望の景色が待っている。
レンガ色のビルが集まった町と、その隙間にポツポツみえる古代遺跡、その向こうに広がる海。これほどの大きな都市でありながら、まるで地方の町のような静けさを持ち、観光客数も少ないのが、良くも悪くもイタリア領となったトリエステの現状そのものだ。
サン・ジェスト大聖堂
6世紀頃、ローマ神殿の跡に教会を建てたのが始まり。最初の教会は他民族の侵攻によって破壊されてしまったため、9世紀に入って2つの教会が続いて建てられた。
その後14世紀になって、2教会が合併してサン・ジェスト大聖堂となる。大きな薔薇窓が目印のゴシック様式だ。外観は古びた教会でしかないが、内部では古い時代のフレスコ画をたっぷりと見ることができるほか、6世紀の教会の残骸であるモザイクがあったり、鐘楼の地下にはローマ神殿の遺構が残されていたりもする。
ミラマーレ城と庭園
真っ青な海岸にすっくと立つのが白亜のミラマーレ城だ。オーストリア皇太子マクシミリアンの命令で作られた庭園で有名だ。
庭園内は、各地から集められた珍しい木々や花、東屋のような小さな礼拝堂など、公園歩きが好きな人にはたまらない空間になっている。
城内も見学可能。ほぼ当時のままの状態で保存され、展示されているとのことで、大公の生活の様子を覗いているような感じ。内装はもちろんオーストリア風。
海沿いの小高い場所にあるため、とにかく見晴しがよくて、明るいのが特徴だ。
5つのキューポラと至聖三者聖スピリドン・セルビア正教会聖堂
トリエステはオスマン帝国の侵入も受けている。その頃に移住してきたギリシャ人やセルビア人たちの宗教がセルビア正教だ。
正教会における至聖三者とは、キリスト教における「父と子と聖霊」の三位一体の神と同じものを指すとされる。
外観は卵の殻の片割れのような大小のドームを5つ持つ姿が特徴で、内部では黄金に輝く祭壇に目を見張る。1869年再建と古さはないが、芸術的価値は高い。
トリエステがイタリア領土となった今も、近郊の他国からこの教会へと通ってくる人も少なくないという。人気が高く活動も活発だ。
特別なミサなどを行っている時を除けば、内部見学が可能。
リジエーラ・ディ・サン・サッバ
現イタリア領内で唯一の絶滅収容所跡が、トリエステのリジエーラ・ディ・サン・サッバだ。ただの収容所ではなく絶滅とつくこの場所は、死体焼却施設があったことを意味している。
ナチスがこの地を去る時に破壊していったが、その後戦時戦後の避難民の収容所として使われた時期もあった。
現在は修復されて、博物館として収容所時代の様子を伝える施設になっている。
グロッタ・ジガンテ
トリエステ県内に10か所ある洞窟のうち、もっとも大きく有名で、観光目的で内部見学ができる洞窟としては世界最大でギネスも保持しているのが、グロッタ・ジガンテ(巨大洞窟)だ。
トリエステの郊外の地下に広がるこの洞窟は、内部の高低差が100m以上、幅65m、奥行き130mという中央広場を持ち、そこから四方に枝分かれしている。内部見学はガイドツアーでのみ可能。1時間の地底探検はかなり本格的で、滑りにくい靴、地下の冷気で凍えない服装を用意して行こう。
まるでファンタジーの世界に迷い込んだような鍾乳洞やライトアップに圧倒されるはずだ。
イタリア統一広場「ウニタ・ディタリア」
イタリアへの統一を記念した広場だが、実はこの広場、オーストリア統治時代からあった。
周囲を市庁舎や県庁などの公共施設が重厚な姿で立ち並んでいるのだが、中でも県庁舎の壁の装飾が見事。3、4階部分を金色の壁画が覆っている。
この広場と周辺の建造物は、夜間にライトアップされる。決して派手ではないが、重みのあるゴシック調の建物に落ち着いたクリームやブルーの色合いのライトが蒼い空の暗さともマッチして渋い美しさを作りだしている。
カフェ・ストリコ
ウィーンスタイルのカフェのことで、日本でも懐かしいウィンナーコーヒーを味わえる。
古くはイタリアの土地だったトリエステは、数多くの戦いを経てイタリアへと返されたが、その中身である文化は簡単には入れ替えることができず、あちこちに残ったままだ。
ウィーン、ブダペスト、プラハに続くハプスブルク帝国第4の都市だったトリエステだけあって、オーストリア文化の色濃さはローマの古い匂いやイタリアの新しい風ではとても上書きしきれていない。
最後に
念願のイタリアの一部となったトリエステだが、イタリアに復帰したからこそ、ハプスブルグ帝国時代の港湾大都市としての役割はイタリア国内のほかの港に奪われてしまい、小さな地方都市の一つとなってしまった。
住民たちは東西南北ヨーロッパ諸国の駆け引き材料として翻弄された時代の経験から、過去を懐かしむ心を持ちつつも、自由な「今」を大切に守りながら、静かに暮らしている。
紀元前からの歴史も、大都市としての過去も、今のトリエステにとっては、現実ではなく懐かしい思い出のヒト欠片となり、この地に充満していたはずの政治・経済・文化の香りだけが、少し悲しく懐かしく町のカフェや建物などに残るばかりだ。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。