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鉄道駅前にそびえる世界最大級ゴシック建築~ケルン大聖堂
列車が、近代的なドイツ鉄道・ケルン中央駅に近づくと、巨大な尖塔が見えてくる。ケルン大聖堂が誇るファサードだ。
車窓から見える壮大な姿、駅舎から見上げる大聖堂の威容、その大きさと突然さに驚かずにはいられない。
ケルンを代表する聖堂であるために「ケルン大聖堂」と呼ばれるが、正式名称は、「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」。聖ペトロとマリアの大聖堂という意味を持つ、世界最大級のゴシック建築物である。
旧ケルン大聖堂の建設と破壊の歴史
早くからキリスト教が伝わっていたケルンの地に、初代のケルン大聖堂の原型となる教会が建築されたのは、4世紀のこと。その姿は正確には伝わっていないが、現在とは異なる正方形の建物は、当時最古の聖堂として信仰されていたらしい。
818年に立て直しが行われ、12世紀の後半には東方三博士の遺骨が聖遺物としてもたらされ、広くヨーロッパ中から巡礼者が訪れるようになった。しかし、この2代目ケルン大聖堂は1248年に火災で焼失してしまう。
ケルン大聖堂の建設と破壊の歴史
ただちに新たな、そしてより大規模な聖堂の建設が計画されるが、そのあまりの巨大さ、繊細な装飾、加えて財政難などから、300年を経た16世紀半ばに至っても大聖堂は未完のままだった。
宗教革命がヨーロッパ中に混乱を引き起こしていた時期には、ドイツ国内でも、カトリックとプロテスタントの戦いが激しく、町は徹底的に破壊され、ケルン大聖堂の建築工事も中断されてしまった。正面ファサードの塔は1本しかない状態で放置された。
19世紀に入ったドイツでは、ナショナリズム気運が高まり民族的な文化や伝統へと注目が集まるようになった。建築が中断されていたケルン大聖堂も、この潮流の中で建設が再開され、1880年にようやく完成した。建設開始から630年以上が経っていた。
ところが、再びケルン大聖堂を悲劇が襲う。第二次世界大戦中のケルン空襲では14発もの直撃弾を受けた。不幸中の幸いだったのは、内部は激しい損傷を受けたものの外郭の破壊が免れたことから、復旧工事によって元の状態を取り戻しすことができたのだ。
さらに、突貫工事で行われた戦後の復旧工事で使われた粗悪建材を取り除く作業や、部分的な修復作業は、その後も常に行われている。
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危機遺産からの脱却
1996年に世界遺産に登録されたケルン大聖堂だが、2004年には危機遺産リストに加えられてしまう。
大聖堂から約1km離れた地区に高層ビル群の建設計画が発表され、それが景観を損なうとユネスコに指摘されたためだった。ケルン市側は、ケルン大聖堂近くにはすでに近代的な建築物が複数建っていることや、ビルの計画地が離れていること、世界遺産への登録理由に景観が含まれていなかったことなどから、反発もあったが、最終的にはビル建設に高さ制限を設けるなどの変更を加えることで、2年後の2006年に危機遺産リストから削除された。
この騒動では、世界遺産を守るために、時に強硬な姿勢で臨もうとする近年のユネスコの意志の強さの影響や、ドイツ国内では、すでにほかにも、文化的景観を破壊するとの理由で、世界遺産リストから抹消された場所があり、ケルン市は慎重に対応せざるを得なかったという背景もあったようだ。
ケルン大聖堂の建築様式
ケルン大聖堂は、世界最大規模といわれるゴシック様式の建築物である。全体の構想はヨーロッパ各地のゴシック技術と造形を学んだ工匠ゲルハルトによるものだ。彼は、各地の有名なゴシック建築物の構造を採用した。
外装はドイツらしい大きく突き出した尖塔を持ち、繊細でありながら荒々しさをも合わせ持つ姿となっている。一方で内陣は、フランスのアミアン大聖堂を見本とした上品さや優雅さを持ち備えている。
古いステンドグラスと新しいステンドグラス
大聖堂南のステンドグラスは第二次世界大戦時の爆撃によって破壊されてしまった。その後、リヒターによる斬新なデザインのステンドグラスがはめ込まれている。
コンピューターによって配置されたさまざまな色の正方形のガラスを組み合わせたステンドグラスは、カラフルなモザイク模様を作りだしている。
彼のデザインは、宗教的な描写が見られず、現代的・抽象的すぎると、ケルンの聖職者たちの間では不評の声もあったが、現在、ケルン大聖堂を代表する見どころとなっている。
13世紀から16世紀に制作された43か所4100枚のステンドガラス残されている。そのうち、1500枚が聖書など宗教的なものを含めた物語性のあるデザインであり、それ以外の多くが、植物や幾何学パターンなどの抽象的なデザインだという。
そのほかの見どころ
内部は決して華美ではないが、ところどころに見られるステンドグラスやフレスコ画の美しさは十分鑑賞に値する。バイエルン王ルートヴィヒ1世が贈ったとされる5つのステンドグラス「バイエルン窓」は特におすすめだ。
また、東方三博士の遺骨が入っているとされる「聖遺物箱」の金銀細工のきらびやかさは必見だ。
見学ポイント
聖堂への入場は自由で無料。ただし、塔に上るには入場料が必要だ。
塔は約157メートルあり、最上部からはケルン市内が一望できる。ただし、ここにはエレベーターはなく、塔内の螺旋階段約500段を自分の足で上り詰めるしかない。かなりの体力勝負となることを覚悟しよう。また、観光客がひっきりなしに上り下りしているため、途中で足を休めるのも難しい場合がある。
周辺での楽しみ・カフェとビア
周辺は駅前でありケルン市の中心でもあるため、ぶらりと街歩きを楽しむにはぴったり。あちこちで見かけるカフェで休憩したり、気になる店を覗いたりと、時間さえあれば、足をとめたい場所はたくさんある。
宿泊できるなら、夜のケルン大聖堂を見上げながら、ビールとドイツの季節を味わうツマミを楽しみたい。
ロマネスク様式教会
ゴシック様式のケルン大聖堂ばかりが目立つが、市内には、ロマネスク様式の教会が、12世紀、商業都市ケルンが最盛期を迎えた頃に作られた城壁内に12か所存在する。
当時まだローマ時代の建造物が多く残されていて、それをロマネスク様式の教会へと改築していった。町と市民の裕福さを象徴するような、美しく豪華な教会を目にすると、ケルンといえばゴシックのイメージが覆されそうだ。
ケルンのアート
ルートヴィヒ美術館は、国際的にも有名な近現代アート作品を集めたミュージアム。アンディ・ウォーホールの傑作やピカソのコレクションも展示されている。
ローマ・ゲルマン博物館は、941年に発見されたローマ時代の邸宅跡にオープンした。ローマ帝国の植民都市として繁栄したケルンの歴史を学べる。
また、東アジア美術館も見逃せない。中国・韓国・日本の芸術品を集め、仏教画、木像、日本の屏風や彩色木版画、漆器などのコレクションが展示されている。
チョコレート博物館
チョコレートミュージアム(ショコラーデンムゼウム)では、チョコレートの歴史が学べるほか、生産工場の見学ができる。展示スペースには、チョコレートの泉があり、できたてのチョコレートの試食も行われている。
ミュージアムを運営するドイツのチョコレートメーカー「シュトレンベルク社」の商品が勢ぞろいのミュージアムショップでの買い物が楽しい。市販されていない限定品や時代ものもある。
そのほかの見どころ
ケルン市ナチス記録センターは、ゲシュタポ刑務所を記念館としてオープン。ナチズム犠牲者を偲ぶ施設としてさまざまな展示が行われている。
ライン公園は、ドイツでもっともきれいな公園といわれ、計画的な造園芸術の最高傑作として名高い公園。肩書きはともかく、美しく、季節ごとの楽しみのある公園であるのは確かだ。
ドイツ・スポーツ&オリンピア博物館は、古代から現代にいたるまでのオリンピックや各種スポーツ競技の歴史が学べるほか、体験型の展示が多く、スポーツ好きなら大いに楽しめる。
オー・デ・コロンはケルンの水
ケルンはローマ時代に植民地(Colonia)であったことから、その名がついた。また、オー・デ・コロンはフランス語だが、コロンとはケルンのことなので、「ケルンの水」という意味になる。
1792年にケルンの4711番地で作られたオレンジの香水がその元となっている。4711という名のオー・デ・コロンは現在も売られていて、お土産としても人気だ。
最後に
ローマ帝国時代から、植民地として整備され、交易の中心地として繁栄した歴史を持つケルン。ケルン大聖堂はケルン市民にとって、地域の歴史そのものを体現している存在だ。
ケルンの特色は、宗教的な歴史だけでない。近代的なアートを保護し、スポーツに熱狂し、年に一度のカーニバルでは市民が「非常事態」を全身全霊で楽しむという文化面での発展も目を見張るものがある。
産業都市としての顔も持ち、国際的な会議や展示会も頻繁に開催されている。新旧が混じり合い、静と動が背中合わせに存在しているケルンの中のランドマーク、それがケルン大聖堂なのだ。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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