Meguru Yamaguchi 山口歴 の素顔に迫ってみました – 自由・旅・アート・音楽・愛のサイト♪

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ビビッドな絵の具がシャープな筆跡となって塊り、それが切り取られた後立体的に貼りあわされている、それが、Meguru Yamaguchiの作品への第一印象です。

赤白青黒黄色の厚い絵の具が立体的な線を作り出し、それをそこから一度無理やり引きはがして、今度は別の場所へと貼り付けていく、Cut & Paste。Meguru Yamaguchiの手によって作り出される作品は、そのダイナミックな色と迫りくる躍動とともに、どこか親しみを感じさせる落書き感覚を持ち、アンバランスさもあって観る者を魅了します。

独自のスタイルで現代アート界の寵児となりつつある、Meguru Yamaguchiの素顔に迫ってみました。

Meguru Yamaguchiの作品集

まずMeguru Yamaguchiの作品を少しだけ紹介いたします。

※写真は公式サイトやファンサイトさんからお借りしています。引用元は各写真下部記載

http://basementginza.jp/

https://www.youtube.com/

https://twitter.com/

https://www.freshnessmag.com/

https://www.freshnessmag.com/

https://twitter.com/

http://www.meguruyamaguchi.com/

http://basementginza.jp/

Meguru Yamaguchiの経歴

1984年、東京都渋谷区出身。都会のど真ん中で生まれ育ったMeguru Yamaguchiは、オンタイムで渋谷エリアのストリートカルチャーを目にし体感してきました。

スーパーファミコンやドラゴンボールにハマり、幼稚園・小学校時代から周囲に褒められることで、絵を描く楽しさを知り、アーティストである親のフォローがあって、さらに絵を学ぶ機会にも恵まれます。

高校卒業の段階で将来の志望を考えた時、それは子どもの頃から変わることなく、家族がそのまま当たり前のように求めるアーティストであり、自分の好きな絵の道しかなかったというMeguru Yamaguchi。

芸大受験のために予備校通いもしますが、3年続けて失敗してしまいます。4年目に入り、同期の芸大生たちが卒業するころ、同期のほとんどが、画家などのアーティストにはならずに就職していく様子を見て、では、自分はいったい何をしたいのかと突き詰めます。

やっぱり、アートだ! となったMeguru Yamaguchiが向かったのはニューヨークでした。

2007年の下見旅行と、そのすぐ後に移住として渡ったニューヨークでの出会いは、Meguru Yamaguchiにとって、芸大を上回る学びへと結び付けてくれました。

ニューヨークで学び、ニューヨークで花を開かせたMeguru Yamaguchiは、今もニューヨークで活動中です。

アーティスト「Meguru Yamaguchi」の活動内容

日本で暮らした20数年間、Meguru Yamaguchiは作品を作り出していません。彼がMeguru Yamaguchiとしての作品スタイルを生みだしたのがニューヨークなら、アーティストとして作品を生み出すようになったのもニューヨーク。

アーティストのアシスタントとして働き、アルバイトをし、語学学校に行くという、それだけでもハードな毎日の中、睡眠時間を削って自分の作品を作っていました。そうはいっても、完成したのは年にほんの数作だったといいます。

それらの作品が、ようやく発表するきっかけをもったのは、なんと古巣・故郷日本でした。アシスタント時代の4~5年の間に描きためたのは8枚。それを初めて展示会に出し、初日完売という結果に、誰よりも本人自身がもっとも驚いたそうです。

そこから、アーティストMeguru Yamaguchiの名はどんどん売れていったかというと、簡単ではなく、実は、この後まったくのように売れない日が続いたといいます。今思い返すと、最初の8枚に比べて、その後に描いた絵にはハングリーさがなかったという事実が原因だと考えているそうです。生活が楽になり、遊びに行けるようになり、売れるスタイルが分かった気にもなってしまった結果が、売れないことに。

この頃、Meguru Yamaguchiの日常はアルバイトと年に1枚売れるかどうかのアートで賄われていたそうです。

その後は、一つの作品を仕上げることに満足はしても、アーティストとしての自分に対しては常にハングリーでいることを課しています。もっと新しいことを、何か違うことを、たとえ好きじゃないことでも、あちこちからアンテナにひっかかるすべてをインプットすることで、生まれ出るアウトプットの幅や深度を上げていく、そうやって、今の売れっ子Meguru Yamaguchiがいるのです。

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Meguru Yamaguchiを形作った背景

幼少期からドラゴンボールの大ファンだったというMeguru Yamaguchi。絵を学ぶきっかけとなったドラゴンボールの作者鳥山明は今でも憧れの存在だとか。保育園時代に登場人物である悟空の絵を描き続けていたところ、親が絵画教室に入れてくれます。それがまた、有名な画塾でした。

6年ほど通った絵画教室では、ゴッホやピカソなどのポストカードを油彩で模写し続けていたそうです。そこでの教えの一つが、「絵具をケチらないこと。お金も量もたくさん使うこと」。これは、現在大規模なブラッシュアートを作り出すにあたって、完璧に守られているそうです。

また、小学校では図工の時間に自画像を描いていて、どうしても与えられた紙に収まらなくなったことがあったそうです。その時の教師が、どんどん紙を足して好きなだけ書かせてくれたこと、それが絵好きを後押しします。さらには、中学高校では、特別な絵の勉強はしなくても、描けば認められる状態が続き、調子に乗ってしまったそうです。それが、美大受験を目指して画塾に通い出したことで、技術力のなさに気づいて、さぁ、一からやりなおし。

ただ、常に自由に絵を描ける環境があったのは、両親のおかげ。両親ともがファッションデザイナーで、家族や親せきにはアーティストがゴロゴロいるような環境で育ったため、「アーティストこそが一番カッコいい!」というのは、当たり前の認識だったそうです。

ただ、恵まれた環境の中にいても、それになかなか気づけないのも事実。Meguru Yamaguchiが、自分の両親のすごさを知ったのは、好きな女の子に「ヒステリックグラマーのバッグ」をねだられてプレゼントできたときだといいます。父親がオゾンコミュニティの創設者の一人で副社長だったため、ツテがあったのです。

さらには、浪人時代に父のスタジオに出入りして手伝ううち、そこで出会ったアーティストたちにも大きく影響を受けたといいます。特に、ハイセンスなファッション芸術誌DUNEの林文浩編集長が父親と季刊写真集を作っていて、常に説教とアドバイスを受けていたというから、端から聞けばうらやましいかぎりです。

さらには、ニューヨークで弟子入り的にアシスタントとして教えを受けたアーティストMATZUとの出会いもあります。

これらが全部Meguru Yamaguchiにとっての美術大学のかわり、いえ、それ以上の存在だったといえるでしょう。

Meguru Yamaguchiがニューヨークに渡って住み着いた理由

モテたくてストリートカルチャーにハマり、ストリートカルチャーにハマったからニューヨーク。ヒップホップの洗礼と影響を受けたのもそこ。そんな、よく耳にするような理由もなきにしもあらず。

でも本当のところは、どうだったのでしょうか?

芸大受験に失敗して結果としては4浪。同年の学生たちが卒業する年になったと知ったMeguru Yamaguchiは、当然焦りを感じたことでしょう。

ただ、アーティストになりたい自分が何年も目標としてきた芸大に入って卒業していく面々の多くが、必ずしもアーティストにならないという現実にもショックを受けずにはいられませんでした。

そんな時、Meguru Yamaguchiが目を向けたのがニューヨーク。なんといっても、彼が目指す現代アートの本場であり、彼のアートの根っこにあるストリートカルチャーの本場でもある場所だからです。

10日間の下見旅行で知った、ニューヨークのカッコよさ。そして、その帰国便の中で決意していた移住で知った、日本の芸術理解や認識の画一性と、それとは相反するニューヨークの持つ自由さ。

潤沢な資金があったわけでも、強力なコネクションがあったわけでもないMeguru Yamaguchiのニューヨーク滞在が、安楽なものではなかったのは当たり前。それでも、「カッコイイ」を自分で作りだしたい一心で、ニューヨークに住み着きました。

山口歴からMeguru Yamaguchiへ

Meguru Yamaguchiは山口歴。今、この漢字名で「ああ、あのアーティストの」と気づく人は多くないでしょう。Meguru Yamaguchiこそが、あの青く飛び出し、まるで威嚇するような、でもどこかで観たことがあるようなアートを作りだすアーティストです。

Meguru Yamaguchiの名が世の中に広がったのは、日本での展示販売の成功よりも、その前のニューヨークでの修行時代と、その後のニューヨークでのブレークの影響が大きいと思われます。

特に、ニューヨークで知り合った師による導きからは、計り知れない影響を受けているのが分かります。創作の場、学びの場、芸術討論の場、それらすべてを与えられ、そして、ブランディングの基礎も叩き込まれたのが、そこなのです。

Meguru Yamaguchiが1年かけて完成させたというウェブサイトは、「誰に見せても恥ずかしくないものを」という師の教えにしたがったもの。それを見た東京の現代アートギャラリーから展示の誘いがあり、そして、展示会で、その時点での自分のすべてである8作品を展示して、初日に完売。

これがMeguru Yamaguch28歳の時のことです。芸大入試に失敗して10年目でした。

Meguru YamaguchiのCut & Paste

自分のアートのスタイルを模索する中で、みんなとは言わないまでも、美大・芸大卒の知人で活動を続けるアーティストになった人がほとんどいないこと、現代の世界的アート界で弾けている人にも美大・芸大卒はほとんどいないという事実に気づきます。

前文の「美大・芸大卒」の部分に「日本にいる日本人のアーティスト」をあてはめても、ほとんど同じに感じられたそうです。

美大・芸大にしろ、日本にしろ、完成図が一つしかないみたいな凝り固まったところがあると感じたMeguru Yamaguchi。ニューヨークに来て、あらゆるアートを見散らかす勢いでインプットしつづけた結果、芸大入学のために予備校で習ったことすべてが、否定された気がしたそうです。

そんな時、アシスタントをしていた師の留守中、「汚さなければ使っていい」といわれたスタジオで、確実に汚すだろうと壁や床にフィルムを張り付けて描きまくり、その時に「床に飛び散った絵の具が乾いたところで貼り合わせてみた」ことがきっかけで、Meguru Yamaguchiのアーティストとしての基礎ともなるCut & Pasteスタイルが生まれました。

実は、このCut & Paste、ヒップホップのサンプリングがその起源になっているそうです。同じくストリートカルチャーから生まれていますね。

Meguru Yamaguchiとのコラボレーション

Meguru Yamaguchiにとって、コラボレーションはボーナスだといいます。

常に20件以上の注文が待っている状態で、年数回の個展への準備もしています。そのため、コラボレーションは、その企画が立ち上がったならば、自分にとってボーナスになると考えているそうです。これは、経済的な意味だけでなく、楽しみとしても。

過去には、イッセイ・ミヤケ、NIKE、UNIQLOなどの大手とコラボレーションを行っています。これ以外にも、小規模な店舗へのアート提供や、包装紙・バッグなどでのミニコラボもあり、確実にMeguru Yamaguchiアートを目にする機会は増えています。

Meguru Yamaguchiが大切にしたいこと、伝えたいこと

Meguru Yamaguchiは大都会で生まれ育ったシティボーイです。おまけに職業はアーティスト。家族親類はアーティストだらけ。これはどれほど尖った人物だろうと思わせる背景を十分にもっています。

でも実際のMeguru Yamaguchiは、物腰も口調も柔らかく、やさしく微笑みながら話をしてくれる「普通」の人。世の中すべてを幸せにするより、自分とその周りの人を大切にしたいという、一見利己的なようで温厚な人柄にも好感を持ちます。

ただ、見た目からは知ることのできない内側には、常に自分をワクワクドキドキさせ続けることを課す、厳しいアーティスト魂が息づいています。そんな厳しい面をチラっと見せてもなお、「そうしなければ、作品が売れないから」と笑いにする部分も。

彼にとって、作品を作り続けることは、もちろん、作品を売ってお金にすることでもありますが、カッコよさを求め続けるという初心そのものであり、なにより自分自身が楽しむこと、そのものなのでしょう。

SNSとMeguru Yamaguchi

現代社会の中、デジタルアートではなく、手描きのアートであっても、SNSなどのネットワークの世界と切り離すことはできません。

アーティストに限らず、多くの商売ごとでは、いかにSNSをうまく活用するかが、成功の秘訣のようにいわれることがあります。

Meguru Yamaguchiは、SNSを作品の見せ場としても使っていますが、それはメインではありません。その理由を考えた時、彼の作品を見返すとわかります。SNSでは、その枠が小さすぎるのです。

ただ、SNSを利用することで、作る側と見る買う側の距離はすごく縮まるといいます。これは、良くも悪くも。

そして、Meguru Yamaguchiのように、専属ギャラリーなどを持たない個人アーティストにとっては、セルフブランディングの手段としても有効です。実際、個展開催以外の発表の場の中心は、ウェブサイトとSNS。作品売買などの申し込みもまたSNSを経由しているそうです。

SNSに踊らされるのではなく、SNSを便利に使う、これこそ、現代社会で問題視されることの多いSNSの正しい使い方かもしれません。

まとめとして

Meguru Yamaguchiの作品は、多くの有名な現代アートと同じように、見る人にある種のショックを与えます。それは、奇抜さ、派手さ、迫力など、いろいろな要素からきていますが、なぜか不思議な親しみやすさも感じ取ることができてしまうのです。

その理由は、彼のアートの下地にあるストリートアートにあるのではないでしょうか。高架下の壁にスプレー描きされた文字、古いビルの裏に知らぬまに描かれたテクニカルな絵。街に溶けこんでいたあのストリートアートの雰囲気が、まだどこかに残っているのかもしれません。

今のMeguru Yamaguchiが目指すところも、そんなストリートアートとあまり遠く離れてはいないようです。何せ、目標が「ひとビル分の壁全部をキャンバスにして描きたい」であり、有名になって絵が売れて嬉しかったことといえば、「好きなスニーカーを好きな時に買えるようになった!」なのですから。

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