WHAT’S THE MEANING OF LOVE?〜愛とは何だ?

WHAT’S THE MEANING OF LOVE?〜愛とは何だ?

#1 矛盾

最初にことわっておく。俺はヴィーガンではない。家では基本的に自炊なのでヴィーガンだが、外出時には乳製品までは許容するベジタリアンにならなければ空腹を満たせない場合もある。子どもと外食に行くときには魚までは許容するペスカトリアンになることもある。

しかし、可能な限りヴィーガンの生活をしたいと願っている人間でもあり、子どもには「お父さんは肉を食べないんだよ」と、説明をしているのだが、外食時に子どもの食べたいものを選び店に入ると、ヴィーガンはおろかベジタリアンでも難しいのが日本の実情だ。
それでもまだ東京などの都会であれば、本人の努力次第でヴィーガンの店は探すことはできる。

俺は1980年代初期から2020年現在までバンド活動をしていて、30年以上日本国内や海外を含めツアーを行なっている。
ヴィーガン生活を心がけるようになってからは、地方に行った場合や移動中の食事では、コンビニのおにぎりぐらいにしか頼ることができない。最近は大豆ミートの食品もコンビニで売り出しているが、卵が使われているものも多く、地方への移動中はおにぎりばかり食べているのが実情だ。
もっと普通に、その辺のコンビニやスーパー、飲食店などで、動物性の一切入っていない食品が手軽に買えるようになれば、もっと簡単にヴィーガン生活が送れるようになれるのに。

そう、俺はそんな言い訳をして、自分の努力が足らない矛盾を棚に上げている人間という生き物だ。

SNSなどでヴィーガンの投稿に対してアンチがたくさん湧いて来ることは、ヴィーガンやベジタリアンの方なら飽き飽きするほどご存知だろう。
彼らの主張には様々なものがある。
① 植物だって生きている。動物を殺したら可哀想なのであれば、植物だって殺したら可哀想だ。
② いただきます、ごちそうさまと言って、生命に感謝して残さず食べる習慣がある。
③ ヴィーガンを人に押し付けるな。勝手に個人や仲間内でやってくれ。
④ 米などの農作物を育てる際に、オタマジャクシなどの動物殺すので、ヴィーガンは米を食べるな。

その他にも「肉が美味しいから食べたい」という欲望を正当化するための、ヴィーガンを攻撃する理屈が並べられている。肉がまずければ食べないだろうし、美味しければ肉じゃなくてもいいと思うのだが。

上記①~④辺りの意見が中心となって、大きなアンチヴィーガンの結束が見られるが、どうやらアンチヴィーガンの方々は、ヴィーガンの「矛盾」に対して「それはおかしい。だからヴィーガンは間違っている」と言いたいようだ。

何度でも言おう。俺は矛盾しながら生きている人間という生き物だ。何故ヴィーガンというだけで矛盾してはいけないのだろう?アンチヴィーガンの人たちは、全く矛盾していないのだろうか?
もし全く矛盾していない人間がいるなら、ぜひ会ってみたいものである。「矛盾をしない人間」もうこれは日本語として完全におかしいと思うのは俺だけだろうか。

そんな矛盾している俺でも、アンチヴィーガンの主張する理由はおかしいと思わざるを得ない。

① 植物だって生きているから殺したら可哀想だ。
このお決まりのヴィーガンへ対する反論だが、植物は切っても土に植えれば再生する。鳥などの動物に実を食べられて繁殖を行う種なので、基本的に食べられることで繁栄することを選んだ種であると思っている。
動物は切ってしまえば死んでしまう。餌を与えようが、海に返そうが死ぬ。
植物が可哀想なのであれば、全世界の肉食需要を供給するための畜産による環境破壊で伐採されて行く熱帯雨林や森林のことを知り、動物と植物の間に立場って、ニュートラルに生命について考えて欲しいと思う。

② いただきます・ごちそうさまと言って生命に感謝し残さず食べる。
これもお決まりの反論であるが、もう畜産による地球環境の破壊は、そのレベルを超えている。まずは畜産における環境破壊を知って欲しい。それに、自分の家族やペットが、いただきます・ごちそうさまと言われて、感謝して残さず食べられても許せるならば、この説には納得できるが、そんなわけがない。矛盾をついている人間の矛盾だと、俺には感じられる。

③ ヴィーガンを人に押し付けるな。
これはよくわかる。押し付けるヴィーガンがいるのも確かであるし、押し付けられたら拒絶したくなるのはヴィーガンの人でも同じことだろう。
これはヴィーガンの中の一部にいる、ヒステリックな人たちの問題だと思うが、これはタバコ嫌いにも似ていると感じているし、放射能汚染の問題にも似ていると感じている。
押し付けるよりも知ってもらうこと。自ら調べて興味を持つようにすることが一番なのではないかと思う。
ちなみに俺は手巻きタバコの愛煙家なので、タバコに関してはアンチではないが、市販されているパッケージ化された紙巻タバコは煙たいと思っていて、あまり好きではない。シーシェパードやALFなどのエコテロリストと呼ばれる団体も、個人的には支持している。

④ 米などの作物を育てる際に動物を殺しているので、米を食べるな。
理想は共存であり、害虫駆除も害獣駆除と言う名の殺戮もせず、おたまじゃくしも殺さない米が良いだろうが、実際には無理だ。だから「ヴィーガンは矛盾している。おかしい。米を食うな」と言う。
俺はなるべく動物を殺したくないし、動物を虐待して切り刻んだ死体を食べたいとは思わない。
理想はブレサリアン(息をするだけで生きていると言われる人々)やフルータリアン(自然落下した木ノ実のみで生きる人たち)であるだろうが、それは現在無理なので、できる限りの範囲で動物の生命の搾取をやめる努力をしていきたいと思っている。
それが矛盾していて間違っているというのなら、また言わなければならない。俺は矛盾しながら生きている人間という生き物だ。アンチヴィーガンの方々は、矛盾しないで生きているのだろうか。

「自分が正しい」という主張を行うヴィーガンやアンチヴィーガンはたくさんいるし、俺も「矛盾している人間だ」と、開き直っているタチの悪い人間なのかもしれない。
しかし、自分が正しいから他人が間違っている。そんな簡単に物事が済むわけがない。お互いに間違いはあるし、お互いに正しい部分がある。

そんなことすら認め合えないようなら、いつまで経っても搾取されて操られて、全ての犠牲は弱者に押し付けられてしまう、今のそんな社会を考えて欲しい。
大企業や経済優先で、人を人とも思わない所業を繰り返す社会を良く見て欲しい。そんな社会で弱者である立場の人間、非正規雇用者やホームレス、性的マイノリティの同性愛者や障がい者などの弱者が、この社会で受けている扱いが正しいとは到底思えない。

そんな社会で、人間より弱い動物たちが何をされているのか、少しでいいから考えを巡らせて欲しい。
経済の名の下に、工場性畜産による劣悪な環境で飼育され、生き物としての扱いを受けていない動物たちは多い。
卵を生産するために、オスのひよこは殺されて行く。中には生きたままシュレッダーにかけて殺すところもあるし、袋に詰められ圧死させられるひよこもいる。

無理やり妊娠させられて、1年に1回子供を産ませ、乳が出るようにされながら一生を終える牛。生まれてすぐに母親と引き離され、売られて行くオスの子牛。その先には何があると思う?

畜産におけるメタンガスの排出量や、広大な熱帯雨林を伐採して、畜産の餌の穀物を育てるために切り開かれる土地によって、一体何がおきるのか?
劣悪な環境ではなく家畜を育てるために必要な土地を確保するには、いったいどれだけの森林が伐採すれば供給が成り立つのか?

人間が食べるために殺す。そのために生命を生み出し操作する行為が正しいと言えるのだろうか?美味しいから仕方ないのだろうか?

巨大化したマーケットにおいて、肉や乳製品を消費するために大企業による支配下の畜産、食肉、乳製品を買うことが、本当に個人の酪農家や畜産業者を助ける手段なのだろうか?

大企業の経済優先のために、犠牲となる生命を少なくして、環境を破壊しないで生きるための方法は、俺たちには必要ないのだろうか?地球には必要ないのだろうか?

まずは知ること。そして考えることで、なぜヴィーガンという生き方を選ぶ人がいるのかがわかるだろう。

そこで自分のやってきたことを受け入れられる人は、罪悪感に苛まれてしまうかもしれない。でもどうかその罪悪感を受け入れて欲しい。間違っていたと感じたなら、今から変えればいいだけだ。俺たちには未来がある。子ども達や地球には未来がある。
自ら違うと感じたことは変えて行く。それも「矛盾して生きている人間という生き物」だと、俺は思っている。

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