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エフェソス、エフェス「Ephesus、Efes」/トルコ・イズミル
エフェソスを代表するのは、世界の七不思議の一つ、女神アルテミスを称える大神殿だ。残念ながら現存しないこの神殿は、「どんなことをしてでも後世に名を残したい」と考えた一人の羊飼いの若者によって焼失してしまった。
偉大なる歴史家たちが口を揃えて、その壮麗さを称えたエフェソスのアルテミス神殿も今は廃墟となっている。
そして、またある一人の羊飼いの妻となり、偉大なる神の子を産んだ聖母マリアがその余生を過ごしたのもエフェソスだといわれている。
少なくとも2つの目玉を所有しながらも、2015年になってようやく世界遺産に登録されたエフェソス遺跡を訪ねてみた。
エフェソス遺跡を構成するもの
「アルテミス神殿」はいうまでもない。発掘された柱などの多くは発見者である英国の探検隊によって持ち帰られ、現在は大英博物館に保管されている。そのほかのバラバラの柱や壁の一部などは、ところどころ積み上げたり集めたりはされているが、現時点では石の墓場のような状態の遺跡だ。
観光客にとってもう一つの目玉は「イエスの母マリアの家」だ。使途ヨハネとともにこの地に移り住んだとされる聖母マリアが余生を送ったと言い伝えられる家と礼拝堂が残っている。
このほか、聖ヨハネ教会や墓などのキリスト教遺跡、セルシウス図書館跡地、大小劇場跡、浴場や公衆トイレ跡などのローマやギリシアの遺跡もエフェソスの構成の一部だ。
アルテミス神殿
紀元前16世紀以降、ギリシアから移住してきた人々によってエフェソスの街がおこされた。その中心となったのがアルテミス神殿だ。現在分かっている範囲でもっとも古い神殿の基礎は紀元前7世紀頃のものとされているが、実際にはそれよりも古い時代から何らかの神殿が存在していたと考えられている。
その大きさ荘厳さは、ギリシアの繁栄がこのギリシアの中心を離れた土地にまで浸透していたことを誇るギリシア人の熱意そのものであり、それが世界七不思議の一つに数えられるほどの価値として認められてもいた。
しかし、名だたる歴史家たちを唸らせた神殿も、たった一人の若者の「功名心」から灰燼と化してしまった。それは、紀元前356年7月21日のことだ。一人の羊飼いが「有名になりたい」「後世に名を残したい」あまりに、火を放ったのだ。まるで金閣寺炎上のギリシア版。
現在のアルテミス神殿は丘の上に基礎石がところどころに顔を出し、いくつかの岩を試しに重ねてみた…そんな荒廃ぶり。それでも、紀元前7世紀という古代神殿の跡として見れば、さもありなんと納得がいく。
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セルシウス(ケルスス)図書館
遠近法を取り入れたとされるその建物もやはり焼失し、今は門や外郭などの一部しか残っていないが、現在再建中のセルシウス図書館、アレキサンドリア、ベルガモンと並ぶ三大図書館の一つだった。その蔵書数は12万冊ともいわれる。
ここでの見どころは4体の女性像。ソフィア(知恵)、アレテー(徳)、エンノイア(思考)、エピステーメー(認識)のレプリカが、かつての繁栄を伝えてくれる。
また、この図書館はセルシウス総督を偲び、彼の息子がセルシウスの墓の上に建てたもので。今も石棺が図書館の地下墓所に安置されているという。
お墓の上に図書館を建てることが法要になるという考え方は、日本人からすると、「知を重んじる」という理由だけでは納得のいかない不思議さだ。
大劇場と音楽堂オデオン
2万5千人を収容できる大劇場は、緑が広がる丘をバックに巨大な半円形のホールとして完成度が高い状態で残されている。音響効果はそのすり鉢状の劇場とさらにその周りを囲む山との相乗効果で抜群! 現在も野外コンサートに使用されている現役の劇場だ。
1400人収容することができたという音楽堂オデオンは、数万人収容規模のローマ劇場に比べれば小規模だが、それでもここに屋根がついていた?と想像すると当時の建築技術の高さに驚かされる。屋根がついた状態での音響はさぞかし響いたことだろう。
ヴァリウスの浴場とスコラスティカの浴場
エフェソス内には複数の風呂や泉などが残されている。ヴァリウスの浴場は、エフェソスを訪れる人々、外地から戻ってきた人々が必ず立ち寄って旅の垢を落とす場所だったらしい。
体に漆喰を塗りこんで消毒した体を、浴場でキレイに洗い流してからようやく町に入ることができたのだ。
ヴァリウスよりも遅れて作られたローマン風呂が「スコラスティカの浴場」だ。1世紀に建造され、5世紀に拡張された。かなり大規模なもので、入浴習慣が民衆にまで広まっていたことの証拠だろう。
公衆トイレ
ローマの影響を受けた土地には上下水が完備されていることが多い。エフェソスもその一つで、多くの泉が作られ、水道が通され、トイレもまた水洗だった。
エフェソスの公衆トイレは、オープンエア式。大理石で作られた便座がベンチのようにズラリと並び、催した面々はそこで腰を落ち着けておしゃべりをしながら用を足した。
便器の下は水洗下水、手前の足元には手を洗うための上水も引かれていたという。
聖ヨハネ教会堂跡とヨハネの墓
アルテミス神殿の背にあたる丘の上に聖ヨハネの教会堂はあった。キリストの使徒として、新約聖書の主要な著者の一人として、またキリストの死後、聖母マリアを守った者として知られる聖ヨハネが暮らし、祈りを捧げた教会も今はその基礎部分と数本の柱しか残っていない。
聖ヨハネの墓はこの教会内の地下にあるが、露天廃墟に大理石の低い台が作られているばかりだ。聖母マリアの家を訪ねる人は多いが、聖ヨハネの教会堂跡と墓を訪ねる人は多くない。
しかし、キリスト教の中では、厳かな教会や墓地に眠るどんな聖人たちよりも大きな功績を遺した人物である。
聖母マリアの家
使徒ヨハネはキリストの遺言に従って、聖母マリアを守って生涯を過ごしたとされる。エフェソスはそんな使徒ヨハネと聖母マリアの終焉の地と言い伝えられている。
「聖母マリアの家」と呼ばれる家は5世紀頃から信者たちの信仰対象・巡礼地となっていたが、その後、1891年に小さな礼拝堂が「奇跡的に発見」された。ドイツの修道女が啓示を受けて、それをもとに見つけ出されたという。
その後の調査でこの礼拝堂は1世紀、4世紀、7世紀の基礎や壁などが混じったものであることが分かった。聖母マリアの家も礼拝堂も、保存状態は良い。
ローマ教皇をはじめとした多くの信者たちが訪れるこの地には、一般観光客、特に若い女性にとってもマストスポットとなっている。それというのも、ここにある聖水の泉が願い事の叶う泉とされ、この泉で手を洗い、紙に書きこんだ願い事を壁に撚りつけてくることでご利益があるとして知られているからだ。
最後に
エフェソスの住民たちの身分別住居跡、時代ごとに建て替えられていった神殿・教会・モスクの過去と現在の姿、町の入り口に立てられた門とそれを飾ったレリーフたち、バシリカや神殿の跡など、エフェソスは古代都市一つがそのまま遺跡になっているため、見どころには事欠かない。
見どころと見どころをつなぐ石が転がる道も、エフェソスの歴史を見てきた遺跡の一つ。そこに転がる石ころもエフェソス遺跡の建造物のカケラの一つだったかもしれない。
同じようにギリシアからローマ、キリスト、オスマンの支配を潜り抜けた地域はヨーロッパ各地に星の数ほどあるが、エフェソスはギリシアとトルコの国境地帯という場所に位置したために、特別な扱いを受けてきた。時には手厚く、時には手ひどく扱われたのだ。
そのため、不要とみなされた過去の遺物は完全に破壊され、新たな建造物の建材となった。または、放置され2000年の土埃に埋もれてしまった。
今、世界遺産として我々の前に現れたのは、土で埃で自然に、そして意図的に蓋をされてきた遺物たち。エフェソスの遺跡は2015年に世界遺産に登録されたばかり。これから、発掘・修復・再建と同時に観光整備が行われていくことだろう。その方向性に注目したい。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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