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京都と大阪に挟まれたオアシス
観光と商業の都市、京都市と大阪市の真ん中に位置し、両市のベッドタウンでもある高槻市だが、実は開発が厳しく制限されていて、豊かな自然が残されている。
そこには、山あり川あり里があり、古墳・遺跡群があり、山陰道の宿場があり、巨大商業地区もある。
なんでもある高槻市だが、観光視点で訪れてみたいスポットをピックアップしてみた。
限りなく天皇陵だけど、一般見学可能な「今城塚古墳」
6世紀前半造営とされ、応神天皇から5代目の子孫継体天皇の墓所ではないかといわれているが、宮内庁認定は受けていない。そのおかげで、宮内庁下に置かれず、今も一般市民を受け入れているので、見学が可能。
継体天皇といえば、大和ではなく地方の臣籍降下皇族出身の可能性や、大和王権を武力制圧して手に入れた豪族説などもある人物。その死も、皇太子と同時期とされ、暗殺説があるなどなど、いわく大アリでドラマチック。
疑惑も最大ならサイズ的にも最大の古墳からは埴輪が発見され、発掘調査で分かった埴輪祭祀場の様子もレプリカ復元されるなど、ただの築山ではなく古墳としての形が復元されているうえ、見学も可能な古墳として人気が高い。
古墳を基礎から学べる「今城塚古代歴史館」
今城塚古墳が史跡公園として整備されて市民の憩いの場、観光客の見どころスポットとなったのと同時に、ここでの発掘成果をまとめた「今城塚古代歴史館」が作られた。
常設展は無料で、学芸員やボランティアによる説明も無料。修復整備されたとは言っても、今そこにある古墳は造営当時とはまったく違う姿。その過去の姿をわかりやすく説明展示してくれている。また、子どもにも理解しやすいよう、アニメを使った紹介もある。
古墳初心者も古墳マニアも等しく楽しく学べる施設として一押し。
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埴輪はここで作られた「史跡新池ハニワ工場」
高槻近辺の古墳で発掘された埴輪はここ「史跡新池ハニワ工場」で作られたものだと考えられている。
斜面を利用した窯、工房や住居の跡が見つかり、その一部を復元して展示公開している。ハニワをどうやって作っていたのかがわかる珍しい施設だ。
マンションが立ち並ぶ隣にある小さな公園にある小さな史跡だが、実は当時として日本最大規模のハニワ工場だったらしい。
タイムスリップした現代小学生が古代でハニワ作りを経験してくるというマンガでおもしろわかりやすく説明されているのが楽しい。
京都からも大阪からもハイカーが集まる「摂津峡」
コースバリエーション豊かなハイキングコースが設置されていることから、地元・近隣から多くのハイカーたちが訪れる摂津峡。
春には桜が、夏には深緑、夏には紅葉、冬には枯れた侘び寂びがと、通年目を楽しませてくれる癒しスポットだ。
春から秋には川遊びが楽しい。渓流でジャブジャブ、河原の岩場でBBQ、魚釣りのできる場所もある。滝や奇岩を見ながらの散策ももちろんアリ。
ハイキングは逆に夏などの暑い時期よりも涼しく寒い時期がおすすめ。渓谷沿いをマイナスイオンを浴びながら歩くコース、自然林を抜ける森林浴コース、バリアフリーで誰でも歩きやすいスカイラインコース、紅葉はきれいだが、足腰にくる階段アップダウンの展望台コースなど、気分や体力に合わせて選んで歩こう。どのコースも1時間以内とお手軽だ。
ハイキングの後は温泉が待っている「美人湯翔風苑」
ぬるっとした肌さわりから美人の湯として知られる温泉。スーパー銭湯並みの設備を持つ「翔風苑」には、摂津峡とセットで訪れる人が多い。
見通しの良い田んぼの真ん中にあり、3階の露天風呂からは摂津峡の桜も紅葉も良く見える。
駐車場は入浴で3時間無料となる。マイカー以外だと、1時間に一本の駅行きバスの席確保を計算して入浴や休憩をしよう。バスを逃すとタクシーしか足がない。
またまた太っ腹な無料施設「あくとぴあ芥川」
摂津峡の近く、芥川沿いに作られた公園の中にある小さな水族館だが、身近な川などに住む淡水魚や虫などを集めている。
規模は小さいが展示は見栄えよく清潔に整備されていて、気持ちよく観察できるのがうれしい。ここで、見知った魚や虫を摂津峡の川遊びで探してみるのもいいだろう。
また、夏には隣の市民プールがオープンする。こちらを利用するのはもっぱら市民だが、もしシーズン中に立ち寄ったなら、観光客であることを忘れて遊びに寄ろう。自然の地形を生かした、迫力満点の滑り台が、思わず大人も「もう一回並ぼう」と思ってしまうほど楽しい。
ローマ教皇が認める福者「高山右近」
16世紀の高槻で、キリスト教会を20カ所以上建設したキリシタン大名がいた。「高山右近」だ。武人としても政治家・経営者としてもすぐれていたが、キリスト教信者であることを貫くために、大名の地位を捨て、国外追放され、フィリピンで亡くなった。
「しろあと歴史館」は、高槻城三の丸跡に建つ。高山右近時代の高槻の資料や、当時のキリスト教徒たちの信仰生活の様子がわかる資料が展示されている。
同じく城郭の一角には高山右近像も立っている。
「高槻天主教会堂跡」と「カトリック高槻教会」
右近の父が建てたという「高槻天主教会堂」は、神学校や寄宿舎を併設し、美しい庭園を持つ立派な施設だったという。あの時代に、敷地内には大きな十字架も立てられていたらしい。
今そこには何も残っていないが、地下2m下で見つかったキリシタン墓地からは、棺のほかロザリオなどが発見され、やはり「しろあと歴史館」に保存されている。
そして、現在にも引き継がれている高槻のキリシタンたちの信仰と高山右近への尊敬は「カトリック高槻教会」に集まっている。信徒以外でも、ミサや勉強会に参加することが可能だ。
建てられたのは第二次世界大戦後。マニラで亡くなった高山右近ゆかりの聖母大聖堂を模して建てられた聖堂、白い壁とバラ窓とアーチ型のファサードが愛らしい教会だ。
バチカン市国から贈られた大理石製の右近像があり、彼の功績が世界的に知られていることがわかる。
高山右近が破壊した「野見神社」
高槻城が築城されたときにはもうすでにあったともいわれる歴史ある神社。城の守護として、代々の城主の保護を受けてきたが、高山右近の代に、当時の社殿は破壊され、社領も没収された過去を持つ。
その後、かわって高槻城主となった松平家信によって再建された。あまり広くはないが、本殿以外に、摂社が数多く連なり、たくさんの神様が集まっていて、地元民からの信仰は篤い。
江戸時代の高槻で起きた「宗教争い」の現場として、キリシタン史跡と合わせて見ておくのもいいだろう。
まとめとして
紹介した古墳は一カ所だが、実際には、あっちもこっちも古墳といった風に、「古墳群」があり、マニアならゆっくりじっくりと巡ってみるといだろう。
また、高槻の街に、日本らしい寺社だけでなく、キリシタンの文化を吹き込んだ高山右近の足跡をたどるのも、江戸時代という背景を考えるとなかなか重たいテーマだが、興味深い。
多くの施設が無料または低料金なのは、高槻市が市民サービスに熱心だからか。観光で訪れる我々もその恩恵を受けて、古代・平安・江戸と歴史をおさらいし、貴重な自然に癒され、都会に挟まれたオアシス的な高槻を堪能したい。
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