東日本大震災の年、僕らは絶望的な状況に立たされていた。
震災によって会社の売り上げは前年度の4/1までに下がり、経営能力のない僕は約2億円の借金と税金滞納によって実質会社を破綻させた。
22才の時に起業してからその時まで約10年間、幾度も困難はあったけど、家族のためと考え、会社を守り抜いてきた。だけど、この時ばかりは本当に無理だと思った。
でも、チャレンジスピリットだけはまだ残っていた。会社が破綻しても、金が無くても、何かもう一度でかい事をやりたい。
そんな思いと葛藤していた。
分岐点
幸運にも震災の影響を受けてから仕事が無くなり、僕は生き方を本気で考え直す時間を手に入れた。仕事とお金は無いけど、時間は余るほどあった。
それまでの僕は、今の人生がこのまま死ぬまで続くものだと本気で信じていたし、金を稼ぎ続ける事は家族が幸せになる唯一の方法だとも信じていた。
しかし、金を失い、周りを見渡してみると、それは大間違いだったと気付いた。金よりも大切な事がこの世界には沢山あると気付いた。
そして、それら金よりも大切な事を学び、リアルに経験したいと思った。
だから、今思いつく中で一番大きな学びと経験を得られる手段を考え、「子連れ世界一周」を果たし「旅人」となる決意をした。
僕が本当に欲しいものは、よい服でもない、よい車でもない、立派な家でもない。
僕が今本当に欲しいもの、それは旅人という生き方だ。愛する家族と共に世界中を旅して生きる事だ。
まだ見たことのない風景に感動しながら、まだ出会っていない世界中の人とハグをしながら、旅路でいろんなことに感動して泣いたり、笑ったりしながら、広大な地球をキャンパスにして、僕らの人生という名の作品を描いて生きる。
2011/12月 決意
旅の始まり
子供たちを連れて家族全員で世界一周する。仕事は無いから今から考える。
僕ら4人が最低限生きていけるものだけを残し、バックパックに詰めて世界を旅する。
もちろん沢山の壁が立ちはだかっていた。簡単なことではない事くらい分かっていた。
+
旅を決意したものの、その時の僕らに金はなかった。現実問題仕事が無ければ旅には行けない。
だから家族全員で知恵を絞った。
まず初めにやったのは、世界中に苗を植えるという仕事。
僕らの旅路の途中で誰かの苗を植える。これは世界中に緑を増やすという意味もあるけど、僕らに苗を託した誰かが、いつか世界を旅して自分の植えた苗の成長した姿を見る事が出来るという夢のある話でもある。
注文がいくつか入った、まだ家族全員で旅を続けるほどのお金にはならなかったけど、一歩前進だ。
あとは僕が今まで培ってきたインターネット知識を生かして、旅で得たものや感動を世界中の人々に配信してみようと考えた。それがどれくらいのお金になるかは分からなかったけど、もう決めたことだ。
旅人になるという事は旅を人生の中心にするという事だ。それは旅を仕事にするという意味でもある。
旅人になると決めたからには、これをやるしかないんだ。
僕にはできる、死ぬ気でやってやる、僕は旅人になるんだ。
僕にはできる、死ぬ気でやってやる、僕は旅人になるんだ。
何度も心の中で叫んだ。
それから、車、家財など財産すべてを売却して中国行の片道チケットを買った。
家もなくなったから、売れないものはすべて捨てた。その時はほんと丸裸だった。
こうするしか方法がなかった、全てを捨てないと挑戦できなかった。
僕らに残されていたのは、思い出のアルバムが入った数箱の段ボールと家族四人分のバックパックだけだった。
でも爽快だった。気持ちよかった。
+
そして僕らは旅に出た。無期限無帰国で世界一周という目標を掲げて。
約9年旅をして、旅をし続けることの難しさを目の当たりにして、あきらめかけてしまった時もあったけど、今日もあの日の決意を心の芯に置き、旅空の下にいる。
家族全員が旅を愛し、旅に感謝している。
旅から学んだものは計り知れない。旅が無ければ今の僕らはなかった。
旅を人生の中心にして生きる事。それが今の僕らの生き方だ。
あの分岐点に立たされた時、僕は変わることができた。忘れかけていたものを思い出すことができた。
本当にやりたいことを見つけることができた。
もう迷わない。
僕が本当に欲しいものは、よい服でもない、よい車でもない、立派な家でもない。
僕が今本当に欲しいもの、それは旅人という生き方だ。
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