はじめに
タダで海外旅行に行けるといわれて感じるのは「あやしさ」ではないでしょうか?
タダで海外旅行へ行こうと誘われて感じるのは「無謀さ」でしょう。
タダで海外旅行へ行ってきたという相手に対しては「尊敬」と「驚異」を感じるかもしれません。
このように、タダ=「無銭」で海外へと旅にでることは、「普通」からはかけ離れたこととして認識されています。
でも、実際に存在する「無銭旅行」。実行している/した彼らは、いったいなぜ、どうやって、なんのために無銭で海外へと飛び出していく/いったのか、考えてみました。
お金がない?
お金はない、でも旅行はしたい。これが無銭旅行の一番普通で簡単に想像される理由でしょう。お金なしで旅行をするなら「無銭旅行」以外に方法はないともいえます。
ただ、無銭旅行をする人の中には、お金も仕事もあるにも関わらず「無銭」にこだわる人もいます。彼らの旅の目的はいったい何なのでしょうか?
無銭旅行の目的は?
力試しだという人もいます。運試しだろうと言い返す人もいます。事実上、お金の存在にまったく触れることなく海外旅行をすることは不可能です。ただ、そのお金を自分の懐から出すか、ほかから出してもらうかの違いになります。
そこまでして無銭旅行をする人たちの中には、「無銭でもできる」ということを証明したい、試したい、やり通したいといった目的を持つ人もいます。
旅には、その目的地や手段次第で、「無銭」という方法があることを証明してくれているのが無銭旅行者たちです。
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芸で身を助ける
では、実際の無銭旅行ではどのようにして日々の生活を営んでいくのでしょうか?
本格的な無銭旅行者がよくとる手段に「芸」で日銭を稼ぐというものがあります。例えば、楽器の演奏、手品、似顔絵かき、パントマイム、手相見などを街角で行って、通行人からチップを受け取り、それで生活していくのです。
多くを稼げるわけでもなければ、それを目的ともしないため、あくまで食事の足しとする程度を目標としています。基本的に宿には泊まらずキャンプや野宿をしています。
この方法で世界を放浪する旅人はかなりの数に上ります。日本人では珍しくとも、欧米人のバックパッカーでは旅先で時折見かけます。
彼らには2種類あり、旅の目的そのものが「芸で小銭を稼ぎながらの無銭旅行」である場合と、旅の途中でなんらかの理由から「無銭」となってしまい、仕方なく日々の生活費を稼ぎながら、旅を続けていたり、コツコツと帰国費用を貯めていたりする場合とがあります。
本当かどうか、「全財産を盗まれました」、「帰国費用をカンパしてください」といった手書きカードを置いているバックパッカー大道芸人はこの世に少なくありません。
現地アルバイトで生活を賄う
芸がない人や、芸による収入だけでは生活できなくなった時に試みるのが、現地で働く方法です。もちろん、正規のビザを取得できる場合はほとんどないため、不法なものの場合もあります。
ただ、近年はボランティアの形で働き、かわりに食住を提供してもらうという「物々交換」ならぬ「労働と食住交換」が手軽に行われるようになりました。
当然、アルバイトの内容は食住に関係するものが多く、たとえば、ゲストハウスで住みこみのお手伝いとして雇ってもらったり、和食レストランの下働きに潜り込んだりといった例をよく耳にします。
現地で知り合った人のお宅に住み込んで、ベビーシッターをしているという例もありました。現地のボランティア団体に参加して、無料で食住の提供を受けながら、さまざまな地域ボランティアに取り組んでいる人もいます。
旅の無料ツールを駆使する
アルバイトやボランティアといえば、「workaway」という仕事と働き手とをつなぐマッチングサイトがバックパッカーたちにとって便利なツールとなっています。
このサイトでは、世界中で何らかの仕事を誰かに頼みたいと考えている人が募集をかけます。そこへ、旅人たちがボランティアとして応募し、双方が条件で同意すると働いた代償として、食事や住まいを提供してもらえるというものです。
数時間から数か月単位のものまであり、特別な技能を必要としないものも多く、利用者は増加しています。
また、「Couchsurfing」という無料ホームステイマッチングサイトもまた、無銭旅行者にとって大きな助けとなっています。自宅のカウチなどの空きスペースを寝床として提供する側の利益は、旅の話を聞かせてもらったり、世界からの旅人と知り合えることという、ホスピタリティあふれる仕組みです。
確かに、世界を無銭で旅しているバックパッカーと知り合いになる機会は普通多くありません。一晩もしくは数日間、家事を手伝ってもらったり、スペースを提供しながら、旅の話を聞くことができれば、それは受け入れ側としても大きな楽しみになるのかもしれません。
物乞い
日本でも、街角で小銭をねだる物乞いは存在しています。でも決して多くはありません。そして、彼らの多くはほかの社会保障などを受けることを拒否して、自ら物乞いになっているという特徴があります。
しかし、これが海外では、貧富の差の激しい地域や貧困地域、そして先進国であっても、物乞いにならざるをえず、日々施しを求めて座り込み、彷徨っている人を見かけます。
そして、そんな物乞いの姿の中にはバックパッカーたちも混じっているのです。
伸び放題の髪やヒゲ、着た切りの服装、バックパック一つを抱えた姿のバックパッカーが、帽子を地面に置いて、座りこんでいることがあります。
確かにこれも、無銭で海外生活をしている例ではありますが、これを旅人と呼んでいいのかどうかは正直なところ疑問が湧きますね。
無銭旅行を選んだバックパッカーと無銭旅行に陥ってしまったバックパッカー
自分で旅の目的を無銭旅行にしたバックパッカーたちは、前向きに活動して無銭生活を続けています。ところが、なんらかの理由から無銭旅行をせざるを得なくなったバックパッカーたちからは、覇気はまったく感じられません。
全財産を失っても、パスポートやビザが切れていても、最終的には大使館や領事館に身を寄せれば、なんらかの措置は取ってもらえます。罪を犯しているとしても、刑務所に入れられたとしても、ある意味三食と寝床は保証されますし、一定期間を過ぎれば、多少のお小遣いを持って出所し強制退去によって帰国できる可能性もあります。
このように、同じく無銭で海外にいても、無銭旅行と一言ではくくれないものがあります。
精神力と運
無銭旅行を志すには、普通のバックパッカーとして世界を放浪するのとは違う精神力が必要とされるでしょう。
お金を持っていなければ危険に遭遇する機会は多いか少ないかというと、スリに遭うことは少なくとも、野宿を行う以上、命の危険はより大きいようです。危険に対する心構えを持つ必要があるわけです。
また、周囲から浴びせられる、「スゴイ」よりは「何あれ?」という冷たい視線にも耐えられなければなりません。
さらに、人にも仕事にもいい出会いがあるよう、恵まれた運を持つことも大切でしょう。ただ、運は持って生まれたものだけでなく、自分で幸運を引き寄せる何かを持っている必要があります。手近なところでは、「芸」もその一つですし、「笑顔」もそうでしょう。
まとめとして
無銭旅行は、一種の流行のようにバックパッカーの一つの手段としてあげられるようになりました。それでも、実際に実行する人はほんの一握りです。
無銭バックパッカーになることって「スゴイ」と考えて、旅の中で部分的にマネをしようとする人もいるようですが、無銭バックパッカーとして実際に旅を続けている人は、それなりの計画性や強靭な精神力などを持っているから「スゴイ」旅ができているのです。
安易に選べる手段ではありません。チャレンジするにはそれなりの覚悟が必要です。