東京横浜のベッドタウンを探検
関東の西に広がる大きな台地。古くは農業を、戦中には軍需施設用地として、戦後は米軍や自衛隊の駐屯地であると同時に、都心や横浜のベッドタウンとして、多くの住民を抱える。
そんな座間で何を観光するかというと、まずは今も残る自然。次には、ベッドタウンとしての座間の公共施設、そして 米軍キャンプ。
観光バスが着くことも、ツアーが組まれることもまずない座間市だが、意外に見どころはあるのだ。
年に数回の開放日を狙う「キャンプ座間」
座間市と相模原市にまたがる広大な敷地が、アメリカ陸軍司令部のある「キャンプ座間」だ。現在は、武力部隊の駐屯はなく、在日米軍の基地管理本部として機能する「リトルペンタゴン」と呼ばれている。
内部はひとつの街になっていて、託児所から大学、生活機能すべて、娯楽施設など、考えうるあらゆる街の構成要素が揃っている。そして、それらはアメリカスタイルだ。興味を惹かれないだろうか?
もちろん、機密もいっぱい詰まっているだろう米軍基地なので、通常、一般日本人は立ち入ることができない。しかし、例外が年に数回ある。
まず、春の桜まつり。300本以上の桜が咲き誇る中、日・米・軍・一般が入り混じったイベントが開催される。7月には独立記念祭、夏には盆踊り大会、秋には音楽祭やオクトーバーフェストなどなど。その年によって、イベントは異なるが、これらの開放日には、基地内一部で国際交流が可能だ。
タイミングを合わせてパスポート持参で訪れてみたい。
座間の隠れたネタを集めに「座間市立図書館」
近年ちまたで、図書館巡りが密かに人気を集めているという。日本各地にある公立私立の図書館をめぐって、その建物、サービスなどを確認・観察・比較するのだ。
座間市立図書館は、正直何の変哲もない公立図書館だ。新しいわけでも、斬新なサービスがあるわけでもない。静かに本を読み、調べものができるスペースに過ぎない。
ただ、座間を訪れるにあたって掘り下げてみたいことや気になる場所があるなら、ぜひ、最初に足を向けたい。この図書館では、「座間むかしむかし」という小冊子をなんと昭和32年創刊以来、ずっと発行し続けてきている。この中身には、郷土の歴史や出来事、昔話など、今の座間で埋もれたり忘れられようとしているネタが満載。
もちろん、図書館司書も調べものに対して丁寧に対応してくれる。市民でなくとも、利用可能。至極真面目な観光案内所として活用したい。
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にょっきりそびえる「座間市役所」で座間市を展望
ついでといってはなんだが、時間があれば「座間市役所」にも寄ってみよう。観光案内所があり、さまざまなパンフレットが置かれていて、ローカルな情報を得ることができるほか、最上階の展望室からの眺めはなかなかのもの。
駐車場も利用料ももちろんすべて無料なので、気楽に情報集めに立ち寄ろう。
往年のエンジン音にファン感激!「日産ヘリテージコレクション」
昭和30年代から高度成長期にかけて、座間では大企業の誘致に力を入れた。その結果、日産自動車をはじめとした自動車産業が移転してきたものの、バブル以降、その多くが再び移転して出ていってしまった。
しかし、その遺産ともいうべき施設が一つ残っている。それが、「日産ヘリテージコレクション」だ。
はやりの工場見学と同じく、予約してガイドツアーで回る形になっているが、まずは日産自動車の歴史をビデオ学習。その後が楽しみの車庫見学。
300台以上のヘリテージカーがずら~り。往年の名車がピカピカに磨きこまれた状態で並ぶさまに、子どもや若者よりも、オンタイムでそれらの車を楽しんだのであろう、中年以上のおじさんおばさんが大興奮。
レースやラリーに出場した車の展示もあるが、どの車もエンジンがかかる状態で整備されているとのこと。そして、間近に近寄って写真が撮れるだけでなく、運転席に乗らせてもらえるチャンスもある!
完全予約制で、人数や空き具合でサービス内容が変わる模様だ。
縁起や伝承が盛りだくさんでスゴイ「鈴鹿明神社」
1500年前の創建との伝承もある神社だが、現在の社殿などは近世のものがほとんど。しかし、さまざまな縁起が残されているため、それを知ったうえで訪れると興味深いものがある。
まず、鈴鹿の名は、伊勢の鈴鹿の祭礼神輿が海を渡御していたところ漂流してしまい、相模に流れ着いたことが縁となったという伝説。海老名の有鹿神社と、神様同士が争いを繰り返し、そのたび鈴鹿の神が勝ったという説話。そしてそれらの伝説をもとにした祭礼がごく近世まで行われていたという事実。
鈴鹿の龍神をいじめて雨乞いをしたり、鈴鹿と有鹿の合同神輿渡御行われたりといった時代もあったというから、逆に今それを見られないのが残念なくらいだ。
「鈴鹿の小径」と「龍源院」と「龍源水ホタル公園」
鈴鹿明神社の境内東側に「鈴鹿の小径」として整備された散策路がある。この小径沿いには、弁財天が祀られた「龍源院」がある。15世紀に現キャンプ座間内に創建されたが、現地に引っ越した。ここには、座間小学校の前身となった寺子屋もあったという。
龍源院を開基した人物は、家族を残して出家し、諸国巡礼に旅に出てしまい、その間に跡目相続争いが勃発して家族はみな死亡。帰宅してそれを知った僧は、屋敷を寺にした。身勝手なようで悲惨な龍源院の誕生秘話である。
龍源院の境内の東の崖下には湧水があり、これが龍源院湧水。湧水の豊富な座間市でも有数の清水で、夏にはこの近辺を飛び交う蛍が有名だ。
「星谷寺」の七不思議と「ほしのやみち」
「星谷寺」は「星の谷観音」とも呼ばれ、関東一円33カ所の観音霊場「坂東三十三箇所」の第八番札所。すべてを回ると1300km。長い巡礼が終わると、今度は信州の善光寺と北向観音へと旅立つそうだ。しかし、肝心の観音堂は江戸時代焼失し、再建されたもの。
星谷寺の注目点は「七不思議」にある。最近こじつけたものではなく、古くから伝わるとされるものなので、参拝したらぜひ見つけてほしい。ヒントは「銅鐘・椿・観音草・紅葉・桜・化石・井戸・宝篋印塔」。七不思議なのにヒントが8つ。これこそ不思議。
「ほしのやみち」とは、坂東三十三箇所の八番ほしのや観音と横浜の七番金目観音とを結ぶ街道の呼び名。ほしのやみち沿いにはいくつかの道しるべが今も残っている。庚申塔や旧家、寺社などには、「右 ほしのや」などと書かれているものも。
ただ、ほしのやみちは整備されていないので、図書館などで情報を入手したら、手で探り足を使って巡礼路をたぐっていくしかない。巡礼としてだけでなく、ちょっとした探検かオリエンテーリング気分で楽しんでもいいだろう。
まとめとして
座間は人口13万人のベッドタウン。おそらく、住民も住民外も、「観光地」という要素をそこに想定していないだろう。
でも、隠れた魅力は必ずある。そして隠れているものは探してしだすことに意味がある。
自宅のパソコンで下調べをし、図書館や市役所で情報を収集・整理。そして座間市民さえ知らずにいるような秘密の魅力を見つけにでかけてみよう。