アメリカには、先住民族とも呼ばれる少数民族が多く存在しています。その中でアーミッシュは異色中の異色。
彼らはアメリカ大陸発見後に移住してきたドイツ人の末裔。ただし、急速に発展したアメリカ文明とは相いれない部分が多く、移住当時の移民生活、または移住前のドイツでの生活をかたくなに守り続けています。
アーミッシュは宗教を主体とする少数民族です。
アーミッシュにはどこへ行けば会えるの?
複数のグループが北米東よりの広い地域に分かれて暮らしています。そのため、アメリカを旅したりアメリカで暮らしたりしていると、意外とあちこちで出会いがあります。
アーミッシュに出会いやすい大きなコミュニティがあるのは、アメリカ合衆国ペンシルバニア州・オハイオ州・インディアナ州の三州。そしてカナダのオンタリオ州です。
その中でもさらにアーミッシュの本拠地ともいえるのが、ペンシルバニア州のランカスターでしょう。ワシントDCワシントンから車で2時間ほどですが、かなりの田舎。中心部から少し離れたところに、アーミッシュ体験ができる観光施設があり、さらに田舎に入ると、アーミッシュたちの暮らす大きなコミュニティもあります。
アーミッシュはどんな生活をしているの?
「自給自足」。これが答えです。
彼らは食料を自給自足するのはもちろん、衣類も手作り、家具も家までも手作りです。
電気はあるものの、ほとんど使用しません。原則として個人用の電話もなし。車もなし。わずかに利用される電気も風車や水車で作り出すもの。地域によってはガスを利用していることもあります。移動手段は馬の引くバギー。
男性はシャツにズボン。女性はワンピース。麦藁帽やレースのネットをかぶり、革靴か素足で過ごします。女性が化粧をしたり、パーマをかけたりすることもなければ、男性が頭をツンツンにハネさせることもありません。
学校はアーミッシュの村内にあり、16歳まで通います。その後多くのアーミッシュはアーミッシュ同士で結ばれるともいいます。
アーミッシュは何を食べているの?
宗教的に「食べてはいけない」というタブーはありません。ただし、原則として、アーミッシュの村内で作られたものを食べます。ただ、調味料など、自給が難しいものは、物々交換や自分たちが作った農作物などの販売収益で購入します。
地元のスーパーなどにも現れますが、彼らの自給自足する農作物はすべて農薬肥料を使わない自然食。それに慣れているため、ジャンクフードはもちろん、国内外問わず、大規模農家で作られるほとんどの食料を口にすることはないといいます。
さらには、冷蔵庫を持たないことも多く、その日に収穫したものをその日のうちに食べる、または、ローストしたり塩蔵するなど、昔ながらの方法による保存食を食べています。
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アーミッシュってどんな服装をしているの?
マキシ丈のワンピースに白いレースのネット帽。足元は編み上げのブーツ。そんな姿の女性をみたことがありませんか? さすがに日本ではあまり見かけることがありませんが、アメリカ大陸やヨーロッパでは、旅の途中なのか、そんなアーミッシュの姿を目にすることがあります。
また、アーミッシュの暮らす村そのものは積極的開放されることがないものの、観光用施設が作られている場所では、シンプルなシャツやズボン、ワンピース姿のアーミッシュたちに出会えます。
彼らの姿を一言でいうと「素朴」で「クラシカル」。衣類の色やスタイル、化粧などを含めた「派手」さが禁じられているため、また、手作りの風合いと色合いに限られることも関係しているのでしょう。
男の子たちは、それが制服のようにそろって、サスペンダー付きのズボンをはき、麦藁帽をかぶっています。大人の男性は、口ひげ以外の髭を伸ばし、黒や灰色のゆったりとしたシャツスーツ姿が多いでしょう。
アーミッシュの仕事は何を?
農作業が彼らの主な仕事です。
何しろ自給自足。朝から晩まで、子どもも大人もさまざまな農作業に精を出します。
それに加え、保存食の加工、藁帽子やキルトづくり、時には家具や家も作ります。個人や家族の中で、それらの作業すべてを行えることもあれば、不器用な人もいるので、お互いの得意分野を補い合って生活物資を揃えているそうです。
また一部のコミュニティでは、観光用の農場や体験施設、レストランなどを運営していることもあり、そこで働いているアーミッシュもいます。
アーミッシュの恋愛事情と結婚事情について
アーミッシュは、16歳になると「世の中」を知るためにコミュニティを出ることが許されます。すべてのアーミッシュが、コミュニティを離れるわけではありませんが、その多くが外の世界に出ていくそうです。
それまで食べたことのないもの、着たことのないもの、飲んだことのないもの、乗ったことのないものなどを体験し、アーミッシュ以外の人々とも交流します。その結果、自分がアーミッシュになるかどうかを自分で決めることができるのです。
はっきりとした資料はありませんが、多くの子どもたちが数カ月から数年を外の世界で過ごしたあと、自分たちのコミュニティに戻ってアーミッシュになるといいます。
また、アーミッシュはアーミッシュと結婚することで、アーミッシュの絆をつないでいきます。また、彼らは多産傾向が強く、アーミッシュ人口は常に増加現象にあります。
もうひとつ特徴的なのが、アーミッシュは早婚なうえ、離婚は厳禁です。生まれつきのアーミッシュでない人たちの中には、この離婚厳禁を守ることができず、アーミッシュのコミュニティから出ていかざるを得なくなることもあるそうです。
アーミッシュのイベント・祭りについて
アーミッシュの子どもが16歳になってアーミッシュと親元から離れて過ごす「ラムスプリンガ」は彼らにとって一大イベントといえるでしょう。
これ以外には、彼らの生活の主体である農業の収穫を祝う収穫祭、宗教に沿った祈りのイベント、男性を中心としたスポーツの集いなどがあります。
ただ、それらはアーミッシュによるアーミッシュのためのイベントなので、外部に公開されることは少ないのが残念です。
アーミッシュの民族的な由来は?
新教系の宗派から分かれた一派で、スイス・チューリッヒにその源があるといわれています。彼らはそのほかの多くの移住者たちと同じく、新大陸に新天地を求めてアメリカへと渡ってきました。
彼らは元から保守的な宗派だったこともあり、ほかの移民グループとは一線を画した生活を好み、それを極めていった結果、現在のようなアーミッシュの村が残ることになりました。
現在のアーミッシュたちが抱える問題は?
パソコンや携帯電話、そしてそれらがつながるネットの世界は、アーミッシュだけを取り残してはいきません。都会に近いアーミッシュのコミュニティでは、これまで通りのロングスカート姿をしてはいても、アーミッシュ女性が歩きスマホをしていることもあります。
これまでは、近隣のマーケットに持ち込むことで現金収入を得ていた物産も、インターネットを通じてアメリカ全土、時には海外にも販売・発送ができるようになりました。
車の運転は今も厳禁ですが、運転手付きの車を雇うことを禁じていないコミュニティもあります。
彼らは、すべての文明の利器を排除するルールを持っているわけではありません。だからこそ、何を受け入れ何をはじくのか、その線引きが非常に難しい時代を迎えているといえます。
まとめとして
アーミッシュの村は排他的でした。アーミッシュの人々は、シャイではあっても優しく友好的ですが、今も多くのアーミッシュはアーミッシュだけでのコミュニティ、生活を大切にしています。
ルールを守れないよそ者が入り込むのが難しいため、アーミッシュは独自の非常に濃いコミュニティを保ってくることができました。果たして、それがいいことだったのか? それとも?