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一人の経営者に守られた世界遺産
富岡と聞いて、「群馬県のあそこ」と答えられる人はそれほど多くない。しかし、「富岡製糸場」は知っているはず。そう、世界遺産に登録されている施設だ。
世界遺産に登録されてすぐの頃は観光客で混雑し、話題にも上った富岡製糸場だが、内容はともかく、雄大な自然景観も派手な外観建築もなく、地味な印象が強い。今では、いつ行っても空いているという珍しい世界遺産だ。
しかし、見どころはちゃんとある。価値もある。ただ、その宣伝が足らず、知るすべがなかっただけ。今回は、もっと注目を浴びてしかるべき「富岡製糸場」をきっちりと味わう方法を紹介する。

「富岡製糸場」には何があるの?
中心となるのは、「繰糸所」。140mの細長いレンガ造りの建物は、古い学校のような姿。なぜ、そう感じるのかというと、窓が大きく多いせいだろう。作業の手元を明るくするための採光を考えてのことだという。はめ込まれた大きなガラス窓はフランスからの輸入品だ。
東西に設置された「置繭所」は、同じくレンガ造りだが、正反対に窓は小さく、しっかりと雨戸を立てられるようになっている。それというのも、ここには蚕繭を保存していたから。風通しと光の調節が必要だったのだ。
保管された繭は、製糸するために煮られる。「蒸気窯所」は別名煮繭所とも呼ばれた。繭を煮る臭いは独特だ。この臭いの害を避けるため、設置当時は高さ36mものフランス製の煙突が立っていた。現存するのは昭和になってから建てられたコンクリート製だが、高さはほぼ同じというから、当時の煙突の周囲からとびぬけていただろう当時の姿を想像できる。

1875年竣工の「鉄水溜」は、鉄製の水槽。工場内で使用される水の貯水槽としての役割を担っていた。直径が15m、深さが2.4mとちょっとした潜水プールのようなサイズだ。水漏れを防ぐ鉄製のプールは、国産の構造物としては現存する最古のものだとされる。古い宇宙船のような姿がちょっとユーモラスだ。
「下水竇」及び「外竇」は、レンガで造られた排水設備。下水整備の遅れた日本では、画期的に早い設置であり、全延長は300m以上。これらの遺構もまた、近代技術として価値の高さが認められている。

「富岡製糸場」で、工場長は職人は女工たちはどんな生活をしていたの?
製糸場の設立にかかわったフランス人製糸技術者ブリューナとその家族や使用人、同じくフランスからやってきた熟練工兼技術教師や検査人などのために専用の宿舎が建てられた。しかし、結果としては長くても現地に3年少々しか滞在しなかった。
「首長館」は、ブリューナ館ともよばれたが、彼の帰国後は、職員の教育施設などに転用された。ここで、当時としては画期的といえる活動、女工たちのための学校教育が授けられたのだ。
「女工館」と呼ばれるが、女工たちが暮らしたことはなかった。この建物は当初、ブリューナが連れてきた4人の教育係の女性たちのための宿舎だった。しかし、彼女たちは首長館で暮らしたともいわれ、また3年ほどで皆帰国してしまったため、その後は社員宿舎や食堂などとして利用されてきた。
ブリューナが連れてきた男性職員のための施設は「検査人館」と呼ばれたが、彼らは長く富岡に滞在することがなく、その後は外国人医師の住居となった。
これらの住宅は、いずれも洋風のコロニアル洋式で建てられていて、工場棟とは趣が異なる。ヨーロッパなどの街角に今も建っていそうな建物だが、日本の激動期である150年ほどをここで見てきた。

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思わず「遺産?」の疑問が浮かぶほどの保存状態の素晴らしさ
「遺産」という名前に、どうしても古めかしさやボロさを想像するが、富岡製糸場は、ちょっと古い感じこそするが、その保存状態は素晴らしい。
これは、1939年以降、この施設を運営し、操業停止後も守ってきた片倉工業の努力のたまものである。「由緒ある工場」を「永遠に」存続させていくことを、創業当時から変わらぬ理念として掲げ続け、維持管理に膨大な時間と資産をかけてきた。
今、ここに富岡製糸場が存在し、それが世界遺産としての価値を持つのは、この努力と忍耐によるものなのだ。その間、一般公開をせず、入場料収入などはもちろんなかった。それでも、コストをケチることなく、操業を終えたそのままの姿を正しく修復し復元することに熱意をもち続けたというから、感心を通り越して、驚かされるほどだ。

富岡製糸場の見どころと正しい見かた
経年によってかすれた色のレンガ壁。しかし、そこに欠けや傷などはなく、美しくキチンと整備されている気持ちよさがある。
窓ガラスは拭き磨かれ、扉の蝶番からもキシミ一つ聞こえそうにない。これが、王宮や有名寺社ならわかる。しかし実際には、150年を経た、それも工場の跡なのだ。
ただし、こちらが積極的に興味を持たなければ、工場からのアピールは少ない。いつ、なぜ、誰が、何のために、どうやって、といった情報を得て、それを目で確認しに行く、そんな見方をすることで、初めて、この世界遺産の価値を感じ取ることができるだろう。
約40分間のガイドツアーに参加するのも、より理解と感動を深めるのに役立つ。そのあと、自分なりに気になる部分をじっくりと観察したい。

世界遺産としての「富岡製糸場」は「近代日本の技術文化力」がスゴイ
富岡製糸場は、文化庁が世界文化遺産候補地を選出するにあたり、全国の地方自治体に対して追加候補を公募した、その中の一つだ。ようするに、国の最初のリストには載っていなかった物件なのだ。
それまでの日本の世界遺産が、歴史的な古さこそが価値として考慮されていたのに対し、富岡製糸場は近代における文化遺産であることが注目点。見どころは「古いのにスゴイ」ではなく、「近代日本の技術文化力」にある。
5万平方メートルを超える敷地とその中に建てられた建築群すべてが「富岡製糸場」として登録されたのは2014年。先立つ2005年以降に、国の史跡や重要文化財指定を受けてのこと。それまでは、知る人ぞ知る、ほとんど知られない場所だった。

まとめとして
「富岡製糸場」とは何か?
何も知らなかったとしても、製糸場とあるので、糸をつむぐ繊維系の工場だろうと想像される。
日本にはそれこそ古くから製糸業があったが、その質においては、近代にいたって他の先進諸国に遅れをとっていた。それを挽回するために計画されたのが、官営器械製糸工場だ。1872年の設立以来1987年の操業停止まで、世界大戦中も機能し続けた。
フランスから、技術と機械と人とを導入して、官営模範工場としてスタートした富岡製糸場は、その後、三井系列の傘下にはいった後、(現)片倉工業の経営となる。そして、この片倉工業が、製糸工場として営業していた間も、操業停止後も、この施設を徹底的に守り抜いてきた。

目の前にあるちょっと古っぽいがよく手入れされた工場棟は、使用期限はとうに過ぎている。とっくに消え去っていてもおかしくなかった。しかし、それが今、この保存状態で残されていること、そして、世界遺産に登録されたことで、おそらく今後もきっちりと保存されていき、未来の遺産となるだろうこと、そこが何より素晴らしい。
富岡製糸場を訪れる時には、過去の女工たちの働きぶりを想像し、150年後の今、その素節がほぼ完ぺきに近い状態で保存されている幸運を享受し、さらには、きっとこれから100年以上後に、きわめて保存状態のよい築数百年の工場として遺っていくだろうと期待する。
過去現在未来に思いを馳せて気分よく味わえる世界遺産なのだ。
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